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歴史・現代に関するemiladamasのブックマーク (38)

  • 「史上最大の殺人事件」は氷山の一角? - Apeman’s diary

    (実際にアップロードしたのは8月30日です) 「少年犯罪データベースドア」さんが、「史上最大の殺人事件」として戦艦陸奥の爆沈事件を紹介しておられる。 昭和18年6.8、瀬戸内の連合艦隊基地である柱島泊地にて、停泊中の戦艦陸奥が爆発して一瞬のうちに沈没、乗員1474人のうち1121人が死亡しました。 戦時中の出来事ですが、敵の攻撃による爆沈ではありません。戦争とは関係がなく、これは明らかに殺人です。 事件を詳細に調べ上げた吉村昭『陸奥爆沈』を読むと、艦内で窃盗を繰り返していた二等兵曹が、捜査の手が伸びてきたことを察知して火薬庫に忍び込んで火を放ったことは間違いないと思われます。 こうした事例は陸奥だけではなかった。大江志乃夫の『天皇の軍隊』(「昭和の歴史3」、小学館)によれば、「日の主力艦は太平洋戦争までは、戦争で沈んだものより、爆沈の方が多い」という。例えば日露戦争時の連合艦隊旗艦三笠は

    「史上最大の殺人事件」は氷山の一角? - Apeman’s diary
    emiladamas
    emiladamas 2010/08/30
    あと、1908年に巡洋艦「松島」が爆沈している。
  • 時代の風:戦前の「戦後」構想=東京大教授・加藤陽子 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇破滅招いた「先物買い」 夏ともなれば、仕事の合間には高校野球を見る。炎天下の試合が球児の健康に良くないのはわかっているが、故郷にゆかりのあるチームの活躍を目にするのは、文句なく楽しい。日ごろ、日近代史、特に昭和戦前期の外交を研究しているので、高校野球を見るにつけても、つい不謹慎なことを考える。例えば、試合開始直後、あざやかなリードを決めながら、中盤で同点に追いつかれ、次いで投手が崩れ、最後には大差で敗北した試合などの場合には。 不謹慎な考えうんぬんというのは、負け始めた時の投手の感情の暴走に、どうしても目がいってしまうのだ。勝ってほしいと念じつつ見ているのだから、投手の自壊ぶりが残念に感じられるのは、わかっていただけるだろう。だからつい、日人の負けっぷりを一般化してみたくもなる。「失敗の質」(戸部良一ほか著、中公文庫)という名著もあるのだから。 「失敗の質」は意表をつくだった。

  • 戦艦「長門」が被弾、床には艦長の首が・・・ ある海軍中尉の太平洋戦争記 | JBpress (ジェイビープレス)

    今から65年前の1945年8月15日正午――。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世のために太平を開かんと欲す・・・」 ラジオから流れてきた天皇陛下の玉音放送を、松太助・海軍中尉は青森県・大湊の陸上輸送部隊で聴いていた。途切れ途切れでよく聞き取れず、「陛下が『堪え難きを堪え』とおっしゃるのだから、もっと頑張れということなのか・・・」と首をかしげた。 だが放送後、上官から「今の放送は終戦の詔書である」と教えられ、松中尉は「当に戦争が終わったのか? 自分は助かったのか?」と自問自答を繰り返した。既に兄と弟は戦死していた・・・ 軍国主義を叩き込まれ、商船学校から海軍士官に 松 太助氏(まつもと・たすけ) 1922年8月京都市出身 44年9月神戸高等商船学校卒、海軍少尉 11月空母「海鷹」 45年1月戦艦「長門」 5月駆逐艦「初桜」 6月海軍中尉 復員・石炭輸送業務を経て49年海上保安

    戦艦「長門」が被弾、床には艦長の首が・・・ ある海軍中尉の太平洋戦争記 | JBpress (ジェイビープレス)
  • 東京新聞:爆撃中止の指令、願ったが 熊谷空襲の元米兵:社会(TOKYO Web)

