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  • 味方を守りたい気持ちがあった…指導者になった森勇介が振り返る現役時代【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    悪役イメージのある選手には2種類が存在する 片方は1人孤立しているタイプ もう片方は友人が多く後輩に慕われるタイプ 練習中にもその選手の周りでは笑いが絶えない ファンがピッチの上で見る姿と 選手が別の角度から見る人物像は必ずしも一致しない 希代の「ヒール」に見えながら細かい心づかいを欠かさない 森勇介にオススメのレストランを聞いた 味方選手がやられたときに怒ってやり返して… この前知り合いが、「森勇介は警告数も反則数もあまり多くない」というデータを見せてくれたんですよ。でも少なくはないですから。 ただ、自分でも警告数(反則数)は少ないんじゃないかと思ってました。そんなに毎試合ファウルしたり引っ張ったりしないですから。普段からそんな怒ってるわけじゃないんで。 試合中も冷静にできれば一番いいんですけど、そうできなかった結果が今なんで。いまさら自己弁護するつもりもないし、カッとなったりやられたと

    味方を守りたい気持ちがあった…指導者になった森勇介が振り返る現役時代【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2023/01/20
    “中学生から汚い反則やっちゃってたら何も先に繋がらないしそんなことやってもいいことは一つもない。でもヴェルディの子たちは汚いプレーなんてほぼしないですよ、審判への文句も絶対言わない”
  • あのときの味わったことのない恐怖感…佐藤寿人の人生を変えた2試合【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    FWとして数々の金字塔を打ち立てた だが決してその歩みは順調ではなかった 2度の降格を経験しそのたびにチームに残った そしてその時の記憶は今も生々しく蘇る もしずっとJ1でプレーしていれば 記録はさらに伸びたはずだ J2に降格した経験は彼に何をもたらしたのか? そんな佐藤寿人のオススメの店を聞いた 佐藤寿人と2003年のベガルタ仙台 2003年、ベガルタ仙台は苦しんでいた。 初めてのJ1リーグ挑戦となった2002年は16位チーム中13位とギリギリ降格を回避。2003年は飛躍を目指すため戦力を補強し、開幕から4試合を終えた時点で首位と同勝点の2位につける。メンバーには日本代表経験者の森保一、小村徳男、山下芳輝、岩輝雄らが名を連ね、順調な滑り出しだった。 ところが5節で初黒星を喫すると、そこから19試合に白星なし。クラブはJ1昇格の功労者、清水秀彦監督を交代させるものの、J1残留には黄信号が

    あのときの味わったことのない恐怖感…佐藤寿人の人生を変えた2試合【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2022/11/15
    “森保一さんを筆頭に経験のある人たちもいて”←これポイチさんって言ってるよね多分 / もう少し映りのいいスクショは撮れなかったのですか?
  • GKだけなぜ?…東口順昭が感じる選手採点への疑問とGKの楽しさ【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    ©ガンバ大阪 試合後にGKが記者に囲まれる場面は2つある 1つは素晴らしいセーブを見せたとき もう1つは失点してしまったとき 実際は圧倒的に後者の場合が多い 口が重くなりがちな失点について語ることは 気持ちがしっかりしている選手でないと難しい とても若いときの経験がそうさせているのだろう 東口順昭にオススメの店を聞いた 大学に入り直したときが「人生の勝負」だった 高校は京都の洛南高校なんですよ。それ、よく聞かれますね。偏差値70ぐらいある進学校で、確かに母校ですけど、スポーツクラスがあって、僕はそっちなんです(笑)。 僕のサッカー人生はつらいこと、何度もあるんですけど、一番は人生で初めて挫折したというか、そういう時期やった中学時代ですね。 僕は小学生のときFWとGKと両方やってたんです。FWでシュートを入れるのはもちろんすごい楽しかったんですけど、それと一緒ぐらいGKで相手のシュートを止め

