人生と時代に関するsatoshiqueのブックマーク (37)

  • NHK MUSIC SPECIAL 高橋幸宏 創造の軌跡

    放送 2023年2月16日(木) 午後10:00 ~ 午後10:45 再放送 2023年2月21日(火) 午前1:25 ~ 午前2:10 ※月曜深夜 惜しまれつつ亡くなった高橋幸宏の足跡を辿る特番が放送決定 闘病中だった高橋幸宏が1月11日に逝去した。各界の著名人、そして世界中のファンから哀悼の意と共にその素晴らしい功績を讃える声が寄せられた。そうした高橋幸宏の創造の軌跡を辿る特番の放送が決定。音楽のみならず幅広いジャンルでその才能を発揮したアーティストの世界を改めて体感していただきたい。 ソロ、そしてYMOやサディスティック・ミカ・バンドをはじめ様々なユニットで活躍した高橋幸宏。ドラマー、ボーカリスト、プロデューサー、作詞・作曲家といった音楽面だけでなく、ファッションやコメディーの世界でも才能を披露したアーティストである。日のみならず世界から高い評価を受け、海外でも多くのファンを虜に

    NHK MUSIC SPECIAL 高橋幸宏 創造の軌跡
  • 高橋幸宏さん逝去 われらが世代のヒーローだったことを痛感する|松尾潔のメロウな木曜日

    スタジオジブリ発行の小冊子『熱風』をご存じだろうか。その最新号(1月号)で、ぼくはジャーナリスト青木理の連載対談「日人と戦後70年」に招かれた。ぼくより一学年上の青木さんは、対談が始まるや自分がポップミュージックに疎いことを告白。ふたりの接点を見出すのは困難かと思われたが、意外や共通の原体験はあっさり見つかった。 それはふたつあった。多勝一の著作と、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の音楽。ただ「多勝一世代」と呼ばれると、今ぼくは正直いささかの抵抗を覚える。一方「YMO世代」という呼び名には、青木さんもぼくも否定する理由がない。まるで毛細血管のように人生の微細な場所にまで入り込むのが、ポップミュージックのレゾンデートル。あるいはこれが同世代ということか。 『熱風』が発行された翌日の1月11日、YMOのドラマー高橋幸宏さんが逝去された。享年70。同じ音楽業界にいても個人的な付き

    高橋幸宏さん逝去 われらが世代のヒーローだったことを痛感する|松尾潔のメロウな木曜日
  • 「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン

    ◆◆◆ 「高校の頃、家に帰ると母と同級生が麻雀していてなぜかユーミンもいて…」 1952年6月6日、東京に生まれた高橋幸宏の父は会社経営者で、軽井沢に別荘を持ち、長じると一家は夏には軽井沢という生活を送っていた。後に音楽プロデューサーとなる兄の高橋信之は高校生のときにバンドを組み、高橋幸宏も小学生の頃からドラムを始めた。ドラムを選んだ理由は<ドラムを練習できる家に住んでいる子どもがそうはいなかった>のも理由のひとつだと後年のインタビュー(ユリイカ2013年10月臨時増刊号/インタビュアー:青野賢一)で話している。 中学生になると自分のバンドも始めた。メンバーは後にバズを結成する東郷昌和ら。荒井由実もメンバーに加わることがあった。のちのユーミンである。当時、高橋幸宏は15、16歳、ユーミンは14歳。当時の高橋幸宏の実家は200坪を超える大きな日家屋で、そこには多くの人が集まった。 立教高校

    「高校の頃、家族がマージャンをしている居間になぜかユーミンもいて…」高橋幸宏が数々のミュージシャンから愛され続けたワケ | 文春オンライン
  • 今日、30歳になった