    2007年7月、熊谷空襲被害者の新井賢二郎さんは、米イリノイ州カンカキー市で、元B29機長のビビアン・ロックさん(右)と初めて対面した(新井さん提供) 「われわれは攻撃目標に向かっているのに、ニューヨークでは対日戦勝を祝っている」−。埼玉県熊谷市の市立熊谷図書館で開かれている戦後六十五周年企画展で、終戦前夜の熊谷空襲に参加した元米軍パイロットの証言と資料が初公開されている。提供したのは、空襲被害者の新井賢二郎さん(76)=中国広東省在住。証言は、元パイロットとの交流を通して得られたものだった。 (さいたま支局・柏崎智子) 一九四五年八月十四日の深夜、新井さんは十一歳で熊谷空襲に遭遇。B29爆撃機の轟音(ごうおん)が響き渡り、青白く光る焼夷(しょうい)弾が家々を焼く中を逃げ延びた。市街地の星川には多くの遺体が浮き、友人の変わり果てた姿もあった。

  • asahi.com(朝日新聞社):空母「赤城」の艦内新聞見つかる 戦況記事に並び娯楽も - 社会

    「赤城新聞」を手に取る小田原豊さん空母赤城の艦内で1931年に発行された「赤城新聞」の一部  太平洋戦争で旧海軍機動部隊の旗艦を務めた航空母艦「赤城」。その艦内で昭和初期に印刷され、乗員向けに発行された新聞が見つかった。満州事変をきっかけに日中が戦火を交え始めた時期にあたり、厳しい訓練の合間に、乗員たちが紙面にささやかな娯楽を求めた様子が伝わってくる。  見つかったのは、1931(昭和6)年5月から10月までの日刊紙「赤城新聞」。B4判大のガリ版刷りで、日々のニュースや訓練報告のほか、国防意識を高めるための訓示、川柳や詩などの投稿を掲載している。  埼玉県在住の小田原豊さん(47)が今年5月、茨城県内にあった祖父長造さん(故人)の実家を取り壊した際、押し入れから見つけた。小田原さんは人気ロックバンド「レベッカ」で活躍したドラマー。  長造さんは航空整備兵として、赤城のほか空母「加賀」などに

  • 太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス

    太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス
  • ETV特集 安保とその時代(1) - Arisanのノート

    敗戦の直後、朝鮮戦争の勃発までは「全面講和」「アメリカとの同盟反対」が多数意見だったのに、朝鮮戦争の勃発で世論がまるっきりひっくり返ったという話。 戦争を経験して、気で平和を願ってた人は多かっただろうし、「平和問題談話会」の人たちの努力も学ぶべきところが多いのだろうとは思う。それを否定しようとは思わない。 でもやっぱり、隣の朝鮮半島、それも自分たちが戦争に負けるまでは植民地支配していて、その独立に手を貸したわけでもない国の人たちが、あれだけ大量に目の前で死んでいるというのに、その現実をどうするのかという視点を欠いたところで自国の「平和」を語ったり、安全保障の行方を決めたりというのは、そもそもまともな結果を生み出せるわけがないと思う。 だから日の世論が全面講和やアメリカとの同盟の支持に動いていったこと、それに反発する場合も、ナショナリズム的な傾向を免れなかったこと、「平和勢力」が十分な抵

    ETV特集 安保とその時代(1) - Arisanのノート
    emiladamas
    emiladamas 2010/08/05
    ケナンの「条約による日本の軍事基地化は(基地の負担で)将来の日米関係に影を落とす」というのが印象的でもっと掘り下げて欲しかった。ケナンも50年後の日本人がアレなフリーライダーばかりとは思わなかったろう
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • NHK プロジェクト JAPAN「日本と朝鮮半島」~ 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後 ~ について、在日からの感想 

    NHKで7/25の21時から放送されていた プロジェクトJAPAN「日と朝鮮半島」 ~ 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後 ~ 放送中および放送後に わたしの TL で見られたツイートを中心に。 (@sophizm さん、すみません(^^;) 続きを読む