    GKだけなぜ?…東口順昭が感じる選手採点への疑問とGKの楽しさ【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2022/10/13
    野球の守備力評価におけるUZR指標の考え方と共通するところがあるね。これは見る側も成長を求められる点。
  • 「まず靴を見直せ」の言葉が人生を変えた…人見知りJリーガーだった青木剛のセカンドキャリア【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    現役時代の青木剛は 無愛想ではないが寡黙な選手だった ニコニコしているけれども 決して口数は多くない その人物が今や多くの人と談笑する もちろん「こだわり」は昔と変わらない いろいろな経験があったのだろうとうかがわせる 青木にオススメの店を聞いた 鹿島アントラーズで感じたプロの厳しさ 僕は現役時代、正直ずっと苦しかったですね。 2001年に前橋育英高校から鹿島アントラーズに入団して、まずプロの世界が当に厳しいところだって最初の段階で感じたんですよ。高校のときに出来てたことを全くさせてもらえなかったりして。まずそれが苦しかったです。 それにアントラーズは優勝が義務づけられているチームで、僕が入団する前の2000年に三冠取って、僕が入団した2001年もリーグで優勝はしたんですけど、僕は試合に絡んでなかったんです。 2年目の2002年はヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の優勝があったん

    「まず靴を見直せ」の言葉が人生を変えた…人見知りJリーガーだった青木剛のセカンドキャリア【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2022/03/18
    今回は割と食のおすすめもガチ
  • 僕は自分の考えを押しつけていた…なぜ柿谷曜一朗はセレッソを去り名古屋へ来たのか【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    試合後のオンラインの記者会見が始まった いつもは陽気な選手が前を見たまま表情を変えることなく 淡々と記者たちからの質問に答えていく その様子からは勝敗すら読み取れない 大阪で生まれた男が大阪を出て 新たな場所で信頼を得るために一から積み上げている 繊細で複雑な一面を持つ柿谷曜一朗に オススメの店を聞いた セレッソは僕ひとりのものではなかった 自分が一番苦しかったときって……順位付けるのは難しいですけど、2006年セレッソ大阪に加入して、2009年に徳島に行く前とかはやっぱ苦しい……苦しかったっていう記憶がありますね。若かったんで、今思うと苦しかったと思うけど、そのときはそこまで苦しいっていうかそういう感じには多分とらえてなかったという感じやったんですけど。 2016年にバーゼルからセレッソに帰ってきて6月にケガして11月までずっと試合に出られなかったときも苦しかったですし、2017年にJ1

    僕は自分の考えを押しつけていた…なぜ柿谷曜一朗はセレッソを去り名古屋へ来たのか【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2021/12/15
    “このサッカーって1、2年続けたらパワーアップするっていうよりは、5年ぐらい続けてトップレベルでやっていかないと体に染み込まないんじゃないか”なのにリセットして健太かよ、とは外野でさえ思う
  • 僕はいつの間にか孤立していた…鄭大世は怒りと挫折にどう向き合ったのか?【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    ガラス張りの性格で明朗快活 ストライカーとして数字も残してきた 2020年に一度は引退を考えながら ギリギリでチームが決まり現役を続行する 2021年はケガにも泣かされた はたして現役続行の意欲はあるのか 動向が気になる鄭大世に オススメのレストランを聞いた (奥さんの話は出てきません) ドイツで味わった初めての挫折 僕がこれまでのサッカー人生で辛かったのは……あげたらきりないです。被害妄想に囚われるタイプなので。でもその中でも一番辛かったのは1.FCケルン時代ですね。 あのときが初めての挫折かな。川崎フロンターレのときは自分で勝手に悩んでたけど、客観的に見たら結構順調にレギュラー獲得してエースになって、順風満帆だったと思うんです。 大学のときは東京都3部でプレーしてた選手がJ1クラブの川崎に入ってブンデスリーガ2部のボーフムに行って、ボーフムでも2桁得点取って1部のケルンに移籍してってシ

