メジャーデビューを発表し、配信シングル『砂漠のきみへ / Girls』をリリースした、羊文学。この“砂漠のきみへ”と“Girls”という2曲は、その両極端な性格によって、羊文学というバンドの両義性を見事に表している。“砂漠のきみへ”において、その儚くも包容力のあるサウンドに刻まれた言葉は、自身の無力さを噛み締めながら、ただそこに「ある」ことを自分にも他者にも許そうとする。対して“Girls”は、激しく力強いサウンドに乗せて、愛情への飢餓感と、そこから生まれる痛みに満ちた欲望を叫ぶ。どちらも切実な感情を根に持ち、その感情を「なかったこと」にしないために、音楽は独特なフォルムを持つに至っている。 弱くあることと、強くあること。「優しくありたい」と思うことと、怒りに身を震わせること。「救いたい」と願うことと、「救えない」と許すこと。羊文学の音楽は、塩塚モエカの詩情は、その狭間を彷徨い続ける。きっ
中島らもと喋った話を書く。 18歳ぐらいの頃、生きている理由がなかったので、ライブのチケットを買って、そのライブに行くまでとりあえず生きる、ということをしていた。 それで、大阪心斎橋のサンホールだっけな、なにせ地下の店、そこで、当時片っ端から読んでいた中島らもと町田康が一緒にライブをするというので観に行った。 作家二人のジョイントライブだったからか、今思うと変な観客席だった。フロアの後ろ半分は椅子が出ていて、前半分は立ち見、でもそこで観客は全員体育座りをしていた。 中島らもは、60代にも10代後半にも見える、細い服を着たホームレスっぽい人で、優しそうだけどガラが悪そうだった。大所帯のバンドで、豚はキレイ好きだから嫌いだ、みたいな歌を歌っていた。 体育座りの客のテンションと、中島らもの存在感のギャップが変な感じだった。所在のなかった僕は、体育座り勢のすぐ後ろ、椅子席の真ん中に通っている通路の
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