タグ

ブックマーク / blog.tatsuru.com (22)

  • 平田オリザさんからの台湾速報 - 内田樹の研究室

    佐藤学先生と入れ替わるように台湾の大学で集中講義をされた平田オリザさんから、台湾事情についてたいへん興味深いレポートが寄せられました。 ふうむ、そういうことなのか・・・ 第一報(4月4日) 佐藤先生と入れ替わりで、四月一日から台湾に来ています。国立台北藝術大学で五日間の集中講義(ワークショップ)をしています。 立法院の占拠は、政府が強攻策をとるという噂もあれば、このまま持久戦に持ち込んで学生が疲れるのを待つのではないかという説もあります。今週は台湾の大学は、もともと休みなので(私は、その期間を利用して行う公開講座の講師として呼ばれたのですが)、大学が再開される来週からが山場かもしれません。 私がいまいるのは、芸術系の大学ですので、教授陣も全員が学生側を支持しています。今回は特に、「サービス貿易協定」で言論の自由を実質的に封殺される可能性の高い演劇、映画、出版界などからの支持が強いようです。

  • New York Times の特定秘密保護法案衆院通過についての記事 - 内田樹の研究室

    New YorkTimes は11月29日に「秘密保護法案によって日は戦後の平和主義から離脱するのか」という記事を掲載しました。さきほどツイッターに紹介しましたけれど、アメリカでの論調を知って欲しいので、ここに訳出しておきました。やや荒っぽい翻訳ですけれど、新幹線車内での仕事なので、ご容赦ください。 では。どぞ。 街頭でのデモや主要紙の批判的社説を一蹴して、日の保守派の首相安倍晋三は秘密保護法を通過させることによって、彼の国の戦後の平和主義を逆転させることをめざす一連の法整備の第一歩を進めた。 安倍首相によれば、国家機密をより厳正に管理することがアメリカとの国家機密にかかわる軍事情報の共有のためには必要であると語っている。火曜日に衆院を通過したこの法案は近日中に参院でも採択される見通しであり、これは安倍氏の、日を彼の言うところの「ふつうの国」に変えるためのステップの一つである。具体的

    shig-i
    shig-i 2013/11/30
  • 地方紙の存在意義について - 内田樹の研究室

    10月29日朝日新聞の朝刊オピニオン欄に、アメリカの地方新聞の消滅とその影響についての記事が出ていた。 たいへん興味深い内容だった。 アメリカでは経営不振から地方紙がつぎつぎと消滅している。 新聞広告収入はこの5年で半減、休刊は212紙にのぼる。記者も労働条件を切り下げられ、解雇され、20年前は全米で6万人いた新聞記者が現在は4万人。 新聞記者が減ったこと、地方紙がなくなったことで何が起きたか。 地方紙をもたないエリアでは、自分の住んでいる街のできごとについての報道がなくなった。「小さな街の役所や議会、学校や地裁に記者が取材に行かなくなった」 「取材空白域」が発生したのである。 カリフォルニアの小さな街ベルでは、地元紙が1998年に休刊になり、地元のできごとを報道するメディアがなくなった。 すると、市の行政官は500万円だった年間給与を十数年かけて段階的に12倍の6400万円まで引き上げた

  • 浜岡原発停止について - 内田樹の研究室

    MBSの「辺境ラジオ」も今回で4回目。 不定期収録、収録時間毎回違う、放送時間毎回違うという、いかにもラジオ的にカジュアルな番組である。 精神科医名越康文先生、MBSの西靖アナウンサーと僕の三人のthree-man talk をガラス窓の向こうから伊佐治プロデューサーが顔を赤くしたり青くしたりしながら見ているという四人組ベース。 今回は「震災」テーマでのトークである。 菅首相が浜岡原発の停止を要請したが、それについての評価から話が始まった。 名越先生も私も、これは官僚や電力会社への根回しが十分にされた上での結論ではなく、総理のトップダウンでの「私案」に近いのではないかという意見だった。 浜岡原発の運転の可否についての議論はもちろん専門的な機関で行っているのだろうが、結論はわかっている。 「安全性に問題はない」である。 でも、東海大地震が起きて、放射性物質が漏出するような事態になったら、政府

    shig-i
    shig-i 2011/05/08
    そして、「愚鈍で邪悪な人間たち」というのは端的に「人間というもの」と言うのとほとんど同義なのである。」
  • 未曾有の災害のときに - 内田樹の研究室

