政治と海外と旅行に関するsatoshiqueのブックマーク (2)

  • 中国が請け負う海上大橋、クロアチアで接合_中国網_日本語

    中国の建設者が現地時間28日午後11時頃、起重機を使い最後の重さ220トンのボックスガーダーを持ち上げ溶接を完了した。これにて中国企業が請け負うクロアチアのペリェシャツ海上大橋が接合された。 夜12時を過ぎたころ、クロアチアのプレンコヴィッチ首相と多くの政府高官がペリェシャツ半島から橋に上がった。数百メートル歩いた後、プレンコヴィッチ氏は「クロアチアの長年分断されていた南北の領土がついにつながった。これはクロアチアの国民及び国家の戦略的な成果だ」と宣言した。また、中国の建設者が困難を克服し予定を前倒しで竣工させたことに謝意を表した。 ペリェシャツ大橋は全長2440メートル、幅22.5メートルの道路斜張橋だ。クロアチア南部のアドリア海のマリストン湾を横断し、クロアチアの大陸部とペリェシャツ半島を結ぶ。 「中国網日語版(チャイナネット)」2021年7月30日

    satoshique
    satoshique 2021/07/31
    クロアチアの飛び地、ドゥブロヴニクがとうとう橋でつながったらしい。2年前現地ツアーに参加した時、ドライバーがこの橋が中国資本であることを苦々しげに語っていたのを思い出す。
  • 【連載】「ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人"」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録(完結) | HEAPS

    【連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録(完結) 「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、抑圧の東ベルリン、壁と秘密警察の手をくぐり抜け、禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 1970年代後半から80年代後半にかけてのドイツ・ベルリンの話だ。 一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と作られた3メートルの壁は、人権を、文化や金銭の価値を、国民の一生を、そして人間の尊厳を決定した。「ベルリンの壁」—その非情な一枚の壁は、 一つの街をユートピアの西ベルリンと、ディストピアの東ベルリンにわけてしまった。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東

    【連載】「ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人"」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録(完結) | HEAPS
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