桑名翔太 | アーキトリップ@建築 @architrip_ 設計事務所の裏側や本音を発信中 | 住宅設計のあれこれ | アーキトリップ建築設計事務所 | 福島・東京・広島の3拠点で活動 | 住宅・店舗建築設計 | リノベーション | architrip.net
能登町の国史跡「真脇遺跡」で、竪穴式住居を再現した「縄文小屋」が能登半島地震でも無傷だったことが分かった。小屋は高さ約3・5メートル、幅約5メートル、奥行き6メートルあり、屋根には重さ15キロの石が40個載っている。柱は直径10センチほどの掘っ立てだが、関係者はその強度に驚いている。 縄文小屋は、遺跡に詳しい大工雨宮国広さん(54)=山梨県甲州市=が携わり、2017年に完成した。真脇遺跡で発見された木柱跡などのデータを基に、地面を約0・5メートル掘り下げた竪穴式の構造で、石斧(せきふ)など当時の道具で建設された。 雨宮さんによると、柱を組むための「ほぞ穴」はだ円形で、小屋に掛かる力を分散させる効果があるという。雨宮さんは「現代でも縄文時代から学べる部分があると思う」と話した。
ポンペイ遺跡で見つかった「監獄のパン製造所」。ポンペイ考古学公園提供(2023年12月8日提供)。(c)AFP PHOTO / Pompeii archaeological park 【12月10日 AFP】イタリア・ポンペイ(Pompeii)遺跡でこのほど、奴隷や目隠しされたロバを閉じ込め、パンの材料となる穀物を挽(ひ)く作業に強制的に従事させたと考えられる「監獄のパン製造所」が見つかった。発掘作業にあたる考古学者らが発表した。 ポンペイ考古学公園(Archaeological Park of Pompeii)は8日、「遺跡内の家屋の地下から極小の部屋を見つけた。明かりを確保するためにの小さな鉄格子付きの窓が壁上部に設けられていたが、外の景色は見ることはできなかった」と発表した。ポンペイ遺跡の総面積は約44ヘクタールと大きい。 見つかったパン製造所では、目隠ししたロバを長時間にわたって強
瀬尾 @Seo_t その結果、古い時代の欧州の都市の構造的問題を踏まえた、増改築の繰り返しによる産物という解答を、向こうの見地から説明していただけたわけです。こういうサプライズがあるからTwitter(X)はやめらないと思ってしまう🥴 2023-08-11 16:31:21 瀬尾 @Seo_t 土地の制約により上に増築するだけにとどまらず、通りの上を跨いでしまう。というお話事態は学生時代に聞かされたことがあったんですよね。ただ、そのときは都市の再開発における「行政執行力」がメインでして。つまり封建時代と現代とではそこを同列にはできないという部類の話。 pic.twitter.com/TJAJ8eAnpr 2023-08-11 17:45:52
歴ログ(世界史ブロガー・ライター)@YouTubeチャンネルよろしくお願いします @jimanalyze ちなみにこのクレーン車はローマ帝国崩壊後も使われ続け14世紀くらいまで使われてました。古代って我々が想像するよりもはるかにテクノロジー発展してたんですよね。 en.m.wikipedia.org/wiki/Treadwhee… 2023-05-31 08:45:43 リンク Wikipedia Treadwheel crane A treadwheel crane (Latin: magna rota) is a wooden, human powered hoisting and lowering device. It was primarily used during the Roman period and the Middle Ages in the building of c
作家の太宰治が好んで訪れた場所として知られる東京 三鷹市の線路の上に架かるこ線橋が建設から90年余りを経て撤去されることになりました。地元では、写真や映像などで、この陸橋の記憶を後世に伝えようという取り組みも広がっています。 撤去されることになったのはJR三鷹駅からおよそ300メートル西側に位置する、全長およそ90メートルのこ線橋です。 昭和4年に当時の鉄道省が建設し、JR中央線や車両基地の上に架かっていて、三鷹市の南北をつなぐ生活道路として長年、地元の人たちが利用してきました。 また三鷹市で晩年を過ごした作家の太宰治が好んで訪れた場所としても知られ、昭和20年代に撮影された写真には、橋の上でたたずむ姿や、さっそうと階段を下りる姿が収められています。 しかし去年6月、こ線橋を所有するJR東日本は、老朽化が進んでいることや、南北をつなぐ地下道が近くにあることなどから撤去する方針を示し、市と協
どーも、おっちーです。 先日東京大学にて行われました「メタボリズム建築の過去・現在・未来」というシンポジウムに参加させていただきました。 これは今年に決定した宮崎県の都城市民会館の解体を受けて、DOCOMOMOジャパンが主催して今後日本におけるメタボリズム建築とどう向き合うべきかを議論するものでした。 3部構成のシンポジウムであり「過去・現在・未来」と題して多くのパネリストによる発表と質疑応答が繰り広げられました。私は時間の関係上、第二部までしか見れませんでしたが、この問題やその他のメタボリズム建築の保存に関わった人の意見や担当した市の職員といったあらゆる視点で建築に関わった人の意見を聞くことができました。 それは、 ●日本イコモスは今後の建築の保存のあり方を再考してほしいという事 ●建築の保存、継承に大して建築の専門家は主役には決してなり得ないという事 ●竣工時から保存、改修を継続的に考
