大事に関するtatsukoiのブックマーク (17)

  • あなたは「正しい親」をイメージできますか - シロクマの屑籠

    あなたは「正しい親の姿」をイメージできるだろうか。 「正しくない親」「毒親」をイメージすることは容易い。 子どもを一人で置き去りにする親は正しくない。 子どもに体罰する親も正しくない。 子どもの教育に無頓着な親も正しくない。 不規則な生活や偏った事に無頓着な親も正しくない。 どこかの親にこうした兆候を見てとった時、その親を「正しくない親」「毒親」と指摘するのは簡単である。もっと正しい親になりなさい。間違いを改めて親として適切に行動しなさい。お前はそれでも親なのか! しかし、そうやって「正しくない親」を糾弾した後、「じゃあ、正しい親ってどんな親ですか?」と突き詰めていくと、正しさの権化のような、これもこれで人間離れした親のイメージが連想されることになる。 正しい親は子どもを一人で置き去りにしない。 正しい親は体罰をしない。 正しい親は教育熱心である。 正しい親は、子どもの生活リズムや事に

    あなたは「正しい親」をイメージできますか - シロクマの屑籠
  • ネットで意見表明をしたい人にとって「よくわからない」という気持ちはとても重要だと思う - 頭の上にミカンをのせる

    前の記事からの続き。 「功利主義」という語に限らず、「語感」だけで勝手に意味を推測して考える人多すぎると思う。「論拠」という言葉について意味や目的をわからずに使ってる人もいたし、「自己肯定感」という言葉をテーマについて語ってるのにその言葉の意味を考えずに、なんとなくいいものであるというふわっとした理解で話を進めてる。しかも、そういうふわっとした理解しかないなと思う人に限って、なぜか断言的な口調であることが多い気がする。私は、そういうのってすごく危ういと思う。 ①よくわからん単語や話題について ②語感だけで勝手に自己解釈してわかったつもりになって ③その自己解釈でとんちんかんな論を張って ④そのおかしな論につっこまれたら真意システム発動。 私もやってしまったことがあるけれど、いったんこれに気づくと、いったい私は何をやってるんだ、という気持ちになります。でも「自分がこの話題には不案内だ」って自

    ネットで意見表明をしたい人にとって「よくわからない」という気持ちはとても重要だと思う - 頭の上にミカンをのせる
  • 謝ったら死ぬ病の人に「間違ってない部分もある」のは当たり前 - ←ズイショ→

    僕はもう20年くらいインターネットに触れているんだけど元来集団への帰属意識が薄いもんで俺は俺、他人は他人と思ってやっていたのだけれど、ブログで頓珍漢なことを言っていたフリーアナウンサーがそれが原因でテレビ番組を降板させられたというニュースを聞いていわゆるネットスラングでいうところの「大勝利」という感覚を生まれて初めて覚えたので、「俺はこの件にけっこうよっぽど怒ってたんだなぁ」ってことと「年取ったんだな俺、気をつけよう」ってことを同時に思った。 それで、頓珍漢な人は頓珍漢なのでまぁいいとして「言い方は悪かったが考え方としては間違ってない、一理ある」みたいな評価を一定数見かけて、それに対してなんだかなぁと思っていた。 先日、「私たちは複雑さに耐えて生きていかなければならない」というタイトルのブログを書いたのだけど*1つまりはそういうことで、結局世の中のたいていの炎上・失言・暴走した正義ってのは

    謝ったら死ぬ病の人に「間違ってない部分もある」のは当たり前 - ←ズイショ→
    tatsukoi
    tatsukoi 2016/10/01
    小学生のころ、この世の問題を解決するには、地球が滅亡しないと無理と考えたことを思い出した。(当時、環境問題がさかん)。問題が飽和状態になると、極論に至ってしまうのはガキと同じ思考。
  • 子供が親のお金を持ち出してしまったら。 - スズコ、考える。