    私は、1993年の1月に生まれた。1歳から大学までは、神戸市で生活していた。神戸はとてもいい場所だ。街の中心部である三宮はおしゃれな街で、大阪駅までも直通で30分。中華街で有名な豚まんをべ、旧居留地の優雅な建築を抜ければ、港から海を見渡せる。中心部から少し足を伸ばせば、B級グルメを出す飲店が立ち並ぶ下町の長田、六甲山の麓に日屈指の酒蔵を擁する灘などにも行ける。どの地域も個性にあふれた「退屈しない街」だ。この街で人生の3分の2を過ごせたことを、私は幸せに思っている。 私が住んでいた地域には大学があった。このキャンパスは自然豊かなことで知られていて、敷地内に公園や池があったので、私は物心ついたときから時々家族とこの大学内を散歩していた。子どもだった私は漠然と、大きくなったら私もこんな学校で勉強するのかな、なんて思っていたものだ。 私が小学校にあがる前のある日、父とふたりで大学の中を歩いて

    今日、30歳になった
    satoshique
    satoshique 2023/01/11
    あのとき東京に住んでいて、同じ関西出身の元カノからの電話で起きた。テレビで三宮の光景を見て少し泣いた。あの年は日本のボランティア元年と言われてたね。その後の災害支援に繋がっていった。
  • 久住昌之×吉田類の昼酔い放談――何が楽しいのかわからないけど、何だかみんな楽しそうなお店がずっと好き - ぐるなび みんなのごはん

    『孤独のグルメ』の原作者・久住昌之と、『酒場放浪記』の吉田類による昼酔い放談が実現! ふたりが選んだのは、創業半世紀を超える銀座の名店「大衆割烹 三州屋 銀座店」だ。 ひとり飯とひとり飲みの二大巨星による放談、一体どんな戦い(?)になるのか? ――意外にもおふたりが対談するのは今日が初めてなんですね。ドリームマッチが実現したような感じでうれしいです。 久住 ドリームマッチって、何の(笑)。大げさだなあ。類さんに最初にお会いしたのは、まだ移転する前の、中目黒の藤八。あそこで宴会をやったときにご一緒したんですよね。 吉田 『孤独のグルメ』と『酒場放浪記』というのはファンがカブってるみたいで。だから今までも2人で出てほしいという話は何度かあったんですが、ようやく今日実現しましたね。 久住 この間、福井県の敦賀で駅前の店に入ったら、いきなり類さんのサインがあって。こんなところにも来てるんだ……っ

    久住昌之×吉田類の昼酔い放談――何が楽しいのかわからないけど、何だかみんな楽しそうなお店がずっと好き - ぐるなび みんなのごはん
    satoshique
    satoshique 2022/10/07
    高知の話面白いなあ。Eテレの #スイッチインタビュー でやればいいのに。
  • 町山智浩 on Twitter: "1992年頃、飯干景子さんの合同結婚式問題で、テレビで毎日、統一教会を批判していて、世界日報のことも報じていました、高市早苗さんも知らないわけないんです。1989年頃、飯干さんと一緒にテレ朝の「プレステージ」のレギュラーだったから… https://t.co/tPv0kWjTP3"

    1992年頃、飯干景子さんの合同結婚式問題で、テレビで毎日、統一教会を批判していて、世界日報のことも報じていました、高市早苗さんも知らないわけないんです。1989年頃、飯干さんと一緒にテレ朝の「プレステージ」のレギュラーだったから… https://t.co/tPv0kWjTP3

    町山智浩 on Twitter: "1992年頃、飯干景子さんの合同結婚式問題で、テレビで毎日、統一教会を批判していて、世界日報のことも報じていました、高市早苗さんも知らないわけないんです。1989年頃、飯干さんと一緒にテレ朝の「プレステージ」のレギュラーだったから… https://t.co/tPv0kWjTP3"
  • サイゼリヤのメニュー番号で貧しさを感じるという話

    PA05と注文してカルボナーラが出てくることが、貧しく恐ろしいという話を聞いて思い出したことが有る。 俺はあのオヤジのやってるA定が好きだった。 その定屋は、日替わり定が、A定、B定、C定と呼ばれていた。 ランチタイムのA定は、いつも唐揚げ定だった。B定やC定はその時々で違った。 確か、C定だけ100円か200円高くて、刺し身だの天ぷらだのはC定だったはずだ。 自分はA定が好きで通っていた。唐揚げとポテトサラダとご飯と味噌汁と胡麻団子。 だから、自分の青春は、A定とともにあった。 A定と聞いて思い出すのは、四季折々暑すぎたり寒すぎたり砂っぽかったり土砂降りだったり、そんな毎日の昼飯時だ。 治安は今よりも悪く、街並みもきれいとは言いがたかったが、やはり記憶の中の思い出は輝いている。 だからたぶん、あの定屋が小綺麗な店に変わって、唐揚げ定と、ハンバーグ定と、

