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Haiti_Earthquakeに関するkenken610のブックマーク (51)

  • ハイチ大地震から2年、進まぬ復興 50万人がテント暮らし

    20万人以上が犠牲となった2010年のハイチ大地震から、12日で2年を迎えた。 だが、倒壊した大統領府、議会その他の主要な建物は今もがれきのまま。50万人超が住む家を失い、首都周辺の避難キャンプ800か所に身を寄せ合って仮設テント暮らしを強いられており、復興は遅々として進んでいない。2010年11月に発生したコレラも収束しておらず、これまでに7000人が死亡している。 写真は、首都ポルトープランス(Port-au-Prince))北方の丘に十字架を建てて大地震の犠牲者を悼む人々(2012年1月12日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【1月13日 AFP】20万人以上が犠牲となった2010年のハイチ大地震から、12日で2年を迎えた。 だが、倒壊した大統領府、議会その他の主要な建物は今もがれきのまま。50万人超が住む家を失い、首都周辺の避難キャンプ800か所に身を寄せ合って

    ハイチ大地震から2年、進まぬ復興 50万人がテント暮らし
  • ハイチのコレラ拡大、国連のネパール部隊が原因 米報告書

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)北方のサルト(Sarthe)に設置された国境なき医師団(MSF)の診療所に収容されたコレラ患者(2010年12月22日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【7月1日 AFP】米疾病対策センター(US Centers for Disease Control and Prevention、CDC)は6月30日、ハイチでのコレラ拡大について、国連(UN)の平和維持部隊のネパール軍兵士が持ち込んだものだと結論付けた調査報告を発表した。 調査はフランスの医療チームが行ったもので、その結果はCDCの月報「Emerging Infectious Diseases」7月号に掲載された。2010年10月半ばにハイチ中部ミルバレ(Mirebalais)近郊のMeilleから広まったコレラ感染と、同地に駐留していたネパール部隊を直接関

    ハイチのコレラ拡大、国連のネパール部隊が原因 米報告書
  • 復興進まぬハイチに豪雨で洪水被害、23人死亡

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)で豪雨で道路脇が崩れた現場(2011年6月7日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【6月8日 AFP】2010年1月に起きた大地震からの復興が進んでいないハイチで7日、豪雨による洪水がスラム地域や被災者が暮らすテント村などを襲い、少なくとも23人が死亡した。 ハリケーンシーズンを迎えたハイチで今年に入ってから最悪の豪雨被害となった。犠牲者のほとんどは首都ポルトープランス(Port-au-Prince)での死者だという。 2010年1月に起きたマグニチュード(M)7.0の大地震でインフラが崩壊し、依然として数万人が粗末な仮設テント暮らしを強いられている極貧国のハイチにとって、豪雨は大きな被害をもたらす恐れがある。 保健当局は、人びとが密集して汚染された水に頼って生活する地域で前年に起きたコレラ大流行の再燃を懸念して

    復興進まぬハイチに豪雨で洪水被害、23人死亡
  • マーテリー新大統領が就任、秩序と自信の回復を約束 ハイチ

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)で14日、ミシェル・マーテリー(Michel Martelly)新大統領(50)の就任式が行われた。22万5000人以上が犠牲となった2010年1月の大地震からの復興という大きな課題に直面する新大統領は就任演説で、「ハイチを変えよう」と呼びかけ、秩序と自信の回復を約束した。 写真は、就任式に臨むマーテリー新大統領と夫人(2011年5月14日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【5月16日 AFP】ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)で14日、ミシェル・マーテリー(Michel Martelly)新大統領(50)の就任式が行われた。22万5000人以上が犠牲となった2010年1月の大地震からの復興という大きな課題に直面する新大統領は就任演説で、「ハイチを変えよう」と呼びかけ、秩序と自信の回復

    マーテリー新大統領が就任、秩序と自信の回復を約束 ハイチ
  • ハイチ大統領選、決選投票行われる

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)市内に貼られたミシェル・マーテリー(Michel Martelly)大統領候補のポスター(2011年3月19日撮影)。(c)AFP/Hector Retamal 【3月21日 AFP】前年1月の大地震から復興過程にあるハイチで20日、大統領選挙の決選投票が実施された。決選投票は、元大統領夫人のミルランド・マニガ(Mirlande Manigat)候補と人気歌手のミシェル・マーテリー(Michel Martelly)候補の間で争われた。 前年11月に実施された大統領選では選挙結果をめぐり暴動が発生したため、決選投票は数か月も先延ばしされていた。 暫定選挙委員会(Provisional Electoral Council、CEP)によると、いくつかの投票所で違反行為や投票の遅れなどが報告されたものの、全体の選挙結果に影響を与えるもので