    毎週興味深く拝聴しているNHK第一ラジオの「すっぴん!」の育児相談、今日は尾木ママが答える回でした。 「息子が、親のお金を持ち出しているようです」 相談者:これから仕事さん(群馬県 30代 女性) 3歳、6歳、11歳の男の子3人の母です。1年ほど前から、家の中の物やお金がなくなることがあり、後に、長男の筆箱から弟の文房具が見つかったり、親のお金を持ち出して、ジュースなどを買っていたと判明したこともありました。なくなったお金を、誰がどうしたのかわからないことも度々ですが、年齢も低く、まだ一人でお金を使えない弟たちがとったとは、考えにくいです。 先日、長男の持ち物から、持っているはずのない500円玉が見つかり、確認すると「知らない」と言われました。その言葉を信じるべきだとは思うのですが、なかなか難しく、「あなたじゃないの?」と告げると、とても不満そうでした。これまで人が認めた時には、しっかり

    子供が親のお金を持ち出してしまったら。 - スズコ、考える。
  • 今年あれこれ考えたこと、10選。 - スズコ、考える。

    今年の我が家は、物のサンタとお父サンタとオジイサンタとが三つ巴のプレゼント合戦で、とんでもない朝を迎えました。 後ろ髪を引かれるように終業式へと向かった息子たち。さてどんな通知表を持って帰ってくるのかな。 たまった年末の仕事もほぼ片付いて、やっと自分のことにとりかかる時間が取れそうな今日、お二方のエントリを拝見して私も今年の自分の書いてきたものを振り返りたくなりました。 今年「よく書けたな」と自分で思ったエントリ十選 - ←ズイショ→ 2014年『バンビのあくび』のおすすめエントリ。 - バンビのあくび 私の書いた2014年の記事は前回までで86。 記事一覧を眺めてみてどういう方向で選ぼうかなと考えたのですが、私がブログを書く動機でもある、考えて考えて「あぁそうか!」って何かに気づいたり考えがまとまったりした、その印象が強く残っている記事を10選んでみようと思います。 1つめ。 「体

    今年あれこれ考えたこと、10選。 - スズコ、考える。
    tatsukoi
    tatsukoi 2014/12/26
    また、読み返します!
  • 職場で叱られて泣いてしまっていた自分と自尊心のこと。 - スズコ、考える。

    なないおさんの先日のエントリ お子さんがもしかして発達障害かもという不安からこのブログに来て下さる方々へ - うちの子流~発達障害と生きる を拝見して、読後の感想をTwitterであれこれ呟いておりました。 それについては後日またこちらにまとめてもいいのかなと思っているのですが、つまるところ「自尊心」「自尊感情」のことをつれつれと書いておりまして。 発達障害の有無や程度に関わらず、子どもたちの自尊心を保つよう底上げできるよう育てること、それを意識すること、その大事さについて自戒を込めてツイートしました。 そこから自尊心の事をあれこれ考えていたときに、ふと思い出した自分の過去の謎が自分の中で繋がったので書いてみたいと思います。 それは、自分が家庭や学校、職場で何かをきつく叱られたときに泣いてしまっていたこと。 情けない話だと思うのですが、かなり最近まで私は自分のしたミスについて責められた時に

    職場で叱られて泣いてしまっていた自分と自尊心のこと。 - スズコ、考える。
    tatsukoi
    tatsukoi 2014/12/15
    色んなとこで見聞きする、自尊心を育てる=褒めるという事にモヤモヤしてたので、腑に落ちました。子供に手がかからないとほっときがちになるけど、一緒にテレビを見て、一緒に笑ったりすると、うれしそうだもんなー
  • アマゾンレビューに書き込まれた生活保護・扶養照会の件について - 大和彩ブログ

    2014-11-09 アマゾンレビューに書き込まれた生活保護・扶養照会の件について 久しぶりに『失職女子。』のアマゾンレビュー見に行ったら、✩1で「親に虐待されてたとか自分の都合で抜け道使うなんてダメでしょ!」という旨のトンデモ書き込みが載っていた。 私は、この✩1の書き込みをした人が、私のことをどー思おうと、どんな悪口書き込もーと、はっきり言ってどうでもいい。 けど、私は、この書き込みを読んだ人が 「やっぱり親に虐待されてても扶養紹介回避するのは『抜け道』なんだ!」 って思ってしまうことは危険だと思っている。 なので、以下私が書く事は、生活保護申請検討している人へのメッセージです。 扶養紹介の回避は、抜け道でもなんでもありません。私は、福祉事務所で、ケースワーカーに自分の事情(虐待があったことなど)を正直に話しました。 私の話を聞いたうえで、ケースワーカーは、 「そういうことでしたらご両

