今回のコロナ禍では、世界中で「どうしてそうなるの?」と疑問に思うようなできごとがたくさん起きていますね。記憶に新しいのは、テキサスで「ウイルスはデマだ」と考えていた30歳の男性が罹患者と触れ合ういわゆる「コロナパーティ」に参加し、死亡したというニュース(付記:このニュース自体がデマではないかという指摘もあります)です。 人間は何らかのリスクに直面すると(生命でなく)精神を防衛するためにさまざまな策をめぐらすのですが、この性質についてよく知っておくと今起きていること、今後起こるであろうことに対する理解が深まるかもしれません。今から書く見方は仮定を多分に含みますが、身近な考える足がかりにしていただければと思います。 頑なにリスクを認めない人 さて、まず問題になるのはどんなに説得してもリスクを認めようとしない人々のことです。コロナは単なる風邪だとか、昔からある病気だから今までどおりに過ごすべきだ
これまでの自分の生き方や考え方について振り返ってみると、前々から薄々気づいていたことではあるが、「何が好きか」よりも「何が嫌いか」ということに自分が振り回されてきたことを再認識してしまう。ネガティブな外的事象に自分の人生や人格を決定させてしまうことはどう考えても自分にとって良いことではないし、幸福ではなく不幸につながることだとは思う。しかし、何しろ昔から様々なものやことが嫌いで仕方がなかったし、今さらそれを更生できる見込みもないだろう。だから、「嫌いなものは嫌い」と割り切るしかない。そして、それを溜め込んでいるよりかは外に向かって吐き出した方が多少なマシというものだろう。 大学生のとき、私は周囲にいた一部の学生たちの言動のなかにある種の特徴や傾向を見出すようになり、それが段々と苦手になっていった。その特徴や傾向を、ここでは「学問ごっこ」と呼ぶことにしよう。 私が「学問ごっこ」を感じる言動の
ポターさん曰く、「人はなぜメディアを消化するのか」と問われれば、「自分の既得観念や先入観を確認するために」ということになるらしい。 これは逆に言うなら、人は基本的に、新しい情報とか、新しい知見とか、分析的な論考を求めて、メディアを消化しているわけではない、ということになる。
八重代かりす@「形見の衣」発売中。 @yaesiro ……また、ベーシックインカムをすると健康保険がなくなる系のデマを目にした。……いや、「皆、働かなくなる~」とか「NEETが~NEETが~」とを目にすることが少なくなっただけマシか? 2017-07-08 20:45:43 八重代かりす@「形見の衣」発売中。 @yaesiro ベーシックインカムへの社会保障一本化支持者としては、ベーシックインカムへの興味関心が増すことは嬉しいが、明らかなデマがいまだ蔓延っている事は悲しい。 いうわけで、フォロワーさんTL汚しの連続ツイート失礼します。 2017-07-08 20:46:33
by Clard インターネット上ではさまざまな議論が繰り広げられていますが、激しく意見がぶつかり合った結果、思わず眉をひそめてしまうような勢いで議論が展開されることがよくあります。なぜソーシャルメディア上での議論が不快なレベルまで白熱してしまうのかについて、「道徳のスタンドプレイ」が理由だと主張する論文が発表されました。 Moral grandstanding in public discourse: Status-seeking motives as a potential explanatory mechanism in predicting conflict https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0223749 Psychological Study Of “Moral Grandstan
by ThePixelman 人は、「どれだけ証拠が積み上げられているか」ではなく、「最新結果のパフォーマンス」によって「自分は正しい」「これは正しい」といった確実性を感じるという研究結果が示されました。最初の19個の質問に間違っていても、最後の5問に正解すれば、人は「この物事について正しく理解している」と考えるそうです。 Certainty Is Primarily Determined by Past Performance During Concept Learning | Open Mind | MIT Press Journals https://www.mitpressjournals.org/doi/abs/10.1162/opmi_a_00017 Why we stick to false beliefs: Feedback trumps hard evidence | B
先日、飲み会の席で「…だって世の中、『飛行機がなぜ飛ぶか』ということすら、本当は分かっていないんですから」という声が聞こえてきた。読者の多くの方もきっと、同じ話を耳にしたことがあると思う。 「常識と思っていることは、実は単なる思いこみだ」という文脈か、「科学なんてたいしたことないじゃないか」という話か、そこまでは分からなかったが、声にはちょっと嬉しそうな響きがあった。 もちろん科学は宗教ではない(こちら)。「信じる」ことが基本姿勢の宗教に対して、科学のそれは「疑う」ことだ。リンク先の記事の通り、科学を宗教的なものと誤解しないためにも、「本当はどうなんだ?」と疑う姿勢は大切だ。その一方で、「結局、科学といっても本当は何も分かってないんだよ」という見方は、シニカルな態度にもつながっていきそうでなんとなく違和感がある。 それはさておき、高速で空を飛び、多くの人命を載せる航空機がなぜ飛ぶか、本当に
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