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architectureに関するconsigliereのブックマーク (187)

  • 漱石旧居の保存ピンチ 所有者が手放す意向 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    明治の文豪・夏目漱石(1867~1916年)が住んだ熊市中央区北千反畑町の旧居と土地について、所有者側が保存を前提に手放す意向を示していることが分かった。1世紀以上前に建てられた旧居は現在空き家で老朽化が著しく、個人での管理が難しくなっているためだ。来年は漱石が熊に来県して120年の節目の年。意向を聞いた地元の顕彰団体は、購入に向けた寄付を募ることを検討している。(池田亮) 漱石は1896年(明治29年)4月、旧制第五高等学校(現・熊大)に英語科教授として赴任。熊で4年3か月を過ごす間、少なくとも6軒の借家を転々とし、同町の旧居では、1900年(同33年)7月に熊を離れるまでの約4か月間暮らし、その後、英国へ留学している。 旧居は、敷地面積約610平方メートルで木造2階建て(延べ床面積約140平方メートル)で、漱石の書斎があったとされる2階には2部屋がある。大阪市の男性らが所有し

    漱石旧居の保存ピンチ 所有者が手放す意向 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • トラベル > 今週の韓国 > 文化 > ソウルの真ん中で遺跡が見れる!

  • 薬師寺の食堂を再建へ 17年落慶予定、400人収容:話題のニュース:中日新聞(CHUNICHI Web)

  • 三重県が「斎王の宮殿」復元-平安時代を感じる施設に

    三重県は現在、多気郡明和町斎宮(さいくう)柳原地内に斎宮復元建物の建設を進めている。12月20日には、建設作業の一般公開が行われた。 「斎王の宮殿」を復元、屋根に使われる檜皮葺き作業 斎宮とは、「斎王(さいおう)」が生活していた「宮殿」や「斎宮寮」のこと。斎王とは、天皇に代わって伊勢神宮に仕えた天皇の皇女で、天皇の代替わりごとに皇族女性の中から選ばれ、都から伊勢に派遣される。伊勢神宮起源伝承で知られる倭姫命(やまとひめのみこと)を斎王とみなすこともあるが、その実態はよく分からない。歴史的文献などから推測すると最初の斎王は、天武天皇(670年ごろ)の娘=大来皇女(おおくのこうじょ)とし、制度が廃絶する後醍醐天皇の時代(1330年ごろ)まで約660年間に、60人余りの斎王の名が残されている。 三重県は、1970(昭和45)年から斎宮跡の発掘調査を開始。1979(昭和54)年、東西約2キロ、南北

    三重県が「斎王の宮殿」復元-平安時代を感じる施設に
  • 白川郷近くにあった幻の城「帰雲城」 - ショッピングコラム「日本の名城巡り」:朝日新聞デジタル

    の城はかつて存在した数をすべて合わせると、数万になると言われる。そのうち歴史的な天守閣が現存する城は12城しかない。戦禍や失火などで失われた後に再建されず、現在は遺構が「夢の跡」を忍ばせるだけという城がほとんどだ。城の数だけ滅亡のドラマがあったはずだが、中でも最もドラマチックで謎に満ちた最期を迎えたのが、白川郷(岐阜県白川村)を支配した戦国武将内ケ嶋氏の居城、帰雲(かえりくも)城だ。1586(天正13)年11月29日、保木脇(ほきわき)にあったこの城は、翌日の祝宴の準備に追われていた。内ケ嶋氏は能寺の変の後、反秀吉勢力に加わったため、戦後は領地没収などの厳しい仕置きを覚悟していた。それが予想外に軽い処分で済んだので城主の無事帰還とあわせて祝おうと、一族郎党が集まったのだ。ところがこの夜、天正大地震が襲った。この地震が引き起こした山崩れのため、帰雲城と内ケ嶋氏は城主以下、城下町もろとも

    白川郷近くにあった幻の城「帰雲城」 - ショッピングコラム「日本の名城巡り」:朝日新聞デジタル
  • 【有形文化財指定】古き良き世界へ。「和のロマンを紡ぐ名旅館」3選

