アニメの歴史を語るときにヤマトが出てきてつぎにガンダムが出てきてアニメブーム到来!って感じで語られるけど5年も空いてるやん その5年間、なにやってたんや 5年ってめちゃくちゃ長いやんw ヤマトが当たってつぎにガンダムが当たる5年間、なにやってたの? 闇すぎないか
2021年9月30日追記 わとそん氏が1963年の『仙人部落』と1928年の『Bright Lights』を紹介されています。 https://twitter.com/doctoruwatson/status/1441271625161183234 https://twitter.com/doctoruwatson/status/1442486462616784902 2020年11月9日更新 先週、ほうとうひろしさんが『Tokyo Woes』を紹介されていたので、「1945年に乳揺れ描写をしているという点でもアニメ史的に重要ですね」とリプライしてみたところ、数時間後には1940年代の【アニメにおける乳揺れ表現の歴史】という連続ツイートが出来上がっていました。 https://twitter.com/HiroshiHootoo/status/790962071206637570 ▼ 去年「
乳揺れ:おっぱいが揺れる様。またその表現。 *はじめに 今日のアニメでは当たり前のように揺れ動くおっぱい。2000年以降、乳揺れのあるアニメは枚挙に暇がありませんし、乳揺れにトコトンこだわったという作品(『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』(2010年))や乳揺れフェティシズムを前面に押し出した作品(『いっしょにとれーにんぐ TRAINING WITH HINAKO』(2009年))が存在するほど、その表現は定着しています。また不知火舞、SRWシリーズ、デッドオアアライブシリーズを代表とするゲームでも、乳揺れは珍しいものでは無くなっています。 さて、みなさんは、この表現が沢山の偉人による偉業のおかげということをご存知でしょうか? その歴史的偉業は各所で折に触れ語られますが、本稿もその一つとして筆者の知る限りの説をお伝えするものであります。 *宮崎駿と乳揺れ――発見
必要があって、常見陽平の「ちょいブスの時代」をいうのをざっと読んだ。単に芸能人にちょっとブスなのがいるというネタを膨らませただけだが、恋愛論史も入っていて、当然論及されてしかるべき「もてない男」が無視されていなければ、私も駄本とまでは言わなかったであろう。 その中に、「宇宙戦艦ヤマト」について、最初の放送は人気がなかったが、再放送を繰り返しているうちに人気が出て、という記述があった。間違いで、最初の放送から女子中学生を中心にコアなファンが生まれ、ファンクラブ活動が熱心に続けられて映画化・再放送、第二作製作となったというのが正しい。常見は「ヤマト」放送年の生まれだが、よく調べはしなかったんだな。
悪いのは手塚治虫? 日本のアニメについて語られるとき、そこで働く人たちの低賃金が問題になる。 アニメが好きでその仕事をしているので、いわゆる「やりがい搾取」になっている、と。 それはアニメのみならず、映像の世界全体に言えるようでもある。 しかし映像全体であれば、不況でテレビ局の業績がどうこうとか、とくに特定の個人のせいにはされないが、アニメに関しては、いまだに「手塚治虫が『鉄腕アトム』を安く作ったおかげで、アニメーターは低賃金になった」と、亡くなって30年が過ぎている手塚治虫のせいにされている。 本当にそうなのだろうか。 ひとは断片的な「事実」をもとに、「物語」を捏造してしまいがちだ。 手塚治虫疫病神説もそのひとつであり、この「誤った歴史」を拡散させたひとりが、宮崎駿である。 1989年に手塚治虫が亡くなったとき、マンガ専門誌「Comic Box」1989年5月号、「特集 ぼくらの手塚治虫
日本動画協会のアニメ産業レポートに関わったとき、「○○周年」と再需要を喚起する動きを「アニバーサリービジネス」と名づけた。特に2010年以後は総称が必要なぐらい、そういう動きが多くなった。もちろんこうした足跡を振り返る行為は普遍的なもので、世界的な傾向でもある。 一方で、これに反対する動きも当然存在する。ある著名監督は「そんなものは単なる時の目盛りで意味がない」と取材中に斬り捨てていた。クリエイターには未来を切り拓くための「いま」しかない。振りかえるヒマはない。そういう趣意だろう。「毎年何かやらなければならなくなる」という別の意見も聞いた。たしかに去年「ガンダム40周年」をやったばかりで、逆に今年の「イデオン40周年」には若干の抵抗も感じてしまう。 すべては発想次第だ。たとえば「研究」の基本「文献調査」という観点で「1980年」を見ると、意外なことに気づく。この年に創刊されたアニメ雑誌が存
一時代を築いたスタッフが抜けてカラーやトリガーといった新会社をつくり、のれんをわけるようにガイナックスの名前をつかう小さな会社も乱立して、数年がたつ。 そして、ほとんど名前しか残っていないガイナックスの新社長に就任したばかりの男性が、今月頭に逮捕された。容疑段階とはいえ、ひどい性的加害と思わざるをえない内容*1が報じられている。 www.jiji.com 多くの報道でアニメ企画・制作会社と紹介されているものの、この新社長が就任してからは、まとまったアニメ作品は発表されていない。 それもあってか、会社が過去に手がけて最も有名だった作品名『新世紀エヴァンゲリオン』の名前が報道によく使われている。 そこで別会社をたちあげてシリーズ新作をつくっている庵野監督が、作品は現在のガイナックスと無関係と強調する文章を寄稿していた。 diamond.jp 『新世紀エヴァンゲリオン』を中心に、もともと監督は他