    僕はいつの間にか孤立していた…鄭大世は怒りと挫折にどう向き合ったのか?【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2021/11/26
    森さんがこの長い話をほぼ無編集で載せたいと思った気持ちがよくわかる。テセも人間関係不器用すぎるけど、それがFWとしてその時々の良さに反映されてるのがよくわかるから簡単な話じゃなくて。
  • 大学はサッカー専門学校ではない…Jリーガーから電通、スカパー!を経て早稲田大学監督になった外池大亮の夢【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    Jリーガーは引退した後どんな生活を送るのか 一流企業に就職出来れば残りの人生も安泰だろう 外池大亮は世界でもトップの広告代理店に就職した これで彼の人生は安定するはずだった ところが外池は別の会社に「移籍」する さらには大学の監督に就任してしまった はたして何が外池を突き動かしているのか 「天邪鬼」の考え方を聞いた 現役中から企業にインターン研修 僕が早稲田大学を卒業してベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に入った1997年は、サッカーバブルの最後ギリギリみたいなころでした。中田英寿が活躍していて、アトランタ五輪が終わって日本代表に選ばれるようになり、ブルガリのでっかいネックレスをつけて開幕戦に出たりとかしてたころです。 そのころのベルマーレは小島伸幸さん、田坂和昭さん、名塚善寛さん、呂比須ワグナーさん、野口幸司さん、岩輝雄さん、反町康治さん、都並敏史さん、洪明甫さんとか、日韓国の代

    大学はサッカー専門学校ではない…Jリーガーから電通、スカパー!を経て早稲田大学監督になった外池大亮の夢【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2021/06/25
    ベルマーレの試合見ていたときに、明らかに異色のプレイヤーで惹かれたのよね外池。引退後電通に就職したのを知っておおっとなって早稲田の監督でまたすごいなとなって、今でも何から何まで惹かれっぱなし。
  • 生き方に自信を持った男になるためには…サッカー指導者・松本育夫が伝え続けた心構え【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    五輪で銅メダルを獲得した 日で初めて開催されたFIFAの国際大会で監督として日を率いた ガス爆発に巻き込まれる悲劇が襲ったが麻酔なしの手術を3回乗り越え その後も監督としていろいろなチームを指揮した 79歳になった今も元気いっぱいな姿は変わらない そんな松育夫氏に五輪でメダルを獲ったころの話や その後の監督人生で大切にしたことなど エネルギーを分けてもらえるような話を聞いた 60年代の日サッカーは五輪がすべてだった 1968年のメキシコ五輪について語るには、まず当時のサッカーを取り巻く環境について話をしないといけないでしょうね。1964年東京五輪のころはプロが誰もおらず、日サッカーは、当時アマチュアだけ参加できることになっていた五輪がすべてだったんです。 その1964年東京五輪で勝つためにデットマール・クラマーさん(故人)が招へいされました。1960年ローマ五輪のときは予選で韓

    生き方に自信を持った男になるためには…サッカー指導者・松本育夫が伝え続けた心構え【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2021/03/17
    爆発事故の話はもうしなくてもいいということか。もういろんなところで何度も話した内容だろうけど、いいものはいい。
  • あのときの辛さを僕は乗り越えていない…川島永嗣が振り返る楢崎正剛と移籍【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    失点してしまった後、GKが言う言葉がある 「今のはなんとかすれば止められたかもしれない」 そう語ることでGKは非難される ミスによってゴールを失ってしまった、と。 無理だと分かっていても反応することで すべてGKのせいに見えてしまうこともある そんな孤独にも見えるGKの心情と 過去から現在までの心境について聞いた 勝てる気がしなかったら違う道に進む決断をするのも大事 この連載、いくつかの記事を今までに読んだことがあるんですよ。僕を呼んでいただいてありがとうございます。 人生の中で辛さって種類があると思うんですよね。そのいろんな種類の中でも、道が見えないというか、先が見えないのが一番辛いと思うんですよ。そう考えると、名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)にいたときは、自分のやってることがどう形になっていくのかが一番見えなくて辛かったですかね。 21歳になるとき、自分の中では信念を貫い

