昭和17年、大東亜共栄圏建設の号令で、新幹線構想は単に日満支三国にとどまることなくインド以東、南太平洋も悉く含めた、広域経済圏を意味することとなった。タイとビルマの国境付近に鉄道を敷く映画「戦場にかける橋」は、ちょうどこの頃、昭和18年のお話である。 しかし昭和19年頃になると、15カ年にわたる長大な国家計画でもあった新幹線構想も、もはやそれどころではなかった。南方戦線では相次ぐ玉砕で後退に次ぐ後退に強いられ、次第に追い詰められて、日本という国家そのものが存亡に危機にさらされていた。 島英雄も述べている「姫路以遠となると、東京から順繰りに綿密な計画を作っていたために、そこまではいかないうちに工事は中止になった」https://blog.goo.ne.jp/hotokeya/d/20200527 5月27日のブログより 権田良彦事務官は、当時を振り返ってこう述べている「戦後の新幹線がなぜあん
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