    3月13日 東日巨大地震から三日目。 朝刊の見出しは「福島原発で炉心溶融の恐れ」と「南三陸町で1万人行方不明」。 16年前の大震災を超える規模の国家的災厄となった。 これからどうするのか。 このような場合に「安全なところにいるもの」の基的なふるまいかたについて自戒をこめて確認しておきたい。 (1)寛容 茂木健一郎さんも今朝のツイッターで書いていたけれど、こういう状況のときに「否定的なことば」を発することは抑制すべきだと思う。 いまはオールジャパンで被災者の救援と、被災地の復興にあたるべきときであり、他責的なことばづかいで行政や当局者の責任を問い詰めたり、無能力をなじったりすることは控えるべきだ。彼らは今もこれからもその公的立場上、救援活動と復興活動の主体とならなければならない。不眠不休の激務にあたっている人々は物心両面での支援を必要としている。モラルサポートを惜しむべきときではない。

    shig-i
    shig-i 2011/03/13
    「「寛容」、「臨機応変」、「専門家への委託」を、被災の現場から遠く離れているものとして心がけたい」hontouni
  • 普天間基地問題がかたづかない理由 - 内田樹の研究室

    毎日新聞からの電話取材。お題は「普天間基地問題」。 新聞の電話取材で数行のコメントで、基地問題のようなむずかしい問題を論ずることは事実上不可能である。 その行数では、理解しがたい話を「情理を尽くして」説得することはできない。 基地問題は「解のない問題」である。 変数が多すぎる。 アメリカ政府、日政府、沖縄県民がとりあえず当事者であるが、もちろんその内部にも異論が混在している。 アメリカの軍部の中でも、海兵隊の基地問題に対しては、他の三軍は冷ややかである(これは日の新聞はほとんど報道しない)。 「ヘリコプター基地なんか、沖縄に要らない」と広言する軍人たちももちろん米軍内部にはいる。 いて当然である。 軍事はすべて「もし、こんなことが起きたら」という未来予測に基づいて計画される。 未来予測だから、誰が正しい予測をしているかは「ことが起きるまで」誰にもわからない。 「打てる手はすべて打ってお

  • 追悼レヴィ=ストロース - 内田樹の研究室

    20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。 第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。 サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。 1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41〜44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基構造」で構造人類学を樹立した。 自伝

    shig-i
    shig-i 2009/11/04
    「このような知的エリートを生み出す社会的基盤はもう存在しない。フランスにも、アメリカにも、どこにも存在しない」
  • 日本はどこへ行くのか - 内田樹の研究室

    先週、毎日新聞の論説委員の広岩さんが見えて、「平和を語る」というお題で、しばらくお話をした。 広岩さんは何年か前に私が毎日新聞の紙面批評を頼まれたときに、司会をしてくれた人である。 たいへん冷静で目配りのゆきとどいたジャーナリスだった。 それからは毎日新聞で広岩さんの署名記事があると、まじめに読むようにしている。 お会いしたとき、広岩さんは日の言論の急速な「右傾化」にずいぶん心を痛めていた。 とくに一部で突出している核武装論と、それに対する若者たちの無警戒に危機感を示しておられたので、もっぱら話題はそれに終始した。 先日、テレビ政治討論番組で、あるジャーナリストが、日に外交力がないのは、軍事の裏付けがないからである。防衛にもっと金をかけなければ、日は隣国から侮られるばかりであると主張していた。 それは違うと思う。 日が外交的に国際社会で侮られているのは事実であるが、それは軍事力の

  • 橋下府政三ヶ月の総括 - 内田樹の研究室

    朝日新聞の取材。 お題は「橋下徹府政三ヶ月目の総括」。 隣県のこととて、あまり興味がなく、テレビでポピュラリティを獲得したという当の人物についてもテレビを見ない人間としてはよく知るはずもない。 新聞記事だけから断片的に知れるのは、この人が着任以来「金の話しかしない」ということである。 「政治というのは金の分配のことである」というのがこの人の信念らしい。 その点では、「金で買えないものはない」とうそぶいた堀江貴文や「金儲けは悪いことですか?」と獅子吼した村上世彰と同系列の人物と見てよろしいであろう。 「金の全能性」への信仰が血肉と化しているという点で「魂の兄弟たち」である。 だから、メディアや府下の市町村が「金の分配の仕方」について批判したり、異議を唱えたりしている限り、「政治とは金の分配のことである」という橋下イデオロギーはますます強固なものになる。 橋下府政三ヶ月は「政治的難問とは金がな