    Posted by: 青山 沙羅 掲載日: Nov 29th, 2014. 更新日: Jun 16th, 2017 便利で機能的という理由で、ホテルを利用することが多い現代。でも、歴史のある木造建築の和式旅館の良さを見直したいもの。文化財指定を受けた建物は、当時の職人技が凝らされており、この先同じように造ることは出来ないからです。 信州別所温泉 旅館 花屋 大正6年創業の有形文化財指定の全43室の宿。第39回プロの選ぶ日のホテル・旅館100選「もてなし部門」「総合」で受賞。2013年トラベラーズチョイスアワード受賞。 大正モダンの世界へ 玄関を入って正面にあるのは、宮大工が建てたロビー。タイムスリップへの旅へいざないます。 ©旅館 花屋 趣のある回廊 総面積6500坪の敷地内に点在する建物を結ぶ渡り廊下。庭を眺めながら通る、この廊下を見る為に訪れる価値ありと評価高し。 ©旅館 花屋 一番

    【有形文化財指定】古き良き世界へ。「和のロマンを紡ぐ名旅館」3選
  • 藤原京南端に最大級建物 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    橿原市の藤原京(694~710年)跡の南端近くで見つかっていた大型堀立柱(ほったてばしら)建物跡が、東西約51メートル、南北約6メートルの藤原京内最大級と確認され、調査した県立橿原考古学研究所が発表した。藤原宮跡でほぼ同規模の建物跡が見つかっているものの、宮域を除くと京内で最大。役所や寺院などにかかわる施設とみられる。 建物跡は2010年、藤原京の右京十一条二坊にあたる場所から出土。これまでの調査で南北6メートル、東西47メートル以上の規模とわかっていた。11月からの発掘で、新たに建物跡の東端部分(約6・4メートル)や塀の柱穴などが確認できたことで建物の東西の長さが特定された。 柱穴は一辺1・3~2メートルで、過去の調査では、底面に30~80センチの石を敷き詰めた珍しい構造が確認されている。柱は抜き取られていたが、痕跡から直径約30センチとみられる。7世紀後半の土器を含む整地層上にあり、藤

    藤原京南端に最大級建物 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 鑑真ゆかりの「波状文様」? 唐招提寺で三彩瓦出土:朝日新聞デジタル

    中国・唐の高僧、鑑真(688~763)が創建した奈良・唐招提寺で、8世紀の奈良時代に作られた、特殊な「奈良三彩(さんさい)」とみられる瓦片が大量に見つかった。寺と奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が9日発表した。唐招提寺でしか確認されていない独自の文様で、鑑真に関連した施設を飾った可能性が指摘されている。 橿考研によると、講堂と西室(にしむろ、僧坊)跡に挟まれた調査地で、軒平(のきひら)瓦(幅22・5センチ、長さ17センチ、厚さ4・5センチ)や丸瓦など、緑と白、褐色の3種類のうわぐすりを施した計65点が出土した。三彩瓦は平城宮や東大寺、西大寺など重要な建物で使われたが、いずれも鹿の体の模様に似た「鹿(か)の子(こ)文様」なのに対し、唐招提寺は3色を波のように塗り分けた「波状文様」でほかに出土例がないという。 平安時代の文献によると、鑑真は境内西北の「大和上室」で暮らしたとされ、死後も肖像が

    鑑真ゆかりの「波状文様」? 唐招提寺で三彩瓦出土:朝日新聞デジタル
  • 世界最古のピラミッドが修復し過ぎで倒壊の危機

    人類最古の石造遺跡・サッカラ遺跡。ここにはエジプト最古のピラミッド「ジェセル王の階段ピラミッド」があります。この今から4600年前に造られたかけがえのない世界遺産がなんと、政府が「修復」を委託した会社にぶっ壊されていることが現地報道で明らかになりました。 どっかのキリストのような話ですが、これは下手すると犯罪です。Egypt Independentが伝えたところによると、修復関連法では新たに建設する部分を全体の5%未満に留める定めになっているのに、この会社(なんでも遺跡保存事業は今回が初めてらしい!)はその制限を超えて新しい壁や骨組みをこしらえてしまったようなのですね。 「な~んだそんなことか」と思われるかもしれませんけど、記事に出てくる現地の市民運動家たちによれば、この余計なお世話の増改築のせいでピラミッドが崩れてしまう恐れも出てきてるそうなのです。ああ、世界最古の石造物が…。 ご存知の

    consigliere
    consigliere 2014/09/09
    「どっかのキリストのような話ですが」
  • 薬師寺・東塔の心柱が動いた 1300年の歴史で初:朝日新聞デジタル