アニメは平成の30年間で何が変わったのか - 望遠鏡と虫眼鏡 平成アニメの30年(1) | マイナビニュース こちらのコラムを読んでたら、アニメの中で他に何が変わっていっただろうと自分も考えてみたくなった。表現に目を向ければ大きく変わったのは通信機器の登場と、それに伴うコミュニケーションの描かれ方ではないかと思った。 「平成も短かかっただろ」って思ってたけど、平成初期の携帯電話と平成末期の携帯電話を見比べたら気絶しそうになった pic.twitter.com/1jMTz7RQ7e— まがみ (@ma_gami) 2018年6月1日 今や現代が舞台のアニメなら(アニメに限らないけど)、どれを見ても登場人物が携帯を持っている。むしろ持っていないと、何か特別な事情や設定があるのでは? という方向に考えてしまう。それだけ携帯は日常に欠かせないものになった。 ……なんていう話はさておき、平成が終わっ
2018年、日本のアニメ雑誌御三家のなかで最も古い「アニメージュ」が、創刊40周年を迎える。これを機会に、3回にわたって、アニメのあり方とともに変わっていくアニメ雑誌の変遷を見ていく。第1回の本稿では、アニメ雑誌の起こり、「アニメージュ」とはどのような雑誌だったのか、その後のアニメ雑誌の状況を紹介する。 「アニメージュ」1978年7月号(創刊号)表紙 日本におけるアニメ雑誌の成り立ち アニメ雑誌はどのように始まったのか。 日本最初のアニメーション専門誌は「ファントーシュ(FANTOCHE)」で、1975年10月に創刊された。1975年にアヌシー国際アニメーション映画祭に赴いた、東京アニメーション同好会(アニメーターを中心に発足した研究団体。略称「アニドウ」)のなみきたかしが、現地の専門誌「FANTASMAGORIE」を見たことがきっかけだった。「FANTASMAGORIE」は、アニメーショ
再考・『涼宮ハルヒの憂鬱』のどこが新しかったのか - シロクマの屑籠 p_shirokuma氏に記憶を刺激されたので、『涼宮ハルヒ』シリーズのいちファンとして、個人的にも振り返ってみたいと思う。 『ハルヒ』に新しさはあったか?大ヒットした作品には「総決算」タイプと「新開発」タイプがあると考えている。 すなわち、過去の流行を上手くまとめたものと、新しい流行を提示するものである。 原作の『ハルヒ』はまさしく総決算タイプだと言えるだろう。 80年代・90年代のジュブナイルSFや超能力ものをベースに、 きわめて表面的かつ類型的な萌え要素を配置したものが『ハルヒ』である。 西尾維新のように、萌えを理解した上で過去の作品を換骨奪胎するのではなく、 ベタに古いものをやりたいので萌えをまぶして新しくみせかけた、といった印象を受ける。 『ハルヒ』にフォロワーはいるか?2000年代に猛威を奮った『月姫』や『戯
一つ前の記事で百田が「もしかするとゲームで乳揺れした史上初ではないか」と書いたけれど、そのあといろいろ調べて、『イースⅠ・Ⅱ』で百田が作ったリリアの乳揺れは、ゲームでいわゆる乳揺れをさせた最初である可能性が極めて高いという結論に達したので、ちょっと調べた結果のメモを残しておきたい。 まず、百田が「乳揺れは実は『トップをねらえ』を参考にした」というので、びっくりして調べたら確かに『トップをねらえ』は1988で、参考に出来たということはわかった。 では『トップをねらえ』以前に「アニメやゲーム、特にアニメで乳揺れという表現はあったのか?」というのが次の質問になる。 『トップをねらえ』の乳揺れに話を限るなら、そのオリジナルは、製作スタッフが大きく重なる『DAICON IV(1983)』アニメに行きつく。 それが何かを参考にしたのかはわからない。 ではそれ以前に、乳揺れはあったのか? と質問をすると
機動戦士ガンダムの本放送は1979年4月から1980年3月まで。 当時自分は小学3年生で、たまに観ていたけど、全然、ピンとこなかった。後番組のトライダーG7はすごく好きだったけどね。 当時のロボットアニメのフォーメーションと全然違っていたから、小学生には理解が追い付かなかったんだと思う。 親戚のお姉さんちに行った時に部屋に「ジュ」があって、ガンダムの資料を集めていたのを覚えている。 高校生くらいがコアファンだったんじゃないか? それも女性ファンが多かったのかなあって思ってる。 で、1980年の10月に、引っ越したんだけど、引っ越した先でガンプラがはやってたのね。 なんでもう終わったアニメのプラモがはやってるの?ってびっくりしたのを覚えてる。 その頃から、リピート再放送してたから(朝と夕に)、1980年の秋くらいにはもうブームになっていたはず。 社会人が一般常識として知るようになったのは翌年
名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 君縄さあああああああああああああああん 名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 10年代の代表アニメがまどマギに決まったようだね 名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 また片隅が勝ってしまったか 名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 240億稼いでも代表に選ばれない君縄 名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 楽園追放すげえな 名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 イノセンスはあるのにGISはないとか 名前:名無しさん投稿日:2017年03月27日 君の名はって確かに売れたけど 社会現象と呼ばれるには何か足りない気もする。 シン・ゴジラとかこの世界の片隅にとかもそうだけど。 せめてそのコピー作品が出ないかぎりにはなんとも。 名前:名無しさん投稿日:2
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