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生活と歴史に関するauientのブックマーク (2)

  • 戸籍の写しの取り寄せで214年前まで感慨深く辿っていく - Really Saying Something

    三行まとめ 青森県にいる先祖の戸籍謄(除籍謄)の写しを集められるだけ集めた 一番古い先祖の生年が1810年だということがわかった 戸籍を通じて、「自分は人類のデータの一部だ」と思うようになった この記事は長いです だいぶ長くなってしまいました。新聞記事方式を取り、途中で脱落してもいい仕組みにしています。 三行まとめ この記事は長いです 取り寄せることができた戸籍の写しについて なぜ突然先祖の戸籍の写しを集めようと思ったか(行動の背景と目的) 背景その1と目的:戸籍の広域交付制度が始まった 背景その2:私が子孫の終点だ!(直系で) 戸籍をさかのぼってみた 父親の父母より上 五世の祖父より上 母親の父母より上 五世の祖父より上 たどれる中で一番上の世代 たどれる中で一番古い生まれ 戸籍謄(除籍謄)を取り寄せる一例 まずは祖父母の戸籍から 祖父母の戸籍から一気にさかのぼれることが多かった

    戸籍の写しの取り寄せで214年前まで感慨深く辿っていく - Really Saying Something
  • 米騒動におからで立ち向かった男 - 山下泰平の趣味の方法

    かって一人の男がいた 大正7年、第一次大戦等の影響で物価が高騰し、庶民は生活難に陥っていた。7月22日には富山県で米騒動が起きると、それに呼応するように米の安売り要請運動が全国各地で繰り広げられることとなる。 時の政府は効果的な打開策を見出すことができず、手を拱いているばかり、そんな中で一人の男が静かに立ち上がった。 その名も赤津政愛(あかつせいあい)である。 彼が提示した解決方法は単純明解、米が高いなら他のものをべればよいといったものである。有名な「パンがなければお菓子をべればいいじゃない」にも似ているが、日中戦争の際にも料難から節米運動というのが起きている。こちらも米以外のものをべようという運動だ。 節米運動は、日中戦争時にいきなり発生したものではない。実は前述の米騒動をきっかけに、代用の探究が始まった。つまり赤津の発想は特に珍しいものではなかったということになる。 赤津政愛

    米騒動におからで立ち向かった男 - 山下泰平の趣味の方法
    auient
    auient 2017/10/11
    いつもより悪ふざけが少なく読みやすい、かつ面白い内容
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