人生と戦争と時代に関するsatoshiqueのブックマーク (2)

  • あさま山荘事件 “獄中”50年 無期懲役囚を揺さぶった裁判長の言葉 - クローズアップ現代

    https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pVB8n9G9Eg/ 1979年3月、日中の注目が法廷に集まった。 社会を震撼させた「あさま山荘事件」の実行犯である「連合赤軍」元幹部に、初めて判決が宣告されるからだ。 元幹部・吉野雅邦(現在73歳)は、同志14人の命を奪った“リンチ殺人”に加担したなどとして、検察官から死刑を求刑されていた。犠牲者の中には、自らの子どもを身ごもったの金子みちよさん(享年23)も含まれた。 その日、裁判長は3時間近くにわたって、とつとつと判決理由を説明した上で、最後に主文を告げた。 結論は「無期懲役」。死刑ではなかった。そして、裁判長は吉野に直接語りかけた。 「被告人は生き続けて、その全存在をかけて罪を償ってほしい」 事件から50年、生きて償うことを課した裁判長の言葉を吉野は

    あさま山荘事件 “獄中”50年 無期懲役囚を揺さぶった裁判長の言葉 - クローズアップ現代
  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
  • 1