  • ダライ・ラマ畏るべし - 内田樹の研究室

    五輪の聖火リレーが火種になって各地でトラブルが起きている。 日ではリレーの出発地に予定されていた善光寺が聖火リレーへの協力を断念した。 中国国内でも事件が起きた。 フランスで聖火リレーが妨害されたことに対する報復として、今度は中国各地でフランス系のスーパー、カルフールが「反仏デモ」に襲われている。 カルフールとウォルマートは(日進出には成功しなかったが)、中国ではブリリアントな成功を収めた。 出店数第一位のカルフールは100店舗を展開しているので、中国人にとっていちばん「身近なフランス」である。 そこが標的になった。 自国主催のオリンピック大会への批判に、それに対する反対運動があった国(と関係があるもの)に対する攻撃を以て反撃する、というのはどう考えても無理筋である。 仮に中国で行われるのが「毛沢東生誕 100 年祭」とか、そういうドメスティックな趣旨のものであるならば、そういうナショ

  • 誰か教えて - 内田樹の研究室

    ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』の上映が予定されていた映画館五館が、嫌がらせや営業妨害を懸念して、上映を取りやめた。 同じような事件は年初にもあった。 日教組の教研集会会場に予定されていたグランドプリンスホテル新高輪が同じ理由で使用を断ったのである。 右翼の街宣車が集まって、顧客や周辺住民に迷惑がかかるからという理由だった。 そのとき、グランドプリンスホテル新高輪関係者に訊きたかったことがあるので、忘れないうちに書いておく。 グランドプリンスホテル新高輪は日教組をこの場合「顧客」には算入しなかったと解釈してよろしいのか、ということである。 予定していた集会が中止になることによって日教組が蒙る損害は「顧客の迷惑」にはカウントされない、と。 つまり、利用者のうち誰が「顧客」であり、誰が「顧客」でないかは、グランドプリンスホテル新高輪が利害得失を勘定して決定する。ということでよろし

  • 好きにしなさい - 内田樹の研究室

    朝日新聞広告局主宰の「関西・女子大シンポジウム 女性が未来を切り開く-女子大が果たす役割とキャリア形成」というものに出るために肥後橋のリサイタルホールに行く(ここは先月『トランスフォーマー』の試写会に来て、帰りに日清焼きそばUFOのおみやげを頂いたところである)。 第一部は基調報告でフリーキャスターの草野満代さんがNHKアナウンサー時代のご苦労と女性の自立についてお話をされる。 第二部は大阪樟蔭女子大(森田洋司学長)、武庫川女子大(たつみ都志教授)、京都女子大(槇村久子教授)、そして学から私と関西エリアの女子大4校から1名ずつパネリストが出て、朝日新聞の論説委員の川名紀美さんの司会で女子大の社会的役割とキャリア教育を論題にあれこれと論じるという趣向である。 ご案内のように、私は「女子大の社会的役割」というのは言語化できないというのが持論である。 女子大の社会的役割というのは、ドミナントな

    shig-i
    shig-i 2007/09/17
    「キャリア形成とかエンパワーメントとかいうことを私が好まないのは、それが「現在ドミナントなイデオロギー」を無批判に映し出しているからである」なんかすっきりしたけど、だからといってそれに抵抗できない自分
  • めちゃモテ日本 - 内田樹の研究室

    CanCamの「ひとり勝ち」状態について、これまでメディア関係者から何度か訊かれたことがある。 「どうしてなんでしょうね」 そんなこと私に訊かれても。 しかし、ありがたいことに学の学生諸君には多くのCanCam読者がおり、彼女たちは当該雑誌と競合誌『JJ』や『ViVi』との記号論的差異について、世界でいちばん詳しい。 その中のひとりであるM村くんが、CanCam系ファッションの究極の目的であるところの「めちゃモテ」とはどういう状態を指すのか、というたいへん大胆にしてラディカルな問題提起をゼミでしてくれた。 こういうおいしい「現場ネタ」を寝ころんだまま拾えるのが女子大教師の特権である。 同僚の教師諸君の多くは教室で「学生に知識を教える」ということをされているが、私はできるだけ「学生から知識を教わる」ようにしている。 お給料をいただいてそれでは「やらずぶったくり」というか「盗人に追い銭」では

    shig-i
    shig-i 2007/06/27
    すごい展開
  • 愛国について語るのはもうやめませんか (内田樹の研究室)

    教育関連三法が今日参院を通過する予定だそうである。 安倍首相は昨日の参院文教科学委員会の総括質疑でこう答えた。 「地域を愛する心、国を愛する心を子どもたちに教えていかなければ、日はいつか滅びてしまうのではないか。今こそ教育の再生が必須だ。」 私は子どもが郷土や国家にたいして愛着を持つことは国民国家にとって死活的に重要であるということについて首相に異存はない。 しかし、「愛国心」というのはできるだけ公的な場面で口にすべきことではない言葉のように思う。 法律文言に記すというようなことはもっともしてはならぬことである。 それは左派の諸氏がいうように、愛国教育が軍国主義の再来を呼び寄せるからではない。 愛国心教育は構造的に人々の愛国心を毀損するからである。 私は愛国者であり、たぶん安倍首相と同じくらいに(あるいはそれ以上に)この国の未来とこの国の人々について憂慮している。 日人はもっと日の国

