藤原 多子(ふじわら の まさるこ)は、近衛天皇の皇后。次いで二条天皇の后となり「二代の后」と呼ばれた。父は徳大寺公能で、母は藤原豪子。養父は藤原頼長、養母は藤原幸子。令和現在においても最後の太皇太后である。 生涯[編集] 藤原頼長は徳大寺実能の長女・幸子(多子の伯母)と結婚して、徳大寺家の人々と大炊御門高倉邸に住んでいたことから、義弟・公能の娘を幼い頃から養女としていた。永治2年(1142年)、養女は3歳となり、3月に魚味始(まなはじめ)、8月に着袴(はかまぎ)の儀を行った。久安4年(1148年)6月、頼長は近衛天皇への養女の入内を鳥羽法皇に奏請して承諾を得た。8月、頼長が養女の名字を側近の儒者に勘申させると、「多」の字に賛成意見が集まった(『台記別記』)。「夫婦の儀、愛を以って先と為す。文は既に夕を重ね、情は同じく夜に専らとす。しかのみならず子孫衆多、后妃の至徳なり」という理由により、