レナード・バーンスタインの1978年来日公演は奥さんが亡くなったということで急遽中止になったんですね。 ショスタコーヴィチの5番といえば当時はバーンスタインとニューヨーク・フィルの録音が最高の名盤とみなされており、それをナマで聴けるということでむっちゃ期待されていた演奏会だったようです。 それが中止になったときのチケット購入者の失望はかなりのものだったでしょうね。父は奥さんが亡くなったんならしょうがない、来てもどうせションボリな演奏だったろうと諦めたそうですが。。 代わりにラインスドルフ(Erich Leinsdorf 1912-1993)が来たんですが、曲目までショスタコーヴィチに比べたら低刺激性の『英雄』に変わってしまいさらにガッカリだったようです。(※7月1日、3日の曲目↓) 失望した父はよっぽど払い戻ししようと思ったらしいのですが、ラインスドルフのシューベルトのグレート交響曲のLP
「見た目で選ぶ」オーディオ趣味は邪道ですか? 懐かしいオーディオ機器を紹介しています。他にもレコード/カセット、ハイレゾオーディオ、ブルーライト、糖尿病、安全運転のこと等々..... ようこそ ホームページ作り初心者が作る、懐かしいオーディオ機器が中心のページですが、レコード/カセット、ハイレゾオーディオ/4Kテレビなど最近のオーディオビデオ機器、ブルーライトや糖尿病、安全運転の話など追加中です。 管理人のオーディオ暦は長いはずなのですが、全然耳が肥えておらず、各機器の音質に関する記述は殆どなく、多くの方が焦点を当てていないニッチな部分に着目していたりしますが、その点はご了承ください。 無名の人物の記事が「音質」に関して共感を得るのは難しいと思いますが、写真や動画による「見た目」に関してなら、共感を得るのは出来るのではないか?と思っているんです。 思いつくまま、気まぐれにページを追加しなが
【西村朗氏は2023年9月7日にお亡くなりになりました】 西村朗・吉松隆『クラシック大作曲家診断』(学習研究社)は8時間の対談をまとめた本らしいですが、楽しくて一気に読んでしまいました。 この本で一番感心・同意したのは西村氏の「一種特殊な感情を喚起するものを持っているボロディンのような音楽と、全然それを持っていない音楽とがあることに気がついた。」という発言です。 自分でも何となくそのようなものが感じられる音楽があるなー、とは無意識に思っていたのかもしれませんが、文字にされて初めてハッキリしました! 西村氏はそのような感情を呼び起こす音楽の例としてボロディンの「ダッタン人の踊り」、「中央アジアの草原にて」(すごく賛成)、シューベルトの未完成交響曲、軍隊行進曲(第1曲)の中間部、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」、「悲しきワルツ」、「フィンランディア」、ベートーヴェン第7交響曲のアレグレットを挙
1966年夏、日本武道館であったビートルズの日本公演。「国賓級」といわれた厳重な警備態勢を記録した約35分のフィルムが警視庁に保管されている。大部分は未公開だが、半世紀以上を経た現在、映像の全面公開を求める裁判が続いている。 映像は66年6月29日~7月3日に警視庁が撮影したもの。2014年に一部報道で存在が広く知られるようになった。このうち約17秒分は、16年公開のドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ~EIGHT(エイト) DAYS(デイズ) A(ア) WEEK(ウィーク)」にも提供された。 ビートルズファンで、全国市民オンブズマン連絡会議事務局長の新海聡弁護士(愛知県弁護士会)が「歴史的な資料」として15年、警視庁に情報公開請求をした。 警視庁は一般人の顔が識別できるなどとして、モザイク処理した上での一部公開を提案したが、新海弁護士は「50年以上前の映像で個人の識別はできない」「一部は
明冶20年(1887年)名古屋の鈴木政吉氏がバイオリンを完成している。 その後パリ万博(1889年)で銅賞を受賞のがきっかけで世界中に名前が知れ渡り、第一次世界大戦でドイツのバイオリン生産が激減し、さらに加工方法も改良されて生産量が飛躍的に拡大して日本からバイオリンが世界中に輸出されるようになり従業員も1000人を超える規模となって、ギターやマンドリンも生産するようになりこの地区に弦楽器産業が生まれた。 政吉氏は若いころ三味線の製作に携わっていた、この業界は分業が進んでいたのでバイオリンの製作でも相当数の下請工場、冶具等を作る鍛冶屋といった協力者も有ったと考えられる。 大戦後鈴木バイオリンは2社分割されている、1つは鈴木バイオリン社(現在鈴木バイオリン製造株式会社)もう1つは鈴木バイオリン製造(木曽スズキ昭和60年倒産) 話は前後するが、広まるきっかけは貿易商だった春日一幸氏が昭和9年鈴木
浜さんというと週刊誌での恐怖漫画で記憶されていると思うが 貸本の頃から数少ないながら描いている 57年頃は杉田民平名義で堅めの絵柄で思索的な作風 58年頃からは短編誌に少しひねくれた内容の作品を描く こんなところから特異な恐怖ものへつながるように見えるが 貸本単行本の少女向けには実にストレートな作品を描いているのが不思議 名作「悲しき二つ星」の前作、「母の想い出」を青虫で読む 倉石さんは親方のおじょうさんで家は金持ち、相当な屋敷に住んでいる 子守の女の子島野利子は父が病気で母はなくなっている 倉石家の垣根を子守しながら見に来ている 塀を壊すのを悲しそうに見ている 元は自分が住んでいた家 女中をしているおヨネさんもそのころからいた女中さん 利子の父は役人をしていたがだまされて警察に逮捕され、母はショックで死ぬ キンモクセイの香りを利子一家が楽しんでいたというのを聞いた倉石さんは若い者にキンモ
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