    ハイチ大統領選、決選投票行われる
  • ハイチのコレラ100日目~休んでいる暇はない~ ~CAREは手が届きにくい農村地域への対応を拡大、募金の継続を必要としています~ 写真2枚 国際ニュース : AFPBB News

  • クリントン米国務長官がハイチ入り、大統領選混乱の収拾めざす

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)の米国大使公邸で、ミルランド・マニガ(Mirlande Manigat)候補(右)との会談に臨むヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官(2011年1月30日撮影)。(c)AFP/Alex Brandon 【1月31日 AFP】ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)米国務長官は30日、ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)に到着した。昨年行われた大統領選挙の第1回投票の結果をめぐる混乱の収拾をはかるため、ルネ・プレバル(Rene Preval)大統領や主要候補3人と協議する。 プレバル大統領が後継指名したジュード・セレスタン(Jude Celestin)候補は、昨年11月に行われた大統領選の第1回投票で不正の疑いがもたれており、米国は同候補に選挙戦から退くよう圧力をかけ

    クリントン米国務長官がハイチ入り、大統領選混乱の収拾めざす
  • 突如帰国のハイチ元独裁者、過去を謝罪し国民和解の呼びかけ

    ハイチ・ポルトープランス(Port au Prince)のペティオンビル(Petion-ville)で、滞在中の住宅での記者会見後に、支持者らに手を振るジャンクロード・デュバリエ(Jean-Claude Duvalier)元大統領(2011年1月21日撮影)。(c)AFP/HECTOR RETAMAL 【1月22日 AFP】まるで過去から呼び覚まされた亡霊のように、突如帰国したハイチの元独裁者、ジャンクロード・デュバリエ(Jean-Claude Duvalier)元大統領(59)は21日、自らの15年間の独裁体制下での犠牲者たちへの謝罪を述べ、ハイチの国民和解のために帰国したと語った。 16日に突如帰国したデュバリエ元大統領は、帰国後初の公式声明で「この困難なときに、自らの連帯を示すためにここに来た」と語り、また「わたしの政権の犠牲者となった人びとに対する深い後悔の念を表明したい」と付け加

    突如帰国のハイチ元独裁者、過去を謝罪し国民和解の呼びかけ
  • 25年ぶりに帰国のデュバリエ元大統領、その目的は?ハイチ

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)近郊ペチョンビル(Petionville)で、ジャンクロード・デュバリエ(Jean-Claude Duvalier)元大統領が滞在する高級ホテル前で警備にあたる国連(UN)ミッションの警察官(2011年1月17日撮影)。(c)AFP/Hector RETAMAL 【1月18日 AFP】亡命先のフランスから突如16日にハイチに帰国したジャンクロード・デュバリエ(Jean-Claude Duvalier)元大統領(59)の、今後の動きに注目が集まっている。 首都ポルトープランス(Port-au-Prince)近郊のペチョンビル(Petionville)にある高級ホテルに滞在するデュバリエ氏のもとを、親戚や軍事政権時代の閣僚、友人らが次々と訪れている。デュバリエ元大統領の代理人は、早ければ18日にも記者会見を開くと発表した。 民主化を求

    25年ぶりに帰国のデュバリエ元大統領、その目的は?ハイチ
  • ハイチ、軍事独裁のデュバリエ元大統領が帰還「国民助けたい」

    ハイチのジャンクロード・デュバリエ(Jean-Claude Duvalier)大統領(当時、1982年3月撮影、資料写真)。(c)AFP 【1月17日 AFP】ハイチでかつて軍事独裁政権を率い、反政府運動の激化によりフランスへ亡命したジャンクロード・デュバリエ(Jean-Claude Duvalier)元大統領(59)が16日、25年ぶりにハイチに帰国した。 エールフランス(Air France)機でポルトープランス(Port-au-Prince)空港に到着したデュバリエ元大統領は夫人を伴い、入国審査を待ちながら「(ハイチ国民を)助けるために帰ってきた」と語った。 「ベビー・ドック(Baby Doc)」との異称を持つデュバリエ元大統領は、軍事独裁制を敷いた父の後を次いで終身大統領の座に着いた。だが、一族や支持者らが多額の公金を横領しているとの疑惑が持ち上がり、反政府運動が拡大、1986年に