    NHK プロジェクト JAPAN「日本と朝鮮半島」~ 第4回 解放と分断 在日コリアンの戦後 ~ について、在日からの感想 
  • asahi.com(朝日新聞社):ミグと共に瀋陽へ 教え子は「撃墜王」に ソ連兵の朝鮮戦争(下) - 月替わりルポ - 週刊アジア - 国際

    60年前の出来事を詳細に語る元ソ連空軍パイロット、ニコライ・モトフさん=モスクワ州コロムナ市、西村写す元ソ連空軍パイロット、ニコライ・モトフさん。朝鮮戦争開戦直前に撮影中国にあるソ連のパイロットの墓。ニコライ・モトフさんの戦友も眠る=遼寧省大連市旅順口区、西村写す   ※写真をクリックすると拡大します  「明日、私服に着替えて列車に乗るように」  モスクワ州コロムナ市在住のニコライ・モトフ(89)は1950年5月、突然、上官から命令を受けて列車に乗った。モスクワに近いカリーニン(現トベリ)にあった航空師団の戦闘機パイロットだった。  部隊に配備されていた約40機の戦闘機「ミグ15」も分解されて貨物列車に積み込まれた。当時の最新鋭だ。ワイシャツなどが政府から支給された。行き先も任務も一切不明だった。極秘の指令だと悟った。  シベリア鉄道を東へ走り、1週間後に着いた場所は中国・瀋陽。街では無数

  • asahi.com(朝日新聞社):戦果も戦死も極秘 北朝鮮軍機装い空中戦 ソ連兵の朝鮮戦争(上) - 月替わりルポ - 週刊アジア - 国際

    朝鮮戦争当時の空中戦を振り返るエフゲニー・ペペリャエフさん=モスクワ、西村写す   ※写真をクリックすると拡大します  北朝鮮韓国、それぞれの後ろ盾となった中国軍と米軍がぶつかった朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)から60年を迎えた。だが、ソ連のパイロットが参戦していた事実はあまり知られていない。第3次世界大戦を誘発しかねないソ連軍の参戦は極秘にされ、パイロットはカムフラージュを施して身分を隠した。近年、ようやく明らかになってきたソ連人パイロットらの活動の軌跡を追った。  昨年末に全面的に対外開放された中国・旅順(現・大連市旅順口区)に、ロシア人墓地がひっそりと横たわる。その片隅に、赤い星を飾った墓石がずらりと並ぶ。戦闘機の彫刻が施され、死亡年はいずれも1950年から53年。朝鮮戦争で戦死した202人のソ連人パイロットの墓である。彼らとともに米軍機と空中戦を繰り広げた元パイロットが、ごく少数ながら

  • 横浜に抑留されたオーストラリア人看護婦

  • ベルリン封鎖 - Wikipedia

    原文と比べた結果、この記事には多数の(または内容の大部分に影響ある)誤訳があることが判明しています。情報の利用には注意してください。正確な表現に改訳できる方を求めています。 西ベルリンのテンペルホーフ空港に物資を空輸してきたC-54輸送機を見上げるベルリン市民 ベルリン封鎖(ベルリンふうさ、ドイツ語: Berlin-Blockade)は、第二次世界大戦終結後の1948年6月、ソビエト連邦政府が、西ドイツの西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した事件である。冷戦初期を象徴する出来事である。 背景[編集] 分割統治[編集] 連合国各国に分割占領されたドイツ ソ連占領地域内にある首都ベルリンは、別途4か国で分割占領された 1945年7月17日から8月2日まで、戦勝国は戦後ヨーロッパの構想をポツダム協定に基づいて、オーデル・ナイセ線の西側を4つに分割し、4か国で臨時統治することを決めた。その4

