7月23日土曜日、三昧塚古墳展を見に、明治大学博物館へ。 土曜日なので、古墳カレーの特別メニューがあるレストランはお休み。 土曜日は15時までと知らず、着いたのは閉館20分前ぐらいでした。 (月~金・10:00~17:00、土・10:00~15:00、日曜は8月7日以外休館。8月7日まで) 入館無料。撮影可。 三昧塚古墳の概要。 昭和30年(1955)に土取り工事の対象となり、トロッコで土砂を大量に運び出しているところを偶然に通りがかった県の文化財関係者が目撃、消滅前の緊急発掘調査が20日余りの期間で行われ未盗掘の石棺と大量の副葬品が出土。その成果により工事が中断され消滅を免れ、墳丘も復元整備されました。 自分が茨城県行方市の三昧塚古墳を訪ねたのは、古墳巡りを始めてすぐの2013年でした。 舟塚山古墳、府中愛宕山古墳、三昧塚古墳、富士見塚古墳 - 墳丘からの眺め 今回の展示は、その調査の様
小敷田遺跡から出土した古墳時代後期の準構造船の部材=埼玉県立さきたま史跡の博物館で2021年7月18日、中山信撮影 5世紀後半~7世紀中ごろの150年以上にわたり大型古墳が連続して造営された埼玉(さきたま)古墳群(行田市)にある県立さきたま史跡の博物館で、企画展「運ぶ―埼玉古墳群とモノの動き―」が開かれている。【中山信】 現在は平らな地形の埼玉古墳群周辺は、古墳造営当時は、河川によって形成された複雑な地形だったと考えられている。西側を当時の利根川が流れるなど、北関東西部地域から流れ出る河川が集まり、ここを通過しないと南関東や東京湾に出られない水上交通の要地でもあった。発掘された出土品の調査により、埼玉古墳群には遠方から河川を通じてさまざまな品物が運び込まれ、埼玉県内で作られた物も遠方まで運ばれていたことが明らかになってきた。 企画展では、小敷田(こしきだ)遺跡(行田市)から出土した、古墳時
群馬県内に残る多数の古墳と人々との関わりをたどる企画展「古墳大国群馬へのあゆみ」が、高崎市綿貫町の県立歴史博物館で開かれている。当時の文献や記録、古墳から出土した副葬品など計約五百点を展示。江戸時代以降を中心に、時代の変遷とともに人々が古墳といかに向き合ってきたかを解説している。九月五日まで。(安永陽祐)
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
日本書紀成立1300年 特別展「出雲と大和」が1月15日(水)に開幕いたしました。本展では島根県と奈良県にゆかりのある作品を幅広い分野にわたり展示しています。なかでも私が今回おすすめするのは、考古の作品。古墳時代の埴輪です。 日本書紀によると、大和にて倭彦命(やまとひこのみこと)の葬儀に際して、近習者を集めて古墳のまわりに生き埋めしたむごい光景をみて垂仁(すいにん)天皇が心を痛めていました。そこで皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の葬儀の際に野見宿禰(のみのすくね)が妙案をひねり出し、出雲から埴輪作りの工人(職人)を呼び寄せて、生きた人の代わりに人の埴輪を埋めたことが書かれています。これが日本書紀に書かれている埴輪創生の話です。 このような伝承が日本書紀に残っていますが、実際、遺跡を発掘しますと人の埴輪は5世紀から出現して6世紀に日本列島各地で積極的に作られるようになります。一方で3世
2019年春オープンした名古屋の歴史体験スポット「体感!しだみ古墳群ミュージアム(SHIDAMU)」(名古屋市守山区)。まるで古墳時代にタイムトリップしたかのような、臨場感あふれる“古墳ハイキング”がイチオシだ。また、埴輪の手作り体験や衣装を着て古代人になりきれる撮影スポットなど、五感すべてを使って歴史を体感することもできる。いま、学んで楽しい名古屋の新名所が熱い! 古墳ミュージアムのココに注目! 志段味(しだみ)古墳群では、現在66基もの古墳が確認されており、名古屋市全体の約3分の1の数を占めている。そんな歴史の里を巡る拠点としてオープンしたのが同スポットだ。まずエントランスに入ると、絵本作家・いわいとしおさん描き下ろしの“SHIDAMU大壁画”がお迎えしてくれる!また実際に使われていた石を一部使用して復元した、国指定史跡の1つである志段味大塚古墳や、王の再現像など見どころ満載。さらに、
相生市立歴史民俗資料館(兵庫県相生市那波南本町)の特別展「あいおいの古墳出土須恵器」が、同館に隣接する市立図書館2階で開かれている。同市内の古墳など15カ所から発見された須恵器85点を展示する。14日まで。 須恵器は古墳時代中期の5世紀初めごろ、朝鮮半島からの渡来人によって伝えられ、古墳では葬送などの儀礼に多用された。 宿禰塚古墳(同市那波野)からは西播磨最古級の5世紀前半の須恵器が出土。脚台付き壺は、表面に波や網目が描かれ繊細な装飾が施されている。小丸1号墳(同市野瀬、6世紀後半)の発掘状況を伝える写真や図も展示。甕や高坏などの須恵器を使った儀礼の様子が分かる。 古池横山古墳群(同市向陽台、6世紀後半)から出土した高さ4・5センチの人物像は装飾付き須恵器の一部とみられ、右腕を前方に、左腕を横に伸ばしている。 無料。午前10時~午後7時。13日午後1時半から展示物の解説がある。同資料館TE
古代豪族・巨勢(こせ)氏の首長クラスの人物の墓とされる奈良県御所市の前方後円墳・條(じょう)ウル神(がみ)古墳(6世紀後半、全長約70メートル)で、前方部にも後円部と同様に被葬者を埋葬した石室と石棺があったことが14日、同市教委の調査でわかった。盗掘を受け破壊されていたが、凝灰岩製の石棺片などが多数見つかり、15日から橿考研付属博物館(同県橿原市)で始まる速報展「大和を掘る35」で石棺片を初公開する。 御所市教委によると昨年5〜7月に同古墳の前方部に長さ約5メートル、幅約1・5メートルの調査区を設定し、発掘調査したところ、深さ1・7メートル以上の「落ち込み」を確認。中から円筒埴輪(はにわ)や古墳時代の須恵器に混じって、凝灰岩製の石棺の破片や、花崗(かこう)岩製の石室石材の破片が多数見つかった。 このことから同市教委は落ち込みは前方部につくられた石室跡で、中に被葬者を納めた凝灰岩製の石棺があ
自宅に居ながらパソコンの画面上で世界の有名美術館や博物館を見学できるインターネット検索大手・グーグルのサービス「アートプロジェクト」で、行田市の埼玉(さきたま)古墳群にある県立さきたま史跡の博物館の公開が始まった。県教育局によると、県内の施設が紹介されるのは初めて。 (岡本太) アートプロジェクトでは、地図上の街並みを三六〇度のパノラマ写真で見ることができるサービス「ストリートビュー」の技術が使われている。画面上の博物館内を実際に歩くように移動し、所蔵品の国宝・金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)や埴輪(はにわ)など十九点を、高解像度の画像で鑑賞できる。 画像は五段階まで拡大し、五世紀の記述とされる金錯銘鉄剣の銘文や、木で描いたとみられる埴輪の文様、質感など細部まで楽しめる。ストリートビューで埼玉古墳群を散策し、古墳の頂上からの景観を楽しむこともできる。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く