  • 子どもの失敗。「なんで!?」の前に。 - スズコ、考える。

    昨日のエントリで、問題が起こった時は過去を振り返るよりまず解決の為に全力を尽くした方がいいのかもという話題について書きました。 育児や夫婦間の問題を長期的に見たときに、引きずられないようあえて過去を振り返らないことでこれからを大事にしていくこと。 書いた後しばらく脳の中をいろんなことがぐるぐると回っていたのですが、その「まずその場をなんとかするために動く」ということがふと、子どもたちの様子とリンクしたので今日はそれについて書いてみたいと思います。 それは、昨日とはちょっと違う短期的な問題。 子どもが何か失敗したとき。例えばお茶をこぼしたり。 私はつい「あぁ!」って大きな声を出して子どもを萎縮させてしまったり、ビックリして固まってる子を尻目にさっと自分で拭いてしまったりすることがよくあったんですね。 夕方の忙しい時間とかバタバタしてるときに部屋を汚されてしまって「あー!もう!」っていうイライ

    子どもの失敗。「なんで!?」の前に。 - スズコ、考える。
  • 親を辛辣に叩くことの無意味さと周りの大人に出来ること。 - スズコ、考える。

    長崎佐世保の同級生殺害事件の容疑者の父親が自殺したというニュースが流れてきました。 そしてそれに追随するように、死んでも被害者やその家族は浮かばれないのに、償いを放棄して逃げた、等の、父親に対する批判がTLに連なっていて。 その一連の流れを見ながら、言葉を出せない自分がいました。 この事件では父親が危険性を察して行動を起こしてはいたけれど防ぐには至れなかったのだと報道から伺えます。が、それが尽くせる手を尽くしていたのか、努力が足りなかったのか、それは今の段階でわかることではないのかもしれないし、傍観者である私たちが知る必要も知る由もないことなのかもしれない。 その知る由もないこと、報道から得られる断片的な情報を元に犯罪加害者像、家族像、父親像を構築してジャッジして批判することに怖さを感じて、私はあまりツイートでもこの事件に触れる事が出来ずにいました。 この事件について詳しいことを調べる意義

    親を辛辣に叩くことの無意味さと周りの大人に出来ること。 - スズコ、考える。
  • コミュニケーションツールとしての「ごめんなさい」 - うちの子流~発達障害と生きる

    スズコさんのエントリを読ませていただきました。 うちの子もなにかやっちゃった!って時に固まります。 その場で謝罪を促しても特性上(まだ)出来ないことは知っているので 外でこういうことがあった時は私の方から謝罪をしまくり、 その場を収めてから子供の話を聞き、 何があったのかどうしてこういうことになったのか話します。 落ち着いてから相手はどう感じただろう、 事が起きた後どうすればいいだろう、 (ここでごめんなさいを言ったほうがいいという方向にもっていくのですが) 次にこういうことを起こさない為にはなにに気を付けたらいいだろう。 落ち着いて話せばちゃんと理解は出来ます。 長い話になるのでメンドーですが繰り返し繰り返し言い続けてきています。 固まった時点でなにかまずいことをやっちゃったことには気づいていますが 子供の頭の中は「騒ぎになっちゃったどうしよう!!」でたぶんいっぱい。 とりあえず謝れ!

  • 「謝罪」と「反省」 〜昨日のつづき。 - スズコ、考える。

    昨日のエントリが思った以上の反響を呼んでいてちょっとビックリしています。 ミスリードを引き起こしてしまった要素はやはりタイトルなんだろうなと。 そして内容のなかで「謝る」ことと「反省させる」ことを明確に線引きして書いていなかったことが敗因だったのではないかと考えています。 昨日、たくさん頂いているブックマークコメントやTwitter上で頂いた感想等を参考にしながら自分なりに色々と考え、その中で思い至ったことは「謝罪って何だろう」ということでした。 私が出会った男の子とお父さんのケースで考えると、あのとき男の子がすぐに謝れなかったのは、自分がぶつかってしまったことととても大きな声で謝るよう何度も促したお父さんの様子に驚いたことが大きな要素になっていたと思います。その状態から、自分がしたことを受け止めて謝る気持ちになるまでには時間がかかるだろうなと私は思いました。 そこで無理に何度も謝らせよう