    あのときの辛さを僕は乗り越えていない…川島永嗣が振り返る楢崎正剛と移籍【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2021/01/29
    2つ星レストランの日本支店が出てきたのは初めてでは?
  • 負けを受け入れることの大事さ……黄金世代だった高田保則が引退後に気付いたこととは【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    FIFA主催国際大会での日の最高成績は2位 1999年ワールドユースの偉業は今も輝く メンバーはゴールデンエイジと言われた世代 小野伸二、稲潤一、高原直泰、遠藤保仁、山雅志らが名を連ねた 高田保則もそのチームの一員だった だがメダルを胸に帰国した選手の中で 高田だけは他のメンバーと違った道を歩み始める 所属チームは降格を余儀なくされ試合に出られない状態にもなった 現役を引退した後、高田は子供たちに夢を届けていた 自らは裏方に回りアスリートなどの夢先生の手配をする 自分の人生を振り返りつつ高田は子供たちに何を語りたいのか 「大衆酒場好き」のオススメとともに聞いた ベルマーレは「素敵な先輩たち」がいっぱいいたチーム 現役時代を振り返ると、正直に言うといつも苦しかったし、いつも苦しくなかったって言えるんです。 僕がベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でデビューしたのは、プロになって1年半経

    負けを受け入れることの大事さ……黄金世代だった高田保則が引退後に気付いたこととは【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2020/08/17
    “意外と1999年組はみんなトルシエのことを好きですよ。その当時は分かんなくて「なんだよ」って文句言ってましたけどね。だけど今振り返ってみると、トルシエ監督でよかったなって。”
  • 僕らは人生をどう生きるべきか…37歳で初めてサッカー界の外側を見た男・大友慧の不器用な職探し【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん

    新連載「ごはん、ときどきサッカー」では、サッカーやフットサル関係者の人たちがピッチやコートから去った後、どんな生き方をしているのかを追っていきます。まるで違う世界に、それまでとは異なる立場で挑んでいる生き様を語っていただこうと思います。どうかよろしくお願いいたします。 今でこそ東南アジアでプレーする選手は増えた 元日本代表選手も活躍の場を求めるなど サッカー選手の世界はアジア各地に広がっている 今回登場していただく大友慧も10年前に東南アジアを目指した そこではマウンティングされ悔しい思いをした 現地でエージェントに言われた警告の意味もわかった 帰国して友人と思っていた人物からの言葉に傷ついた 社会経験のなさは取り戻そうと精一杯奮闘もしている 今ももがき続けている姿は現役の時と同じくらい輝いている 現役を終え、何をやればいいのかわからなかった 海外行ったときに感じたのは、サッカー選手の地位

    僕らは人生をどう生きるべきか…37歳で初めてサッカー界の外側を見た男・大友慧の不器用な職探し【ごはん、ときどきサッカー】 - ぐるなび みんなのごはん
  • ちゃんとやってる人には運が来る……なぜ丹羽大輝は解任後のハリルホジッチを訪ねたのか - ぐるなび みんなのごはん

    2003年、高校3年生でG大阪のトップチームに帯同 2004年、そのまま無事プロ選手として契約を結んだ ところが最初の3年間は1試合も出場できない 2007年には出場の場を求めてJ2の徳島に移籍する 2008年はJ1の大宮に移籍したがここでも出番に恵まれず 同じ年にJ2の福岡へと活躍の場を移した 2011年まで所属した福岡ではJ1昇格とJ2降格を味わい 2012年、J1のG大阪に復帰する ところが同年G大阪がJ2に降格 2013年は3度目となるJ2でプレーすることとなった そして2014年、J1に復帰するとともに三冠達成 2015年には日本代表に選ばれる 2017年と2018年はシーズン途中で広島とFC東京に移籍 丹羽大輝のサッカー人生は大きな変動を繰り返している 解任後のヴァイッド・ハリルホジッチ監督に会いに行った話とともに 激動の中で何を思ったか語ってもらった 苦しい経験が自分を強くす