    ハイチ、軍事独裁のデュバリエ元大統領が帰還「国民助けたい」
  • ハイチ大地震から一年:日本赤十字社によるハイチ大地震救援・復興支援に関するご報告~ 写真6枚 国際ニュース : AFPBB News

  • Haiti, one year later

    It's been one year since the earth shook so violently below Port-au-Prince, Haiti, destroying and damaging hundreds of thousands of buildings and lives in mere moments. Twelve months of struggle and heartache have followed, with very little progress to show so far. Only five percent of the rubble has been cleared as crippling "indecision" has stalled reconstruction efforts, a recent report by huma

    Haiti, one year later
  • ハイチのコレラ死者、3000人に迫る

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)でフランスのNGOが運営する給水所でコレラ予防のための飲料水用消毒剤を受け取る少年(2010年12月27日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【12月31日 AFP】ハイチの保健省は30日、コレラによる死者が20日現在で2901人に達したと発表した。 ハイチでのコレラ患者は15万人に迫っている。隣国ドミニカ共和国政府も30日、国内のコレラ患者が139人に達したと発表した。 100年以上にわたりコレラの大流行がなかったハイチで10月中旬に発生した今回のコレラ禍は、1月に約25万人の犠牲者を出す大地震に見舞われたハイチの苦難をいっそう厳しいものにしている。(c)AFP

    ハイチのコレラ死者、3000人に迫る
  • ハイチでブードゥー教祭司の殺害相次ぐ、コレラ広めたと誤解

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)の北、サルト(Sarthe)に国境なき医師団(MSF)が作った診療所で休むコレラ患者(2010年12月22日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【12月23日 AFP】10月中旬からコレラが猛威をふるっているハイチで、ブードゥー教の祭司がリンチを受けて殺害される事件が相次いでいる。 県のほぼ全域でコレラが発生した同国南西部グランダンス(Grand'Anse)県では、魔術を使ってコレラを流行させたと住民から恐れられたブードゥー教の祭司14人を含む40人が殺害された。他の県でも同様の理由で5人が殺された。 グランダンス県で調査にあたった文化・情報省の担当者によると、犠牲者の多くは石を投げられたり、マチェーテ(山刀)で斬りつけられたりした上で、通りで焼かれたという。 マリー・ロランス・ラセグ(Marie-Laurenc

    ハイチでブードゥー教祭司の殺害相次ぐ、コレラ広めたと誤解
  • ハイチ大統領選、敗れた候補の支持者が暴徒化

    ハイチ・ペティオンビル(Petion-ville)の路上で、大統領選の結果に抗議する人々(2010年12月8日撮影)。(c)AFP/Hector Retamal 【12月9日 AFP】前月28日に大統領選が行われたハイチで8日、敗れた候補者の支持者ら数千人が票の不正操作を訴えて各地で抗議デモを行い、一部が暴徒化、4人が死亡する事態となった。 選挙管理委員会が7日夜発表した選挙結果によると、得票率は元大統領夫人のミルランド・マニガ(Mirlande Manigat)候補が31%、現職ルネ・プレバル(Rene Preval)大統領が後継指名したジュード・セレスタン(Jude Celestin)候補が22%、人気歌手のミシェル・マーテリー(Michel Martelly)候補が21.84%だった。来年1月16日にマニガ候補とセレスタン候補による決選投票が行われる。 この結果に対し、7000票に満

    ハイチ大統領選、敗れた候補の支持者が暴徒化
  • ハイチのコレラ禍、死者2000人超える

    コレラが流行しているハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)で、消毒剤の噴霧を受ける医療従事者(2010年11月22日撮影)。(c)AFP/Hector Retamal 【12月7日 AFP】ハイチ保健省は6日、同国で10月から流行しているコレラによる死者が2013人、コレラ患者が8万8789人になったと発表した。 1月に発生した大地震からの復興が進まないなかハイチのコレラ禍は拡大を続けており、国連(UN)の保健衛生担当者はコレラで死亡した人の数は公式発表よりはるかに多い恐れがあるとしている。(c)AFP