    「謝罪」と「反省」 〜昨日のつづき。 - スズコ、考える。
    tatsukoi
    tatsukoi 2014/09/17
    ブコメであった、「ごめんね」「いいよ」を絶叫する子っての、うちの子によく見られ、なんか色々思うし伝えたいのだけど、うまく言葉にできない。
  • 私が人生最大にブチ切れたことを思い出した件 - 感情迷子中のあんずです。

    2014-08-21 私が人生最大にブチ切れたことを思い出した件 あんず的ふくし? 昔なんですけど、ホームレスの方の支援団体とお仕事させてもらってたんです。 イケハヤさんのブログを読んで解った、「ホームレスは甘えるな」、と怒る人は、自分の首を絞めていると思った件 - 脱貧困ブログ ↑この記事読んで思い出したんですけど…。 ホームレスって、読んで字のごとく、家が無いわけですよ。 路上や河川敷や公園などで生きていらっしゃるんですけど、諸事情によって。 私は医者でもないですし、他人の寿命にとやかく言うつもりもないけれど、生きたくないな?って思う人も中にはいて、だからって、はい、じゃー死んでください!って言う権利もないし、だからって、むやみやたらに生きていきましょう!なんて無責任なことは言えません 生きていれば辛いこともあったり、生きていて幸せだなと思うこともあるんだけど、でもでも、じゃぁ財産も

    私が人生最大にブチ切れたことを思い出した件 - 感情迷子中のあんずです。
  • 「知らなければ繰り返されないのか」 長崎、原爆の日に寄せて。 - スズコ、考える。

    中学2年のときだったと思う。 広島、原爆の日に寄せて。 - スズコ、考える。 のエントリに書いたように平和教育の盛んだった地域で育ち、また同様に同和教育も受けてきた私にとって、道徳的なことや平和に関する授業を受け、それに対する感想を述べたり書いたりすることは年に数回ある日常的なことになっていました。 大人に対する反抗的な気分が盛り上がる時期でもあった14歳。 小さい頃から模範的な感想文を書いては評価を得てきた私にも多少の反発心があったのだろうと思います。道徳の時間に同和授業を受け、部落差別のことについて学んだ後に感想文を書くことを求められ、原稿用紙が前から配られたとき、それを前にボソッと私はこういいました。 「どうせ、きれいごとを書き並べれば良いんでしょ? でもこんなこと、知らなくてもいいんじゃないの? 知らなかったらやらないよ。 わざわざ教えるからまた同じことやろうって人が出てくるんじゃ

    「知らなければ繰り返されないのか」 長崎、原爆の日に寄せて。 - スズコ、考える。
    tatsukoi
    tatsukoi 2014/08/09
    流れてきたTLで、「原爆原爆うるさい」とかのショックなまとめを見ました。邪険にされようが、平和学習や、語り伝えは続けていくべきだと思います。
  • 読書感想画の、忘れられない思い出。 - スズコ、考える。

    小学生のこどもたち3人がそれぞれどっさり夏休みの宿題を持って帰ってきた。 ドリル、プリント、書写、漢字の書き取りに読書感想文、読書感想画…。 読書感想画には、忘れられない記憶がある。 6年生の頃。 私が選んだのは東京大空襲で被災した少女を描いた高木敏子さんの「ガラスのうさぎ」 小さい頃から自宅にあって、何度か読んでいただった。 感想画として私が考えたのは、焼け残ったガラスのうさぎを手に焼け野原に立つ少女の図。 それは今から考えたら表紙や中の挿絵に酷似していたような気もするのだけど。 大空襲、焼け野原、立ち尽くす少女。 12歳の私はその絵を、黒だけで描きたいと思った。 水彩絵の具の黒だけを使って、水墨画のような濃淡でかきわけようと。 下書きをして、色を塗り始めて。 少女の背後、焼け野原の中に、私は瓦礫が燃えているところを描いていた。 そこを黒で塗るべきなのかで、筆を止めた。 担任の先生は

