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ブックマーク / anatataki.hatenablog.com (2)

  • 殊能将之を再読する/「鏡の中は日曜日」(4) - TBCN

    作品がリレーするもの(続き) 綾辻行人と同じ京都大学推理小説研究会出身の円居挽は、野性時代2014年6月号の「私の愛する格ミステリ」特集に寄せて、「私の偏愛ミステリ作品」というテーマに『鏡の中は日曜日』を挙げ、こう述べている。 格ミステリの華といえば奇妙な館や見立て殺人、そして名探偵だ。 しかし十年前の私はその華との距離感にとても悩まされていた。そうした要素が格ミステリらしさを形作っているのは間違いないのに、要素に凝れば先輩作家の劣化コピーにしかならず、新人に要求される新鮮さから遠ざかっていく……そんなジレンマがあった。 だが、それを解消するきっかけになったが『鏡の中は日曜日』だ。 (……)この作品は陳腐どころか、奇妙な新鮮さを備えていた。オリジナリティと言い換えてもいい。そしてそれは私が喉から手が出る程欲しかったものだ。 そのオリジナリティが殊能氏の膨大なインプットとそれを抽出す

    殊能将之を再読する/「鏡の中は日曜日」(4) - TBCN
    maturi
    maturi 2015/01/24
    今や「サンプリング・ミュージックの時代」等ともとっくに言えない時代となった。一つの要素だけではなく要素と要素を並べたその関係を描くDJ的な方法論のさらに先からリレーされるものは未だ残っているのだろうか
  • つらつらと5:『鏡の中は日曜日』を10年後に読む - TBCN

    【※殊能将之『鏡の中は日曜日』『樒/榁』、麻耶雄嵩『隻眼の少女』の真相に触れていますので、未読の方はご注意ください】 『鏡の中は日曜日』(2001。以下『鏡』と略す)を初めて読んだのは、今から八年くらい前になる。当時私は、「とにかく驚きのあるもの」が好きで、あらすじ紹介に「驚天動地」「大どんでん返し」などとあろうものなら、かまわず飛びついた。だからとりわけ叙述トリックものをよく読んだ。 清涼院流水の大作群に触れたことで、その無邪気なユートピア幻想も崩壊するのだが、『鏡』を読む前にはもちろん、綾辻行人の館シリーズは全て読んでいたので、この作品のことは、館シリーズへのオマージュで、うまく叙述トリックを決めた快作、というふうに思っていた。逆にいえば、快作、としか思っていなかった。 しかし再読して感じたのは、これは快作どころの話ではなくて、そのまま殊能将之がコンスタントに作品を発表していけば、いっ

    つらつらと5:『鏡の中は日曜日』を10年後に読む - TBCN
    maturi
    maturi 2015/01/24
    殊能将之は「形式」の作家でもあったな(登場人物のネーミングとか)
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