西川貴教 @TMR15 先日の萩生田大臣からも日本の文化芸術を支える皆さんを支援する取り組みをご存知いただき、多くに方にご活用いただきたいと仰っておられました。フリーランスや小規模事業者の皆さんを支える支援、是非ご活用下さい。 文化芸術活動の継続支援事業 | 文化庁 bunka.go.jp/shinsei_boshu/… 2020-10-07 18:00:03
はじめに教授からのWhy? Why? Why?と立て続けに押し寄せる「どういったロジックを元に〜をデザインしたのか?」という質問の嵐に対して、学生達がBecause, Because, Becauseと素早く理論を構成して「何故なら〜だからです」というロジックを組み立て続ける。 そんな米国大学で展開されるデザイン講義を目の辺りにしてきた僕は、「デザインとはこんなにも理論的なプロセスだったのか」という率直な実感を持っています。 デザインと聞くと生まれ持った才能を存分に発揮してクリエイティブに様々なものを生み出していくというイメージをお持ちの方も多いかも知れませんが、これは全くの誤解であると言えます。 本来、デザインプロセスとは問題解決を前提としているため、地味な作業の連続であり、非常に理論的なプロセスで構成されています。 僕は日本で5年間、米国で3年間デザインの教育を受けましたが、実感として
※書いてから一晩たって、「確かに品がないなー」と思ったのでタイトル変えました 国立新美術館で開催されている写真展、『アンドレアス・グルスキー展』に行って来た。 東京では9月16日までなので、1500円握りしめてなるべく早く訪れるべし。 写真というのはカメラで撮影するものであると思っている人。 写真というのは文字通り真実を写す手段であると思っている人。 写真というのは心打たれた情景を記録するための存在であると思っている人。 写真というのはリアルなこの世の鏡であると思っている人。 写真というのはイメージであると思っている人。 上記はすべて間違いである。 写真は、作れる。しかも、「完璧」な写真を。 グルスキーはそれを提示したアーティストである。 そも、カメラ(=写真機)というものはまことに原始的な機械である。 カメラの前方から降り注ぐ光をガラスの玉で屈折させ、 絞りという乱暴な穴の拡大縮小装置を
実解像度3000×2000だから、後ろの人も消さな(挨拶)。 Censure; OM-D E-M5 Voigtländer Nokton Classic 40mm F1.4 F2.0 1/160s ISO-800 DxO FilmPack3: Ilford Pan F Plus 50 (Customized) ◆勝手に撮られたくない@増田。 何となく、後者の男の方を読みつつ 「木村伊兵衛は大の猥談好きだった」 みたいな話が先日立ち読みした木村伊兵衛本に載っていたことを思い出した。 昭和のスナップ・人物写真の巨人は、もし現代に生きていたらLeicaではなくiPhoneを片手のように持ちつつ、一方でこういう危ないオッサン的な扱いで社会から後ろ指さされて、写真家としては大成せず生きていたのかも知れない。それはそれで、才能の芽をこの社会が摘んでいる、という景気の悪いお話っぽく思われる一方で、要する
Sign Up この作品 「まんがでわかる現代アート騒動」 は 「だフ関ね」「おあしす」 等のタグがつけられた作品です。 お気に入りの作品はありましたか?pixivに登録するとさまざまな作品を検索、閲覧したり、投稿者の方と交流することができます。
2011-08-02 01:57:00 カオス*ラウンジは日本現代美術の優等生であり、pixivは悪い場所の現在形であること。 1 戦後の日本において、問題は吟味され、発展してきたのではなく、忘却され、反復されてきたということ、そして、いかなる過去への視線も、現在によって規定され、絶え間なく書き直されている以上、過去を記述する条件として現在を前提にせざるをえないということを挙げておく。 (P25) 関連記事:カオスラウンジによる、pixiv公式企画『pixiv×第七回博麗神社例大祭』受賞作品の無断商用利用まとめ たまたま『日本・現代・美術』を読んでいたらカオス*ラウンジが炎上したんですが、果たして今回の騒ぎに乗っかっている人でこの本を読んでいる人はどれくらいいるんだろう、という感想を持ちました。 日本の美術界が歴史を忘却した「悪い場所」であり、海外と隔てられた「閉じられた円環」を形づくって
著作権 フランスに於けるMADの取扱いについて少しだけのブックマークコメントでid:zoniaさんからMADが違法なら,たとえばコラージュも違法なのだろうか。http://b.hatena.ne.jp/zonia/20080704#bookmark-9183398という質問を頂いたので、エントリを起こします。 コラージュアートで思い出すのが表題にも書いた「ワラッテイイトモ、」という作品の事です。これについては以前エントリでも紹介した「なんにもないところから芸術がはじまる」の中に解説がある。 K.K、といっても、誰のことなのかわからないひとは多いと思うので、少し立ち入っておこう。K.K.のことを初めて知ったのは、わたし自身が審査員のひとりであった現代芸術の公募展「キリンアートプロジェクト2005」でのことである。そこで、匿名ともイニシャルともユニット名ともつかぬ作家名で応募して来た「K.K.
Pixivと現代アート(カオスラウンジ)問題についてちょろっと述べてみる。 ※7/27AM0:58追記 この記事は虹裏の皆さん向けではなく、この数日でTwitter界隈に ポッと沸いて出たようなPixivカオスラウンジ騒動の 現代アート部分に反応した層向けの記事です。 個人としては、キメこな問題から追ってはいますし、該当記事にも目を通しています。 ご理解よろしくお願いします。 Twitterとかで、憤りは分かるけどちょっと本質とずれてるような物を 多く見たので、現代アートってそもそも何なん?ってところから。 一応美術専門教育を受けた身として色々感じるところがあるので。 あ、その前に経緯については、比較的よくまとまってるので こちらからどうぞ。 http://d.hatena.ne.jp/deathno/touch/20110719 ※追記:上記ページが作成者様判断により閉じられてしまいまし
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