旅行中に、飛行機が遅れて、憤懣やるかたなかった――。もしそんな経験があったら、次に遅れたときには、19世紀に人々がどのように旅したかを思い出すと、多少気分がまぎれるかもしれない。 あなたはたぶん、ロシアの画家、イリヤ・レーピンが描いた『ヴォルガの船引き』(1870年~1873年)をご覧になったことがあるだろう。 絵に描かれた男たちは、なぜ、こんな仕事をやっているのだろうか?なぜ、この疲れ果てた男たちは、奴隷さながらに、船を上流に引っ張っていくのか? なぜ、気の毒な若者たちは、外輪船や帆船を使わないのか?ひとつ調べてみよう。 船引きとは何者か? ロシア語で「ブルラーク」と呼ばれる、彼らの主な仕事は、川の流れに逆らって、つまり上流に向かって、帆船を引っぱっていくことだった。ふつう、彼らは、全長30〜50メートルの平底貨物船を引いた。これは、秋と春の季節労働であった。 たまたま順風が吹いたときは
以前、直木賞作家・葉室麟の「星火瞬く」(講談社)を読み、この小説のストーリーは本当に歴史的事実に基づいているのか、ズッと気になっていた。 小説では、江戸時代後期に、幕府禁制の日本地図を持ち出そうとして国外追放処分になったドイツ人医師・シーボルトが、幕末になって再び日本を訪れ、また同時期に、ロシアの無政府主義者であり革命家でもあるバクーニンも日本の地を踏み、両者の関わり(小説の中ではシーボルトの子息であるアレクサンダーとバクーニン)を中心にストーリーが展開されている。 幕末にシーボルトが再び日本を訪れたこと、ましてや、世界的に有名なバクーニンが日本の地を踏んだことなどをまったく知らなかったため、小説を読んだ時、著者の、この空想的な着眼に驚いてしまった。 でも以来、ひょっとしたら、これは、少しばかり歴史的事実を踏まえているのではないかと思い調べてみたら、なんと、いわゆる明治元年から遡ること7年
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