    ハイチのコレラ禍、死者2000人超える
  • ハイチ地震被災者支援 現地リポート (10) 写真7枚 国際ニュース : AFPBB News

    【日国際民間協力会(NICCO)】 NICCOのハイチ地震被災者支援。 首都ポルトープランスの西に位置するカルフール市にて、 地震で校舎が損壊したため教室内で授業が受けられない小中学校生徒のために、日人の建築家と大工を現地に派遣して、ハイチの建築家や大工に技術移転を行いながら仮校舎を建設し、 教室での授業再開を支援しました。 また、同じ敷地内にトイレを建設することで、衛生環境の改善にも取り組みました。 これにより、4棟12教室からなる仮校舎が建設され、小中学校2校の生徒(約1200人)が、 教室で授業を受けることが可能となりました。 トイレに関しては計16基が建設され、さらに教師と生徒によるトイレの管理体制も整いました。 NICCOでは、引き続きハイチ地震緊急人道支援募金を受け付け、 被災者に対する緊急支援に役立てたいと考えております。皆様の温かいご支援をお待ちしております

  • 大地震被災のハイチでコレラ流行、135人死亡

    コレラが流行しているハイチ北部サンマルク(St. Marc)の医療施設で治療を待つ患者(2010年10月21日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【10月22日 AFP】1月にマグニチュード7.0の大地震に見舞われたハイチの北部でコレラが流行し、21日までに135人が死亡、1500人の感染が確認された。感染はここ数日で爆発的に広がっており、大流行の恐れも懸念されている。 AFPの取材に応じた保健当局の関係者によると、これまでに死者が出ているのは、ハイチ中央部から北部を流れるアルティボニト(Artibonite)川流域が大半だという。 大地震で壊滅的な被害を受けた首都ポルトープランス(Port-au-Prince)周辺には、家を失った人びとが暮らす大規模な避難民キャンプが複数設けられているが、これらのキャンプではまだコレラは確認されていない。しかしキャンプの衛生状態は悪く、

    大地震被災のハイチでコレラ流行、135人死亡
  • ハイチのコレラ死者220人に、首都にも感染拡大の懸念

    1月にマグニチュード7.0の大地震に見舞われたハイチの北部でコレラが流行している問題で、23日までに220人の死亡が確認された。うち14人は同国中部の首都付近で死亡し、感染が北部から人口密度の高い首都ポルトープランス(Port-au-Prince)に広がるおそれが高まった。 サンマルク(Saint Marc)周辺の複数の医療施設に合計で約3000人の患者が収容されたほか、刑務所でも50人以上が感染し、うち3人が死亡した。 写真は、ハイチ北部サンマルクの病院で、治療の順番を待つ患者(2010年10月22日撮影)。(c)AFP/Thony BELIZAIRE 【10月24日 AFP】1月にマグニチュード7.0の大地震に見舞われたハイチの北部でコレラが流行している問題で、23日までに220人の死亡が確認された。うち14人は同国中部の首都付近で死亡し、感染が北部から人口密度の高い首都ポルトープラン

    ハイチのコレラ死者220人に、首都にも感染拡大の懸念
  • コレラ流行のハイチ、暴動が首都に飛び火

    ハイチの首都ポルトープランス(Port-au-Prince)で、国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に対する抗議デモの最中、バリケード代わりに燃やされる火(2010年11月18日撮影)。(c)AFP/HECTOR RETAMAL 【11月19日 AFP】コレラの流行でこれまでに1100人以上が死亡しているハイチで、コレラの感染源が国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)の部隊だと主張する群衆によるデモが拡大し、暴動に発展している。 暴動は15日、ハイチ第2の都市、北部カパイシアン(Cap-Haitien)で始まった。警察署が放火され、数千人のデモ隊が国連施設を攻撃する構えを見せた。応戦したUN平和維持軍との衝突で3人が死亡した。 18日には暴動は首都ポルトープランス(Port-au-Prince)にまで到達。群衆が火のついたタイヤや腐敗したごみの詰まった容器で道路を封鎖し、

    コレラ流行のハイチ、暴動が首都に飛び火