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哲学に関するhennoのブックマーク (2)

  • pooneilの脳科学論文コメント: 盲視でおこる「なにかあるかんじ」

    ■ 盲視でおこる「なにかあるかんじ」 南山大学哲学セミナーというので話をしてきました。心の哲学の鈴木貴之さんのラボのサイトでの報告。話の内容はそれなりに哲学者向けにチューンしてみたんですがうまくいったかどうか。 トークの内容だけど、神経生理学と信号検出理論を除外して、そのうえでGoodale & Milnerの話とかを入れて脳の回路についての入門をしっかり話して、Noe & Hurleyの話やらスーパー盲視の話とかを入れて哲学的なところに繋げてみました。 それでは、トークの最後の考察の部分のスライドを再録してみましょう。ちょっとしたオンライン講義録です。(追記1/28: 元のエントリでは前提をはしょりすぎていたので「なにかあるかんじ」についての説明を加えておきました。) [盲視でおこる意識経験] 第一次視覚野を損傷した患者で見られることのある「盲視」では、脳損傷によってできた視野欠損(端的

  • pooneilの脳科学論文コメント: グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ

    ■ グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson)の「精神と自然」まとめ Chap.2 学校の生徒だったらみんな知ってる 認識論についてのベイトソン流「基礎の基礎」。 科学は何も証明しない。 科学は過程を向上させたり反証を加えることはできるが、それ自身の正しさを証明することは出来ない。これはポパーの考え方と同じ。オッカムの剃刀でより単純な答えを正しいと思っているだけ。原文ではこういってる。"Science probes; it does not prove." 地図は土地は別物。名前と名付けられたものは別物。 記号論。シニファンとシニフィエ。 客観的経験というものはない。 経験とは全て主観的なものである。足を踏まれたときに経験するのは「足を踏まれたこと」そのものではなくて「神経報告を元に再構成された足を踏まれたことに対する私の印象」である。 イメージの形成は無意識過程である。 我

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