    ちゃんとやってる人には運が来る……なぜ丹羽大輝は解任後のハリルホジッチを訪ねたのか - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2019/05/24
    指導者になれたら大成しそうに思う。
  • 忘れられない痛恨の誤審……W杯を経験した副審・相樂亨が試合後に意を決してとった行動とは - ぐるなび みんなのごはん

    2018年、1人の名審判が国際審判員を退いた 2010年南アフリカ、2014年ブラジル、2018年ロシア 3回のワールドカップに参加したが一度も笛は吹かなかった なぜなら、相樂亨は副審だから ピッチの中を自由に動き回れる主審と違い ハーフコートのタッチライン沿いを何往復もする副審は どんな選手とも違う風景を見ている 主審にすら理解されていないこともある 副審が旗を上げないとき何を考えているか 忘れられない判定は何か 今後副審はどのような役を担っていくのか 独特の世界をゆっくりと語ってもらった 副審という職業の難しさとは 今、Jリーグで副審が旗を上げたときは、96パーセントの正確さなんですよ。2年ぐらい前から副審担当のインストラクターの方が、フラッグアップしたものについては全部数えてるんです。「コミュニケーション・システム」で審判はみんなマイクを付けて確認し合ってますから、精度は上がったと思

    忘れられない痛恨の誤審……W杯を経験した副審・相樂亨が試合後に意を決してとった行動とは - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2019/05/09
    主審の話はだいぶメディアに出るけど副審でここまでの話が一般メディアに出ることはほとんどないだろう。濃い。
  • 「脂こそとんかつの本体」と思う人にとって、浅草橋「とんかつ藤芳」のバラかつ定食は心の友である - ぐるなび みんなのごはん

    脂への探究心が強いことでおなじみのココロ社です。 われわれがおいしいとんかつに出会ったとき口にするフレーズの中央値はおそらく、「衣がサクサクしていて、肉は厚みがあるのに軟らかく、噛むごとに肉汁があふれてくる。脂の甘みもたまらない!」……などになるだろう。 ここで、もし、この文でいちばん大事なところに線を引きなさいという問題が出たら、あなたはどこに線を引くだろうか。わたしの場合、恥を忍んで告白すると、「脂の甘みもたまらない!」に線を引くだろうし、もしかしたら「脂の甘みが最高。ちなみに肉は柔らかくてジューシー」などと口走り、肉は脂の引きたて役であるとの認識を露わにしてしまうかもしれない。 この記事を、脂が好きだけれども「何よりも脂が好き」と素直に言えない同志に贈りたいと思う。 味も味以外も濃い街として知られる秋葉原。今回の舞台は、そこから一駅の浅草橋駅のすぐそばにある、「とんかつ藤芳 駅前店」

    「脂こそとんかつの本体」と思う人にとって、浅草橋「とんかつ藤芳」のバラかつ定食は心の友である - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2019/01/23
    次に浅草橋行ったときに絶対行く
  • 今のアナウンサーは言えないことが増えている……元NHK・山本浩が振り返る日本代表とマラドーナ伝説 - ぐるなび みんなのごはん

    1985年10月26日、曇天の国立競技場で日ワールドカップ初出場をかけ、韓国と対戦することになった。チアホーンが鳴り響く中、アナウンサーはこう言って放送をスタートした。 「東京千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいてきているような気がします」 1986年6月22日、ワールドカップメキシコ大会の準々決勝、アルゼンチン対イングランド戦、伝説のディエゴ・マラドーナ5人抜きを実況はこう伝えた。 「マラドナ、マラドーナ、マラドーナ! 来たー!! マラドーナー!!!」 山浩アナウンサーはその後も、ジョホールバルの歓喜、日が初めて出場したワールドカップなどを伝え続け、数々の名台詞を残した。その裏話と、そこに至るまでにどんな苦労があったのか、今の実況の難しさを聞いた。 プロ野球の実況がアナウンサーのステータスだった時代 変化の多い時代だったですね。たまたまといいますか。

