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WarとUKに関するkenken610のブックマーク (6)

  • ブレア元英首相が回顧録、イラク戦争犠牲者に「心から申し訳ない」

    ロンドン(London)のサザーク大聖堂(Southwark Cathedral)で開かれた、国外でテロ攻撃で死亡、負傷した人びとを追悼する式典に出席するトニー・ブレア(Tony Blair)元英首相(2006年9月20日撮影)。(c)AFP/WPA 【9月1日 AFP】トニー・ブレア(Tony Blair)元英首相の回顧録「A Journey(旅)」の抜粋が8月31日公開され、その中で、ブレア氏はイラク戦争での死者について「心から申し訳ない」との思いを綴った。 回顧録はブレア氏が英首相だった10年を振り返る内容。ブレア氏は「早死した人命に申し訳ない」との思いを語る一方、イラクのサダム・フセイン(Saddam Hussein)政権を打倒することは正しいことだったとのこれまでの考えをくり返した。 ブレア氏はイラク進攻後の状況は「悲惨だった」と述べ、人命が失われてゆくことに涙を流したと述べた。

    ブレア元英首相が回顧録、イラク戦争犠牲者に「心から申し訳ない」
  • 64回の爆弾処理ミッションを成功させてきた伝説の兵士、休暇目前のミッション中に戦死

    路肩爆弾(IED)は安価で効果が高いことから、戦地で猛威を振るっており、それを解体する爆弾処理班の仕事は増すばかり。敵の攻撃を警戒しながら、たった1つのミスすら許されない爆弾処理を行う任務の過酷さは、昨年公開された映画「The Hurt Locker(原題)」でも余すことなく描写されています。 そんな中、アフガニスタンで64回の爆弾処理に成功し、帰国前に最後の作戦に参加していたイギリス軍の兵士が65回目の爆弾解体に失敗、命を落としたそうです。 詳細は以下。 Army bomb disposal expert killed on final day of Afghanistan tour | Mail Online 64個もの爆弾を解体してきたイギリス軍のオラフ・シュミット曹長は、2週間の休暇を控えた作戦の最終日にアフガニスタン最悪の激戦地の1つ、ヘルマンド州のサンジンで爆発物処理班の指揮を

    64回の爆弾処理ミッションを成功させてきた伝説の兵士、休暇目前のミッション中に戦死
    kenken610
    kenken610 2009/11/05
    "現在イギリス軍では、マスチフ装輪装甲車が不足しているため兵士は本国で十分な訓練ができないまま戦地に行かざるを得ないとのこと"1年戦争のジオン公国みたいだ
  • 英軍、アフガニスタンへ500人増派 9500人規模に

    アフガニスタンの首都カブール(Kabul)郊外で警備に就く、北大西洋条約機構(NATO)が主導する国際治安支援部隊(ISAF)下の英軍兵士(2008年7月27日撮影、資料写真)。(c) AFP/SHAH Marai 【10月15日 AFP】バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領が閣僚らと、アフガニスタン戦略の見直しに関する会合を開く中、ゴードン・ブラウン(Gordon Brown)英首相は14日、アフガニスタンに兵士500人を増派すると発表した。 ブラウン首相は、危険度が増し、世論の評価をさらに得にくくなっているアフガニスタンへの軍派遣について、北大西洋条約機構(NATO)同盟国にも「公平に負担すべきだ」と求め、アフガニスタン政府には兵力と腐敗対策を強化するよう圧力をかけた。 英下院に対しブラウン首相は、新たに設定する派遣規模は原則9500人程度とすることで、政府内で合意したと

    英軍、アフガニスタンへ500人増派 9500人規模に
  • フォークランド紛争、遺族の悲しみ ブエノスアイレス

    アルゼンチン・ブエノスアイレス(Buenos Aires)の5月広場(Plaza de Mayo)に展示された、フォークランド(Falkland)諸島の墓地でアルゼンチン側の戦没者の墓を30年近くにわたって示してきた十字架とロザリオ(2009年10月9日撮影)。(c)AFP/DANIEL GARCIA 【10月11日 AFP】1982年に英国とアルゼンチンがフォークランド(Falkland)諸島(アルゼンチン名:マルビナス(Malvinas)諸島)の領有をめぐって戦火を交えてから27年。フォークランド諸島の墓地で30年近くにわたりアルゼンチン側の戦没者の墓を示してきた十字架とロザリオが9日、ブエノスアイレス(Buenos Aires)の5月広場(Plaza de Mayo)で展示された。74日間続いたこの紛争でアルゼンチン側で649人、英国側で255人が犠牲になった。(c)AFP

    フォークランド紛争、遺族の悲しみ ブエノスアイレス
  • 第1次大戦で戦った最後の元英陸軍兵‎、111歳で死去

    ロンドン(London)のホワイトホール(Whitehall)で、第一次世界大戦(World War I)の休戦記念日(Armistice Day)の記念式典に出席する、同大戦を戦った英退役軍人のハリー・パッチ(Harry Patch)さん(当時、2008年11月11日撮影)。(c)AFP/SHAUN CURRY 【7月26日 AFP】第1次大戦を戦った最後の元英陸軍兵、ハリー・パッチ(Harry Patch)さんが25日、死去した。111歳だった。パッチさんの訃報を受けた英国のエリザベス女王(Queen Elizabeth II)は弔意を表した。 英メディアから「Last Tommy(最後の英国兵士)」とのあだ名で呼ばれていたパッチさんは、18日にヘンリー・アリンガム(Henry Allingham)さんが113歳で亡くなった後、英国で最高齢の男性でもあった。 1917年、50万人の兵士

    第1次大戦で戦った最後の元英陸軍兵‎、111歳で死去
  • 英国、日本への化学兵器攻撃を検討 大戦中の機密文書で明らかに

    【6月27日 AFP】第二次世界大戦(World War II)中、米国による原爆投下の約1年前に、英国が東京への化学兵器攻撃を検討していたことが、26日に公開された秘密文書で明らかになった。 この文書は英国立公文書館(National Archives)に65年間保存されされていたが、このほど秘密指定が解除された。 文書は、1944年に民間人が暮らす地域に化学兵器を使用することを明確に提案している。これによると、まず、燃えやすい日家屋を爆撃で破壊した後、「より現代的な地域」を対象に毒ガスによる攻撃を行うとしている。 計画が実行に移されることはなかったが、文書には最大限の被害を与えるための手法が克明に記されている。寒い冬の間はマスタードガスの効果が弱まる可能性があるため夏に攻撃することを推奨しているほか、強い雨は毒物を洗い流す可能性があるので、持続的な効果を得るには雨の合間をぬって攻撃す

    英国、日本への化学兵器攻撃を検討 大戦中の機密文書で明らかに
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