    読書感想画の、忘れられない思い出。 - スズコ、考える。
    tatsukoi
    tatsukoi 2014/07/19
    大人の意見は意見として伝えて、それでも子供がそうしたいのなら、それを尊重したい。納得がいかないのにそうするってのはさせてくないのだが、貫く意思はないけど納得してないって時が困る。(´・_・`)難しい。
  • 吐いた言葉と吐かれた言葉の重さが違うという、自分の中の矛盾について。 - スズコ、考える。

    ほう太パパさんの一昨日のエントリ イクメンの疲れが倍増するの言動 - ほう太パパの七転び八起き を受けて、いろんな方が育児に関る夫婦間の問題について言及されていてとても興味深く読ませていただいています。 今日は、今朝流れてきたこの匿名ダイアリー 嫁の「子育てしてない奴が意見するな」がムカつく を読んで、これは、と感じたことから悶々と考えていました。 この増田さんの記事の中には、奥さまとの喧嘩の内容がわりと詳しく描かれています。 この一語一語を検証して夫婦関係の改善や育児環境の向上につながるか、というと、実はそうじゃないなと私は思うのですね。言葉の内容って、実はそんなに重要ではないんじゃないか、と思うのです。 夫婦関係でも友人関係でも親子喧嘩でもそうだなぁと思うのですが、お互いがカッとなっての言い合いのとき、言葉と言うのはその内容が正確な音であるかとか当に伝えたいと日々思っていたことを

    吐いた言葉と吐かれた言葉の重さが違うという、自分の中の矛盾について。 - スズコ、考える。
    tatsukoi
    tatsukoi 2014/06/20
    言葉って、言い方次第だな、と常々思うことはある。そして、カッとなったら、相手を攻撃する言い方になるってのもよくわかる。本音と違う、ってのとはちょっと違うとも思うけど(言い過ぎたって表現とかにあるもの)
  • 「耐えて笑う素敵な母親の私」に溺れない、溺れさせないために。 - スズコ、考える。

    昨日のエントリ はてなブックマーク - 「かあちゃんは、笑え」 - スズコ、考える。 を書いてから、色々また考えていて、やはりここを補足しとかないといかんと思うので珍しく続けてのエントリを書こうと思いました。(仕事がちょっと暇だからでもあるけど) 昨日のエントリで、私は母ちゃんは笑え、と書きました。 辛くても苦しくても、子どもの前では笑わないかんと書きました。 それは、子どものことを考えた視点から。 母親のヒステリーに晒されることで子どもの心が傷つくことを避けたいから。 でも。 母親たるものいかなる環境にも甘えずに耐えて笑顔を見せよ、という話ではないんですね。 そう受け取られたら嫌だなぁ、それはちょっとなぁという気持ちでこの補足エントリを書き始めました。 耐える母、というと、貧乏や夫の横暴や舅姑のいじめに耐えながらそれでも涙をぬぐい子の前で笑顔を見せ、自分は腹をすかせながら子どもたちに

  • 「かあちゃんは、笑え」 - スズコ、考える。

    ほんまでっかTVに出演されていたという、心理カウンセラーのおじいちゃま先生のツイートが流れてきました。 機嫌のよい母親に育てられた子は、適応限界が高い。ストレス耐性も高い。社会との交流も上手で豊かになる。これ、カウンセラーとしての体験を通じて幾重も実感してきたことです。 pic.twitter.com/tL2EYwlS4l— 山崎雅保(心理カウンセラー) (@heartpit_hige) 2014, 6月 2 これに対して、母親だけの話じゃないだろうというご意見や、誰だって機嫌よくいたいだろうになぜ不機嫌なのかを考えないと、というご意見がちらほら。 うん、そうだよねえ、お父さんもお母さんも、機嫌よくいる家庭で育つのが一番いい、そんなこた誰でもわかってることで、それが出来ないからみんな悩んでる。 そんなことを思いながら自分の子どもたちと過ごしてきた時間を振り返りながら、それでもやっぱり思うの

    「かあちゃんは、笑え」 - スズコ、考える。
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