    今のアナウンサーは言えないことが増えている……元NHK・山本浩が振り返る日本代表とマラドーナ伝説 - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2018/12/20
    今の時代のサッカー中継の話はさすが/あと、白人アスリートがナッツを大量に食らうの、こういう理由なのかなあ。ハリルと日本人でフィジカル調整に関する考えが合わなかったのもこのへんなのかも。
  • あのとき監督は僕の気持ちを汲んでくれたと思う……今も現役を続ける明神智和の忘れられない途中出場とは - ぐるなび みんなのごはん

    明神智和は自分から話し続けるような選手ではない それでも聞かれたことに対しては 気を遣いながらきちんと答えてくれる 笑顔を絶やすこともない そんな明神が困ったような顔になり ポツリポツリと話してくれた どの降格も辛かったのだろう 困ったのではなく苦しんでいる表情だったのかもしれない すべてを吐き出してくれたのではないと思う 語れないこともあったのだろう それでも最後まで丁寧に話し続けたのが 明神らしい姿だった 所属チームが過去3度、J2に降格した 僕がこれまでで一番辛かったのは……難しいですけど……所属チームがJ2に落ちるときですかね……。2005年のレイソルのときもそうですし、2012年のガンバでも2016年の名古屋でも降格しましたけど、特にレイソルは一番最初の降格の経験だったし、自分も若かったし……。あのときは一番苦しかったですね。 何をやってもうまくいかないし、それに対処する自分自身

    あのとき監督は僕の気持ちを汲んでくれたと思う……今も現役を続ける明神智和の忘れられない途中出場とは - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2018/08/23
    02のチームの中だと、全然年齢の割に老けてないと思うなあ明神。
  • Jリーグバブル後の交流がいまの財産……フジテレビのサッカー番組を支えた青嶋達也は現場のニオイを重視する - ぐるなび みんなのごはん

    Jリーグからなでしこリーグ Fリーグから女子芸能フットサルまで どこに行ってもいるアナウンサーがいる 個性派の語り手、フジテレビの青嶋達也アナウンサーだ。 試合会場だけではない Jクラブの練習場で会うこともある それだけ熱心に取材していても 苦労を感じさせない軽妙洒脱な語り口が持ち味だ だが「青嶋の実況が大キライ」と書かれたこともあるのだとか そんな非難をどう受け止めたのか そして何を思いながら語っているのか 言葉を書き起こすと話し方の秘密も見えてきた スポーツ実況に「用意したフレーズ」はハマらない サッカーの中継をしていると、目の肥えたお客様を中心に、あの人はいろんな言葉を連呼しすぎるとか、実況アナウンサーのテイストなどへの批判はどうしても出てきますね。それは当然だと思います。そういうお客様の声をいただいて、反省して次に向かってよりよいものを、とやらないと、お客様の信頼も得られないし、同

    Jリーグバブル後の交流がいまの財産……フジテレビのサッカー番組を支えた青嶋達也は現場のニオイを重視する - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2018/08/09
    サッカーアナの枠で敢えて青嶋に行くのが凄い。青嶋のサッカー実況は好きですよ私。そもそも青嶋や塩原に競馬が向いてないのであって、フジのスポーツアナでも岩佐徹は競馬はしなかった。
  • U-17でエースだったFWは22歳で練習生になっていた……船越優蔵が僕らに伝えたかったこと - ぐるなび みんなのごはん