    明治期以来、約110年ぶりの解体修理が進む奈良・薬師寺(山田法胤〈ほういん〉管主)の国宝・東塔(とうとう、8世紀前半ごろ、高さ34メートル)で8日、塔中心部を貫く「心柱(しんばしら)」が基壇から移された。約1300年の歴史で心柱が動くのは初めて。2019年に落慶予定の修理は大きな節目を迎えた。 12年6月に始まった解体はほぼ終わっており、上下2の木材で接がれた心柱のうちの下部(約17メートル、直径最大約90センチ)だけが残っていた。この日は垂直に立てた状態で台座に載せられ、人力で水平に約10メートル移動させた。内部は長年の劣化で大きな空洞があるため、立てたままの状態で新しい木材で補強する。 解体作業はほぼ終わったが、東… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定

    薬師寺・東塔の心柱が動いた 1300年の歴史で初:朝日新聞デジタル
  • お知らせ : 京都新聞

  • 清酒発祥・正暦寺支援を 大雪で破損資金不足 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    清酒発祥の地と伝わる奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)の正暦寺で堂が破損し、ゆかりの蔵元や日酒のファンらが修復の支援を続けている。24日には同市でチャリティーイベントを開く予定で、「由緒ある寺が元の姿を取り戻せるよう、多くの人の協力をお願いしたい」と呼びかけている。(有留貴博) 正暦寺は平安時代の992年に創建された。室町時代には120の僧坊が立ち並んだという。戦国時代以降、所領が減らされて、いまは塔頭(たっちゅう)の福寿院と大正時代再建の堂が残るのみとなっている。 酒造りは室町時代、多くの寺で重要な収入源になり、15世紀半ばの古文書には、正暦寺の造る透明度の高い「菩提泉」が名酒として人気を集めたと記される。境内には「日清酒発祥之地」と書かれた碑が立つ。 堂が破損したのは大雪が降った2月14日。県内に24年ぶりに大雪警報が出て、市内では最大15センチの積雪を記録した。大原弘信住職

    consigliere
    consigliere 2014/08/23
    関連記事: http://www.yomiuri.co.jp/national/20140829-OYT1T50087.html 「「清酒発祥の地」巡るライバルの危機に募金活動」いい話
  • 延暦寺本堂、60年ぶり改修へ 10年かけ屋根や柱など:朝日新聞デジタル

    天台宗の総山で世界遺産に登録されている比叡山延暦寺(大津市)で、堂の国宝・根中堂(こんぽんちゅうどう)が約60年ぶりに改修される。約10年かける大事業で、修理中も堂を公開する予定だ。2年後の着工を目指して準備している。 延暦寺は標高848メートルの山頂近くにあり「論湿寒貧(ろんしつかんぴん)」と言われる。「論」は経典の意味を論じることで、「湿」はくぼ地にあり湿気が高いことを意味する。 改修される根中堂は幅約38メートルで、高さと奥行きがそれぞれ約24メートル。湿気対策のため土台に高さ50センチまで石を積み、回廊の柱は植物性油に松ヤニを混ぜて塗装する「チャン塗り」と呼ばれる手法でできている。今回の修理は堂と回廊の屋根の葺(ふ)き替えと、朱色が剝落(はくらく)した柱や天井の塗り直しが中心となる。 徳川家光が1642年に再建し… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお

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  • サイト閉鎖のお知らせ | iPhonePLUS

    アプリ開発者の皆様 投稿サイト 『iPhonePLUS』 ですが、 2021年11月30日をもって閉鎖させて頂くことになりました。 ご参加の際に頂きました個人情報ですが、サイト閉鎖をもって消去いたします。 長きにわたりご支援を頂きましたことに、関係者一同、心より御礼申し上げます。 今後も弊社発行の各媒体への変わらぬご愛顧と、一層のご支援ご協力を賜りますよう、 宜しくお願い申し上げます。

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  • 横浜最古の倉庫:文化財指定拒み壊す計画 市側は保全を - 毎日新聞

  • 水無瀬離宮:高台移転示す建物跡 大阪・島本 - 毎日新聞

  • 飛鳥京跡苑池 中島周囲に柱穴跡100本 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    飛鳥時代の宮殿に付属した国内最古の格的庭園跡、明日香村の飛鳥京跡苑池(えんち)(国史跡・名勝)で、南北二つの池のうち南池に浮かぶ中島の周囲から約100の柱穴跡が、県立橿原考古学研究所の調査で確認された。皇族らが儀式や宴(うたげ)で利用した舞台のような施設があったとみられる。中島の下層からは、7世紀中頃の苑池造成当初とみられる島の痕跡も出土し、同研究所は、苑池の変遷や利用実態を知るうえで貴重な発見だとしている。(守川雄一郎) 2日、橿原市の同研究所であった公開講座で東影悠主任研究員が報告した。 柱穴跡(直径1~1・2メートル)は、昨年度の調査で、南池(東西65メートル、南北55メートル)の中島(東西32メートル、南北15メートル)の周囲から、3~8列並んだ状態で出土した。島からは見つかっておらず、島を覆う舞台のような施設とみられる。7世紀末のうちに設置・撤去され、使用は短期間だったらしい

  • 奈良後半~平安期の瓦窯跡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    飛鳥時代に活躍した渡来系氏族・東漢(やまとのあや)氏の氏寺とされる明日香村の檜隈(ひのくま)寺跡北側で、奈良時代後半~平安時代の瓦窯(がよう)跡を確認したと、奈良文化財研究所が29日、発表した。同寺の瓦窯が見つかったのは初めて。伽藍(がらん)の修理用に築かれたとみられ、謎の多い寺の実態を知るうえで貴重な発見としている。(早川保夫) 講堂跡の北西約50メートルの斜面から出土した。奥行き約2・3メートル、最大幅約1・8メートルで、上部や、火を燃やした焚口(たきぐち)は後世に削られていた。 瓦を焼く焼成室には、炎を全体に行き渡らせる幅約0・2メートル、高さ最大約0・4メートルの畝4が作られていた。奈良時代後半以降に広まった有畦(ゆうけい)式平窯で、広さから一度に数百枚を焼いていたとみられる。 中から、窯の部材に使ったらしい7世紀後半~8世紀初めの瓦のほか、奈良時代の瓦や平安時代の土器が出土して

    consigliere
    consigliere 2014/08/02
    檜隈寺出土瓦 → http://f.hatena.ne.jp/consigliere/20140802172112 (森郁夫氏『一瓦一説』81頁)
  • Barcelona Supercomputing Center

    consigliere
    consigliere 2014/07/03
    19世紀のチャペルのなかにスーパーコンピュータセンターが。
  • 設計図は雲の上 高知の九龍城「沢田マンション」 (上)花咲き乱れる脱法建築

    素人が頭の中で設計し、建築基準法も耐震基準も超越して5階建てのマンションを建ててしまう。その脱法マンションで今も100人以上が楽しく暮らし、行政も半ば黙認――。あり得ないような話だが、そんなマンションが高知市に実在する。4階には池、屋上には畑があり、部屋数は実に70近い。香港のスラム街「九龍城」にも例えられるそのマンションの名は、沢田マンション、通常「沢マン」だ。アヴァンギャルドを象徴するかのような沢マンだが、最近は別の顔も見せつつある。ゴールデンウイークに実際に宿泊させてもらい、沢マンの今を体感した。

    設計図は雲の上 高知の九龍城「沢田マンション」 (上)花咲き乱れる脱法建築