  • 内田樹の研究室 - こんなことを書きました

    『大航海』と『潮』と『熱風』と『中央公論』が同時に送られてきた。 白川静論、関川夏央さんとの対談、貧乏論、諏訪哲二さんとの対談である。 『大航海』と『熱風』は一般書店ではなかなかみつからない媒体であるから、読者サービスとしてここに掲載することにする。白川静論は25枚。ちょっと長いよ。では、どうぞ。 白川先生から学んだ二三のことがら 白川静先生は、私がその名を呼ぶときに「先生」という敬称を略することのできない数少ない同時代人の一人である。私は白川先生の弟子ではないし、生前に講筵に連なってその謦咳に接する機会を得ることもなかった。けれども、私は書物を通じて、白川先生から世界と人間の成り立ちについて、質的なことをいくつか教えて頂いた。以下に私が白川先生から学んだ二三のことがらについて私見を記し、以て先生から受けた学恩にわずかなりとも報いたいと思う。 私が白川先生に学んだ第一のものはその文体であ

  • 音楽との対話 - 内田樹の研究室

    締め切りが迫っているので、日記なんか書いている暇はないのであるが、昨日の「音楽との対話」で心温まる事件があったので、ひとことだけ。 「音楽との対話」というのは、音楽学部の先生と文学部、人間科学部の教師とが何組かペアになって一組が三週にわたり、異文化交流・異種格闘技をする様子を学生さんにご覧いただくという結構の授業である。 よいアイディアである。 私の相方は声楽の斉藤言子先生である。 斉藤先生とは「会議仲間」であって、この二年間たいへん長い時間を会議で共に過ごした。 「会議仲間」というのは「戦友」というか、「ともにまずいものを喰った仲間」というか、「思わず、とんとんと相手の肩を叩きたくなる」関係である。 というわけで、斉藤先生とは仲良しなのである(斉藤先生のご主人が日比谷高校で私のイッコ先輩という奇縁もある)。 私は音楽に限らず人間の発する音韻の選択に興味があり、声楽家の斉藤先生にじっくりと

  • 憲法の話 - 内田樹の研究室

    5月3日は憲法記念日なので、いろいろなところから憲法についてコメントを求められる。 一つは毎日新聞の「水脈」に書いた。 今日の夕刊に掲載されるはずだが、一足お先に公開しておく。 改憲の動きが進んでいる。一部の世論調査では、国民の6割が改憲に賛成だそうである。大学のゼミでも「もうすぐ憲法が改正されるんですよね」とあたかも既成事実であるがごとくに語る学生がいて驚かされた。 九条第二項の政治史的意味についての吟味を抜きにして、「改憲しないと北朝鮮が攻めてきたときに抵抗できない」というような主情的な言葉だけが先行している。 私は改憲護憲の是非よりもむしろ、憲法改定という重大な政治決定が風説と気分に流されて下されようとしている、私たちの時代を覆っている底知れない軽薄さに恐怖を覚える。 改憲とは要すれば一個の政治的決断に過ぎず、それが国益の増大に資するという判断に国民の過半が同意するなら、ただちに行う

  • 新学期のご挨拶 - 内田樹の研究室

    2007年度の新学期が始まる。 岡田山に来て18回目の新学期である。 新メンバーで部長会に出てから、最初の三年生のゼミがある。 新顔の15名のゼミ生たちにご挨拶をする。 内田ゼミにようこそ。 日は初日であるので、このゼミではどんなことをやるのかについてご説明しよう。 このゼミは「知識」を得るためのものではない。 「知識」というのは基的に一問一答のクイズ形式でフォーマットされている。 「タイ・カッブの最高打率は?」「0.420」 「ニール・ヤング、ジム・キャリー、マイク・マイヤーズ。共通点は?」「カナダ人」 というふうに。 しかし、実際に人生の岐路でそういうクイズ形式の問いを差し向けられるということは起こらない。 実際に人生の岐路(めいたところ)で私たちが遭遇するのは「答えがもともとない問い」と「答えがまだ知られていない問い」だけである。 「答えがもともとない問い」というのは問いに対して

    shig-i
    shig-i 2007/04/11
    大学にまた行きたい
  • 内田樹の研究室: ナショナリズムと集団性

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2021 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5

    shig-i
    shig-i 2006/05/20
    最初爆笑するも...