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レトロモダンな建物でテレビドラマの撮影などにも使われた旧佐伯郵便局舎(京都府亀岡市薭田野町)が、14日から解体される。電話交換や電報業務など、戦前から戦後にかけ地域に欠かせぬ施設だったため所有者は活用も検討したが、傷みがひどく、87年の歴史に幕を閉じることとなった。 局舎は1934年に完成した。2階建て約150平方メートルで、当時としては珍しいコンクリート基礎の上に、鎧(よろい)戸のように板を並べた「下見板(したみいた)(鎧)張り」の壁に縦長の窓を配置する一方、屋根は瓦ぶきとし、「〒」マークを入れた鬼瓦も使用。設計者は不明だが、和洋入り交じった独特な外観を誇っていた。 建物の所有者で、自身も含め代々佐伯郵便局長を務めた大石昌弘さん(75)は「戦後の苦しい時も、24時間態勢で電報の受け付けや配達をし、ここから手紙や小包を届けてきた。小さいけれど地域の中で誇りを持って働いた建物だ」と懐かしむ。
沖縄に現存する最古の映画館である「首里劇場」。 長年首里城下の閑静な住宅街にありながら、沖縄唯一の成人映画館として営業していたが場所柄「青少年の健全な育成に悪影響」という問題を抱えていた。 なぜなら横の道を通ると、建物が古いから中の音がダダ漏れているのだ。住宅街なので小学生の通学路だし、中学生ともなれば音を聞きにわざと横を通る。そんな感じで、古く趣がある建物にファンも多いけど、実際は近寄り難い場所だった。 その首里劇場が2021年の1月に成人映画をやめてしばらく休館した。 休館前に公式Twitterには「永遠に不滅だぁ!」と投稿があったが、もしかしたらこのまま...ということも頭によぎった。 しかし、そのすぐあとに5月1日に復活すると宣言。 しかも今度は旧作映画を主体に上映する名画座になるという。 復活の数日前に首里劇場へ行き、館長の思いを聞かせてもらった。 首里劇場 まずは改めて首里劇場
飛田新地(大阪市西成区)の東端にたたずむ旧遊郭の建物。老朽化が進み、取り壊しも検討されている=映像作家の元吉烈さん撮影 大阪市西成区の飛田新地に残る旧遊郭を活用しようと、地元の不動産会社が再生の道を模索している。一時はゲストハウスにリフォームする案が浮上したが、用途が決まらないまま建物の老朽化が進んだ。取り壊す恐れもあることから、遊郭の名残を収めた写真集を制作。活路を見いだそうと、建物内のオンラインツアーも企画している。 【写真】旧遊郭の面影残る飛田新地 ◇進む老朽化 西洋文化の面影も 旧遊郭は飛田新地の東端にあり、飛田遊郭ができた1918(大正7)年から10年ほど後に建てられた。58年の売春防止法の完全施行後も、20年前まで「満(ま)すみ」の名前で利用されていた。近くには、国登録有形文化財である大正時代の旧遊郭で、現在は料亭の「鯛よし百番」がある。 建物は木造2階建てで、床が腐るなど老朽
1974年に図書館としての利用が開始された加古川図書館。加古川町公会堂だった頃は音楽会などが催され、地域の文化拠点だった=加古川市加古川町木村(撮影・笠原次郎) 作家の三島由紀夫が徴兵検査を受けた場所として知られる加古川市立加古川図書館(兵庫県加古川市加古川町木村)が、存廃の岐路に立っている。築85年を過ぎた建物は老朽化して雨漏りがあり、耐震診断もしていない。改修には多額の費用が見込まれ、10月のJR加古川駅前への図書館移転後について、市は「解体も選択肢」とする。兵庫県景観形成重要建造物に指定されており、市民からは保存、活用を求める声も上がっている。(斉藤正志) 兵庫県建築士会の初代会長を務めた建築家、置塩章(おしおあきら)の設計で、1935(昭和10)年に加古川町公会堂として建築された。 鉄筋コンクリート造り2階建て。正面の半円形の窓を幾何学模様のステンドグラスで飾るなど、アールデコ調を
愛知県の国宝 犬山城の天守は、秀吉と家康が争った小牧長久手の戦いの直後に建てられたとみられ、これまで考えられていたより50年ほど新しいものの、現存する最も古い天守であることが裏付けられたことが名古屋工業大学大学院などが行った建築材の調査で分かりました。 愛知県犬山市にある犬山城の天守は、昭和36年から行われた大規模な修理に伴う調査の結果、2階までの下層階は1537年ごろに織田信長の叔父の信康が建築し、3、4階はそのおよそ60年後に増築されたという説が有力でした。 犬山市の依頼を受けた名古屋工業大学大学院の麓和善教授らが、おととしから初めて年輪年代法という手法で分析したところ、柱やはり、床板など天守の主な建築材は、いずれも西暦1585年からの3年間に伐採されていて、1階から4階まで一気に建設されたとみられることが分かったということです。 この時期は、豊臣秀吉と徳川家康が争った小牧長久手の戦い
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エジプトの西方砂漠、バハレイヤ・オアシスに位置するタル・ガヌーブ・カスル・アゴウズ遺跡で発見された、岩盤に掘られた修道院跡。エジプト観光・考古省提供(2021年3月13日提供)。(c)AFP PHOTO / HO / EGYPTIAN MINISTRY OF ANTIQUITIES 【3月15日 AFP】フランスとノルウェーの考古学者チームが、エジプトの西方砂漠(Western Desert)で5世紀のキリスト教修道院の遺跡を発見した。エジプト観光・考古省が13日に発表した。 西方砂漠のバハレイヤ・オアシス(Bahariya Oasis)に位置するタル・ガヌーブ・カスル・アゴウズ(Tal Ganoub Qasr al-Agouz)遺跡における第3次発掘調査で、複数の建物から成る遺跡群が出土した。建物は玄武岩でできたもの、岩盤に掘られたもの、泥れんが造りのものがあるという。 観光・考古省イス
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