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差別と増田に関するkareluのブックマーク (2)

  • 弱者には反差別に乗るメリットがない

    もちろん、差別解消というのがモラルや人権の問題ということは承知しているが、 メリットで考えると、残念ながら弱者ほどそのインセンティブに乏しいと言わざるを得ない。 強者であればわかりやすい。反差別に乗れば、自分が正しい人間であることを大いにアピールできる。 政治家であれば、票を集めることだってできる。だが弱者がそれをやって何か意味があるだろうか。 また、強者は例えばLGBT向けのサービスを展開し、ビジネスチャンスをつかめるかもしれない。 だが、弱者は従業員としてLGBT向けの(従来の感覚で言えば変な)サービスに対応させられても、 それで出た儲けが自分たちまで実感を持って十分に行き渡るなんてことは、おそらくないだろう。 それで済むならトリクルダウンをバカ正直に信じていればいいのだ。 彼らに優しくしていれば、いつか自分たちにも回ってくると言われることもある。 確かにそうなのだろうが、そういう物言

    弱者には反差別に乗るメリットがない
  • 「差別する自由」はある

    イスラム教のモスクに、酒や豚肉を持ちこもうとしたら拒否されるだろうし、女性が露出の多いファッションで入ることも拒否されると思う。 ここではイスラム教の価値観が絶対視されていて、それにもとづく作法が強制されている。異教徒は客人として扱われ、その作法に従わないときは排除されるだろう。これは「差別」である。 私は他者危害にならないかぎり「差別する自由」を擁護する。イスラム教徒がモスクの中で異教徒を差別してよいと思っているし、それは当然だ。 同様に、キリスト教の教会はキリスト教徒のために存在し、仏教の寺院は仏教徒のために存在すればよい。そこに市民社会のルールを持ちこむべきではない。 大切なのは政教分離の徹底と、信教の自由である。 「嫌なら出ていけ」「差別されたくないなら退去せよ」というのが原則だろう。 参考 「差別からの自由」は「差別する自由」に優先する。よって「差別する自由」などというものはない

    「差別する自由」はある
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