    1993年、Jリーグがスタートしてサッカーが大人気になる中、 FIFAの国際大会が日で開催された。 U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)である。 開催国の日にはその後日本代表を背負っていく若手選手が顔を揃えた。 グループリーグは大会2位のガーナに敗れたものの2位で通過。 準々決勝では優勝したナイジェリアに行く手を遮られたが堂々と大会を終えた。 そのU-17日本代表に前途を嘱望されたFWがいた。 長身ストライカーの船越優蔵はこの大会で名を轟かせた。 高校を卒業するとG大阪に入団し、すぐオランダへと留学する。 1年後、さらに大きく成長した船越が日に戻ってきて 日の得点力をアップさせてくれるに違いない。 そんな期待を背負って帰国した船越だったが、 その後青いユニフォームを身に纏うことはなかった……。 持ち上げられてダメになる選手はダメなんです こうやってインタビューしてもらって

    U-17でエースだったFWは22歳で練習生になっていた……船越優蔵が僕らに伝えたかったこと - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2018/04/05
    加藤久の船越改造計画は実際にはそこまで劇的な結果にはなってないんだけど、船越の意識を変えるには十分だったんだということがわかる。
  • 将棋界では、現実が創作を超えていく……白鳥士郎が『りゅうおうのおしごと!』で描いた棋士の異質な思考回路 - ぐるなび みんなのごはん

    ((C)白鳥士郎・SBクリエイティブ/りゅうおうのおしごと!製作委員会) 「竜王」 この言葉を聞いてすぐに頭に思い浮かぶのは、2017年に永世七冠を獲得した羽生善治竜王、そして永世竜王の資格を有している渡辺明棋王だろう。 2人が激闘を繰り広げた2017年の勝負を振り返るまでもなく、将棋界七大タイトルのうちで最も権威あるタイトルの1つである。 優勝賞金は将棋界最高となる4,320万円。さらに、2017年に藤井聡太六段(当時四段)が竜王戦ランキング戦6組初戦で加藤一二三九段戦に勝利してから、竜王戦戦1回戦で増田康宏四段に勝利するまで、公式戦29連勝を達成したことで、将棋ファンでなくてもその名前に馴染みがあるのではないか。 では、「りゅうおう」と記されたら、どうだろう? これでピンときた方は、将棋ファンよりも、アニメ好きな人が多いかもしれない。 実は、前回配信した中村太地王座の記事でのやり取り

    将棋界では、現実が創作を超えていく……白鳥士郎が『りゅうおうのおしごと!』で描いた棋士の異質な思考回路 - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2018/03/26
    最後のコメダの唐突感はサッカーを上回るな
  • 審判が持つ「ゲームの流れ」を読みきる力……W杯開幕戦で主審を務めた西村雄一は試合中に何を考えどこを見ているのか - ぐるなび みんなのごはん

    前回、西村雄一氏の記事が掲載された際 大きな反響とともに疑問が寄せられた。 レフェリーの日常の活動についてだった。 選手たちのトレーニングは見ることもできる。 監督たちが練りに錬った戦術もうかがい知れる。 だが審判員たちはどんな努力をしてその場にいるのか 審判員たちはどんなトレーニングを積み 何をどこから見極めようと考え どんな気持ちで判定しているのか。 そこで西村雄一氏に再度登場してもらって 審判員のあまり知られていない日々の過ごし方を教えてもらった。 これでもう1つサッカー観戦を楽しむ要素が増えてほしいと思う。 審判員に必要とされる運動能力とは 日頃努力していてもミスは起きます。その努力はあまり知られてないですし、もちろんミスへの批判は当然のことです。でも、たとえどんなに批判を受けたとしても、サッカーを支えたいという気持ちで審判をやっている人たちが多いですね。 主審(レフェリー)の練習

    審判が持つ「ゲームの流れ」を読みきる力……W杯開幕戦で主審を務めた西村雄一は試合中に何を考えどこを見ているのか - ぐるなび みんなのごはん
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    BigHopeClasic 2018/03/06
    “最近は審判員を応援してくださる方が増えたことも実感しています”おお、素晴らしい/西村さんもJ1デビューの頃はボロクソにファンから言われてたけど、アジアトップまで登ったもんなあ。