タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

意志に関するhennoのブックマーク (2)

  • 脳の中の意図 - スウィングしなけりゃ脳がない!

    風も自分の思いのままに吹いているが、あなたはその声をきいても風がどこから来てどこへ行くかを知るまい。霊から生まれた人もそれと同じである。 ヨハネ福音書第3章 1-8 当の自由意志を理解する鍵は、奥深くにある何か特別な塊の中ではなく、文化に囲まれ、社会化され、相互作用し、認識しあう、主体としての人間の無数の関係の中にこそ自由意志が宿ることを知ることだ。紐を操る人形師に全ての力を詰め込んでしまうデカルトの誤謬を古い伝統は犯している。この内側の主体を消し去って、その任務を脳全体のみならず、身体や、「外界の」文化貯蔵庫 ―ミーム、それからほんの少しの (人間の) 友人たちの助け― の中に分散させてしまえば、僕たちは自由意志を消し去る必要なんてないのだ!僕たちは自由意志を時空間の中に分散した現象として見做すこともできる。 Daniel Dennett "Some observations on t

    脳の中の意図 - スウィングしなけりゃ脳がない!
  • 前田修吾卒業論文「システムにとって意図とは何か」

    システムにとって意図とは何か 前田 修吾 意図と行為の関係は因果関係であるという、古くからある常識的な説明は、デイヴィドソ ンが主張するように、正しいのだろうか。車のエンジンをかけたり、散歩をしていて、ふ と空を見上げたり、といった行為すべてに、行為に先行する意図というものが存在するの だろうか。 論ではシステム論的な観点から意図と行為の関係を明らかにしたい。 伝統的な行為概念 意図と行為の関係を論じる前に、まず、後期ウィトゲンシュタイン以前の伝統的な行為概 念について触れておきたい。手を上げる、新聞を読む、ビールを飲む、などはいずれも行 為である。一方、石につまづく、寒さにふるえる、などの単なる身体的な振舞いを行為と 呼ぶことはできないだろう。では、行為と振舞いを区別するものは一体何だろうか。行為 とは一体何であるのか。 伝統的な行為概念では、振舞いに先行する意図が、その振舞いの原因を

  • 1