建て替えのため、12月30日にいったん閉館した大丸心斎橋店が、1月16〜17日の2日間限定で、本館1階の店内見学会を開催した。建物は、アメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけた代表作。解体前の建物を目に焼き付けようと、顧客らが訪れた。Twitterユーザーの一人は「売り場が撤去された大丸心斎橋店は広々として、まるでダンスホールのようでした」と投稿した。
◇和田谷遺跡に総柱建物跡 弥生~鎌倉時代の集落跡・ 和田谷 ( わだだに ) 遺跡(浅口市鴨方町六条院西)で、内部にも柱を立てる「総柱建物」跡が見つかった。発掘調査にあたっている県古代吉備文化財センターは、古代の役所が米などの税を保管するために建てた倉庫「正倉」の可能性が高いとしている。(水原靖) 国道2号バイパス「玉島・笠岡道路」の建設に伴い、昨年10月から5450平方メートルを調査。直径約70センチの柱穴跡15個が約1・6メートル間隔で、東西に4列、南北に4、5列並んでいるのを発見した。周囲から大量に出土した須恵器や土師器の破片などから、奈良時代に建てられたとみられるという。 総柱建物は高床倉庫などに見られ、穴から柱の太さは直径20~30センチと考えられる。かなりの重量にも耐えられる構造になっており、同センターは、律令制で「正税」と呼ばれた米などの穀物を入れる「正倉」との見方も示した。
前々回のつづき。 兵馬俑展を見た折に、東博入口に黒田記念館の案内があったので行ってみた。 その前は何度も通っていたが中に入るのは初めて。 道を挟んだ向かいには旧博物館動物園駅の建物が残っている。 博物館動物園駅跡 @上野公園 - 墳丘からの眺め ちなみに写真を撮っていたら中から作業をしているような音が聞こえた。一部ライトが点いているが見えた。特別見学があるかも、と思って検索してみたが見つからなかった。 向かいの藝大の門の内側も工事中だった。 旧博物館動物園駅側から見た黒田記念館正面。 2階正面のイオニア式柱頭の列柱が見事。 柱までカーブしたスクラッチタイルで覆われた手の凝り様。 正面扉上のアーチ。明かり窓には「館念記田黒」と書かれた銅板が埋め込まれている。 正面玄関を横から。 さらに先の建物の角。煉瓦に補修された部分があった。 その奥には背の高い煙突もあった。 以下は公式サイト黒田記念館
「神社神道」を建学の精神に置く浪速高・中学校(大阪市住吉区)で、全国的にも珍しい学院神社の造営が進められている。実は昭和14年から造営されており、今回で3代目。校舎内は「古事記」の世界を徹底的に追求し、神話の世界が随所にちりばめられている。9年間で生徒数を倍以上にさせた「神話が息づく学び舎」を探ってみた。 神々しい光が差し込み、生徒数倍増 建物の中央には「天の御柱(みはしら)」と名付けられた直径1.8メートル、高さ35メートルの円柱が鎮座し、東側には神道祭祀(さいし)で最も重要とされる「大祓詞(おおはらえのことば)」の扁額。隣接する東館との境界部分2階には、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が孫のニニギノミコトを地上界に降りさせた場面を描いたステンドグラス製の「天孫降臨図」(縦2.5メートル、横6.3メートル)が飾られ、神々しい光が差し込んでいた。 学校法人浪速学院が運営する浪速高・中学校
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別表記:旅館にある謎空間、旅館の窓際にある空間、旅館の窓際のスペース 旅館の客間に設置されることの多い「広縁」(ひろえん)を指す便宜的な言い方。 広縁は幅を広く取った縁側のことであり、旅館においては屋外と室内を隔てる空間的演出の他、涼んだり、景色を眺めたり、畳敷きの客室においてソファやテーブルなどの洋風家具でくつろいだりする場所などとして利用されている。
タージマハルがあるインド北部アグラの弁護士6人が昨年、建物はヒンズー教徒に引き渡されるべきだと裁判所に提訴している。弁護士らはタージマハルが本来、ヒンズー教のシバ神に捧げられたものだという「かなりの証拠」があると主張している。
平安時代に兵火(へいか)で焼け、鎌倉時代に再建された奈良・東大寺の東塔(とうとう)が、中国・宋伝来の最新技術で建てられた、国内最大級のものだった可能性が高まった。東塔跡(国史跡)を発掘した寺が19日発表した。奈良時代の創建時より一回り大きく、国内に類例のない規模だったことがうかがえるという。 大仏殿の南東と南西に750~60年代ごろ、東塔と西塔(さいとう)が建てられた。東塔は平氏の焼き打ちに遭い、1227年に再建されたが、1362年に落雷で焼け落ちた。 寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所が、柱を立てる礎石を置いた穴や階段、石敷きなどを発掘。鎌倉時代のものとみられる基壇(きだん、土台)は一辺約27メートル、東西南北の各面が柱間3間の構造で、建物部分が約17メートル四方だった。一方、創建時の階段の端とみられる石も出土。基壇は一辺約24メートルとみられる。 現存する仏塔で最も高い京都
西日本の古代山城が立地する自治体が一堂に集う「第5回古代山城サミット」の記念式典が3日、基山町民会館であった。今年築造1350年を迎えた国指定特別史跡「基肄(きい)城」を保全し、まちづくりに生かしていく決意を新たにした。 式典には7県22自治体の関係者ら約800人が参加した。
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◇5世紀後半 床暖房「オンドル」遺構も ◇高取・森ヲチヲサ遺跡 高取町の森ヲチヲサ遺跡で、約13・5メートル四方の大壁建物跡(5世紀後半)が見つかり、同町教委が30日発表した。朝鮮半島由来とされる大壁建物としては全国最大級。同半島の床暖房「オンドル」とみられる遺構も出土し、渡来人の有力者の建物とみられる。(早川保夫) 大壁建物は、並んで立てられた木の柱を塗り込めた厚い壁が特徴。防寒や防御に優れているとされる。同町内では約40例確認されている。 5月から約500平方メートルを調査した結果、大壁建物跡の全体が出土。長さ13・5メートルの溝(幅約50センチ)で囲まれ、中に直径約20センチの柱穴が約50センチ間隔で並んでいた。建物東側には石敷きがあり、溝も約3メートルにわたって途切れているため、その辺りに建物の入り口があったらしい。 また近くでは、約1・1メートル四方の穴と、そこから建物内の西に延
久留米市は20日、同市田主丸町益生田(ますおだ)の益生田古墳群で、679年の筑紫国地震で倒壊したとみられる円墳4基が出土したと発表した。ほぼ真下を震源の水縄(みのう)断層が走り、壊れた土器と地震の年代がほぼ一致したという。識者は「被害の規模や範囲を解明する上で貴重な資料」と注目している。 筑紫国地震は日本書紀に記され、被害状況が記録された国内最古の地震とされる。断層の長さは、うきは市から久留米市に至る約20キロで、阪神大震災に匹敵するマグニチュード7・2の規模と推定されている。筑後地方の古代遺跡でも地割れや液状化などの痕跡が多数見つかっている。 益生田古墳群は6世紀後半の築造で、耳納山麓に100基以上あるという。1980年から調査が始まり、第4次となる今回は私有地の造成に伴い、昨年6月から発掘を開始。直径10メートル前後の円墳4基が出土し、いずれも遺体を安置する玄室の石組みや石柱が北側に傾
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