この図は、民俗学者の間で「南方曼荼羅」と呼ばれているものである。この奇妙な図を南方熊楠は、土宜法龍宛明治36年7月18日付書簡の中で描いて見せた。この書簡の中で熊楠は、例の通り春画やらセックスやらとりとめのない話題に寄り道をした挙句に突然仏教の話に入るのであるが、この図はその仏教的世界観(熊楠流の真言蜜教的な世界観)を開陳したものとして提示されたのであった。 熊楠は、仏教は耶蘇教や回教とは異なる独自の世界観を持っているということを強く自覚していた。その仏教のうちでも小乗仏教は単に個人の救済を目的としている点で矮小なものであり、真に仏教といえるものは人類全体の救済を目的とする大乗仏教である。しかし大乗仏教の中でも禅などは、個人の「さとり」に重きを置いている限りにおいて、小乗仏教と五十歩百歩というべきである。真言密教こそが大乗仏教の神髄と言うべきであって、それは真言密教が、我々が生きているこの