    ベルリン封鎖 - Wikipedia
  • WAR MEMORIALS IN CHIBA

    千葉県の戦争遺跡を紹介するHPです。二度と戦争の惨禍を繰り返さないための資料として、老兵が作成しました。

  • 2010年3月16日: 琥珀色のノート

    まずは告知です。3月1日より、半額にて販売しておりますシックス・アングルズ第10号 『パウルス第6軍』 ですが、私の手元に残っている出荷前在庫が、あと残り15冊となりました。割引販売をスタートする前の在庫は、140冊でしたので、予約も含めると半月で125冊が売れた計算になります。お買い上げくださった皆様、ありがとうございました。 『歴史群像』誌次号の巻頭記事「バグラチオン作戦」の執筆も無事に完了し、今週は文庫 『ポーランド電撃戦』 の地図の残りと付録制作に戻りますが、今回はこの文庫執筆に際して集めた資料の中から、ちょっと珍しいと思われる品を、ご紹介します。 一見すると手帳のようなこの品は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期(約20年)に存在した「ダンツィヒ自由都市」発行のパスポートです。ポーランド側の呼称では「グダニスク」と呼ばれるこの都市(およびその一帯)は、歴史的にポーランドと

    2010年3月16日: 琥珀色のノート
    emiladamas
    emiladamas 2010/04/10
    「ダンツィヒ自由都市」について。
  • アジェンデ 最後の演説 チリ・クーデター (日本語字幕付) Salvador Allende ultimo discurso

    1973年9月11日、軍のクーデターで非業の死を遂げたチリ大統領サルバドル・アジェンデ。大統領府を反乱軍に包囲された中での最後のラジオ演説。日語字幕付 Ultimo discurso de Salvador Allende durante golpe de estado, 11 de septiembre, 1973. Con subtitulo japones

    アジェンデ 最後の演説 チリ・クーデター (日本語字幕付) Salvador Allende ultimo discurso
  • ヒトラー暗殺未遂から65年 ドイツで式典 - MSN産経ニュース

    20日、ベルリンにあるヒトラー暗殺未遂事件の記念碑にささげられた花輪のリボンの形を整えるドイツのユング国防相(ロイター) 第二次世界大戦末期にドイツ軍の将校グループがナチス総統ヒトラーの暗殺を企てた「ヒトラー暗殺未遂事件」の65周年を記念するドイツ政府主催の式典が20日、ベルリンで開かれた。日でも今年、事件を描いたトム・クルーズさん主演の米映画「ワルキューレ」が公開され、注目を集めた。 将校グループは1944年7月20日、戦争の早期終結を目指し、東プロイセン(現ポーランド領)にあった総統大営でヒトラーの爆殺を試みたが失敗し、多くの関係者が処刑された。 メルケル首相はこの日、連邦議会議事堂前で「ナチズムに抵抗した少数の人々の尊厳と名誉は保たれてきた」と演説した。 クルーズさんは映画で、爆弾を仕掛けたかばんをヒトラーの足元に置いた陸軍大佐を演じた。(共同)

  • ホロコーストの基礎知識について - Danas je lep dan.

    これを読んで,何だか気の毒になってきた。 私自身は、未だ明確に、自身を「修正主義者」だと考えているわけではないですが(「はてな村」では既にそうだと決め付けられていますが)、ルドルフも言うとおり、何十年も「ホロコースト正史」に何の疑いもなく生きてきました。ごく普通の生育暦です。ところが、そんな平和な常識を根底から覆す「修正主義」の学説に触れれば、「え? どういうこと?」と思って、好奇心が沸き起こり、その学説を夢中で読みふけったとしても、人間の好奇心のありようとして、いかにも自然だと思います。むしろ、自分が常識として知っていることを書いてある書物を夢中で読む人がいたら、ちょっと変わっているんじゃないでしょうか。むろん、「正史」と、それへの批判を、比較検討するのであれば、両者の見解を調べる必要があるのは自明です。 でも、とりあえず、「修正主義」の学説が、好奇心をそそるので、そっちから読みます。幸