水谷潔が書き綴るいのちと性を中心テーマとした論説・コントなどなど。 目指すはキリスト教界の渋谷陽一+デイブ・スペクター。サブカルチャーの視点から社会事象等を論じます。 今日の夕方のニュースで知った事件です。 四日市市議の川村幸康市議(39)が経営する市内の焼き肉店で、BSE対策特別措置法で特定危険部位と規定されている牛の「こめかみ」の肉が食用に「珍味」と称して提供していた疑いがあるとか。これは本ブログで扱うべきだろうと思い、ネットで検索すると予想通りでした。 なぜ、持ち出しが違法の肉を、三重県四日市市の市食肉センターから持ち出せたのでしょう?川村市議が頭部から「こめかみ」の肉を切り取っているのを公社職員や複数の食肉関係者が目撃しているとの証言も出ています。 この事件は、事件の内容は北海道のミートホープと同様ですが、事件の本質はむしろ、あの奈良県不正給与事件に近い可能性が出てきました。(この
年末ですので、恒例のをやっておきます。 2023年もTSUTAYAの閉店は130店舗強というあたりでした。 01/09:TSUTAYA 東根店(山形県) 01/09:TSUTAYA 鶴見緑店(大阪府) 01/13:平和書店 TSUTAYA 松ヶ崎店(京都府) 01/15:TSUTAYA 高麗川店(埼玉県) 01/15:TSUTAYA 三好店(愛知県) 01/15:TSUTAYA フジグラン緑井店(広島県・書籍専門店へ移転) 01/15:TSUTAYA 松山インター店(愛媛県) 01/16:TSUTAYA 三軒茶屋店(東京都・CD取扱終了) 01/22:TSUTAYA 新所沢店(埼玉県) 01/22:TSUTAYA セブンタウン小豆沢店(東京都) 01/22:TSUTAYA 蛍田店(神奈川県) 01/23:TSUTAYA 錦糸町店(東京都) 01/31:TSUTAYA 柏青葉台店(千葉県)
「四日市こども広報」は、四日市市の小・中学校に通う児童・生徒に学校で配布されます。 「四日市こども広報」で、四日市についてさらに深く知ろう。読む力・考える力を付けよう。 第37号(令和6年2月号) お仕事おしえて ENGLISHクイズ 第36号(令和5年11月号) お仕事おしえて ENGLISHクイズ ※今号はお休みです 第35号(令和5年9月号) お仕事おしえて ENGLISHクイズ 第34号(令和5年6月号) ルポ漫画 ENGLISHクイズ 第33号(令和5年2月号) (PDF/4MB) 第32号(令和4年11月号) (PDF/4MB) 第31号(令和4年9月号) (PDF/4MB) 第30号(令和4年6月号) (PDF/4MB) 第29号(令和4年3月号) (PDF/5MB) 第28号(令和4年1月号) (PDF/4MB) 第27号(令和3年11月号) (PDF/6MB) 【ルポ漫画
GGシニアさんが、昭和11年の1枚の絵葉書の謎をアップしていただきました。 (1) 「四日市の写真で/昭和11年にタイムスリップ/ 四日市港沖には・・・!!」 - YouTube さて、たいじゅさんからお預かりした貴重書類です。 明治42年10月、三重軌道敷設にあたり取締役社長の九鬼門七氏は、当時の総理大臣 桂 太郎氏と県知事宛てに申請書を出しています。たいじゅさんは、その時の書類を取得されてみえたのです。驚きです!何という根性でございましょうか。 右から②右から① 三重軌道敷設は、室山方面の糸、味噌、醤油などを四日市へ運び、港から地方へ輸出するのが目的でした。従って、始発は阿瀬知川沿いで計画されました。そこから、関西線の線路沿いに北へ、本町踏切の手前当たりに三重軌道四日市驛を設置、西へ折れて諏訪神社へ向かう真っすぐの道沿いに沖ノ島(郵便局あたりか)・諏訪(三菱UFJ銀行付近)。南へ折れて
「日露戦争が終わる明治の末期になると、政府は鉄道政策を打ち出し、全国に軽便鉄道ブームが起きた。」椙山 満著“ふるさと点描”より 「当時、自動車はなく、完全な道路もなかった時代、鉄道の開発は地域開発、農村振興のための急がねばならぬ国策の一つであり、多くの地域社会が鉄道の導入を熱望していた。時の鉄道員総裁 後藤新平は、全国の私鉄の国有化と合わせて、民間の投資と運営による地方の鉄道敷設に補助金を出しその発展を促した。明治43年“軽便鉄道法”が施行される。」 明治43年1月15日 三重軌道は四日市・室山間の鉄道敷設を願い出る。(たいじゅさんの持ち込まれた資料から)そして、この時は前回ご紹介の通り“諏訪前道路に軌道布設の件”とある。この段階では、諏方神社から東へ、諏訪新道・沖ノ島・四ツ谷の道に敷く予定だった。 ところが、明治43年3月18日に四日市鉄道から三重軌道の申請コースと交差するので危険である
たいじゅ様からコメントをいただき 湊座東 線路を背に川村座があったことが 大正期の地図からわかります。湊座に比べて可愛らしい小屋だったようです。 本町の水谷宜夫様からお借りした地図でゴザイマス たいじゅ様のコメントです 母方の祖母がまだ健在で働いていた頃、祖母の住まい(借家だったと思う)がまさにこの新町内にあり小さい頃よく遊びに訪れました。地図で言うと線路沿い「川村座」北の三叉路の北西側の一角(東側)だったと思います。記憶の中にわずかに残る程度ですが、旅籠?遊郭?を思わせる不思議な家屋の作りだったことを思い出します。湊座が空襲で焼失したならば至近だった祖母の住まいだった場所も焼失したでしょう(祖母は戦後移り住んでいる)。とすれば、子供心に古く感じたあの家ですらまだ新しい昭和20年後築ということか・・・ 戦争直後の空撮 赤丸のあたりだと思いますが すっかり焼けているようです “旧四日市を語る
あすなろう鉄道編が アップされました GGシニアさんでご覧ください (129) 「日本で4路線しかないナローゲージ/あすなろう鉄道に乗ってみた」 - YouTube 昭和11年 本町の踏切から西方向に撮られました(四日市の100年より) 西駅前から北方向 左に物産館が建ちます 昭和11年 バスが停まっています 西駅舎入り口の右に売店 左に電話ボックスでしょうか? 広場一面に水が撒かれます 駅前はバスとタクシー乗り場になっていました 菰野自動車や三重自動車のボンネットバスが並びます 遠くに見えるのは善光寺山門? 向かいには四日市自動車があります 左の広告塔には 国産振興博覧会 の文字が 昭和11年 開催中です
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