    サイゼリヤのメニュー番号で貧しさを感じるという話
    satoshique
    satoshique 2022/07/08
    料理人も給仕もロボットがやるのが資本主義においては合理的なので、飲食店に限らず店員と人間的なコミュニケーションをとるのは、富裕層だけに許される贅沢になるかもしれない、まで思う。
  • あさま山荘事件 “獄中”50年 無期懲役囚を揺さぶった裁判長の言葉 - クローズアップ現代

    https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pVB8n9G9Eg/ 1979年3月、日中の注目が法廷に集まった。 社会を震撼させた「あさま山荘事件」の実行犯である「連合赤軍」元幹部に、初めて判決が宣告されるからだ。 元幹部・吉野雅邦(現在73歳)は、同志14人の命を奪った“リンチ殺人”に加担したなどとして、検察官から死刑を求刑されていた。犠牲者の中には、自らの子どもを身ごもったの金子みちよさん(享年23)も含まれた。 その日、裁判長は3時間近くにわたって、とつとつと判決理由を説明した上で、最後に主文を告げた。 結論は「無期懲役」。死刑ではなかった。そして、裁判長は吉野に直接語りかけた。 「被告人は生き続けて、その全存在をかけて罪を償ってほしい」 事件から50年、生きて償うことを課した裁判長の言葉を吉野は

    あさま山荘事件 “獄中”50年 無期懲役囚を揺さぶった裁判長の言葉 - クローズアップ現代
  • 昔の人って電車のなかでなにしてたの?

    今だったらスマホで無限に時間を潰せるけど、昔の人って通学・通勤の電車のなかとか、新幹線で移動するときとか、いったいなにしてたの?

    昔の人って電車のなかでなにしてたの?
    satoshique
    satoshique 2021/10/23
    網棚は「善意のマガジンラック」だったな。よくお世話になってジャンプやスピリッツ読んでた。当時はまだ駅にゴミ箱があったんだけど、あえて捨てずに網棚に置いて降りるのが、ある意味マナーだった。
  • WEB特集 ジョン・レノンのいない世界で | NHKニュース

    「僕を夢想家だと思うかも知れない/だけど僕は1人ではないはずさ/いつの日かきみも仲間に加わって/世界はきっとひとつになる」 今も世界中で歌い継がれる、ジョン・レノン「イマジン」の一節です。1980年12月8日。ジョン・レノンは自宅前で凶弾に倒れ、40歳でこの世を去りました。それから40年。“愛と平和”を唱え、社会の不正義に抗ったジョンの歌は、無慈悲なテロ行為に傷つく人々の間で、分断が進む社会の中で、コロナ禍で孤立する世界の片隅で、繰り返し歌い継がれています。ジョンが生きた時間と同じ年月が過ぎた40年後の社会でその歌はどのように響いているのでしょうか。息子のショーン・レノンさん、そしてジョン・レノンを“原点”と語る音楽家の小林武史さんへのインタビューを交えて紹介します。 ※一部敬称略 (科学文化部記者・河合哲朗 アメリカ総局記者・及川利文) 東京・港区で開催されているジョン・レノンとオノ・ヨ

    WEB特集 ジョン・レノンのいない世界で | NHKニュース
  • 『チェインギャング』

    僕の話を聞いてくれ 笑いとばしてもいいから ブルースにとりつかれたら チェインギャングは歌いだす 仮面をつけて生きるのは 息苦しくてしょうがない どこでもいつも誰とでも 笑顔でなんかいられない 人をだましたりするのは とってもいけないことです モノを盗んだりするのは とってもいけないことです それでも僕はだましたり モノを盗んだりしてきた 世界が歪んでいるのは 僕のしわざかもしれない 過ぎていく時間の中で ピーターパンにもなれずに 一人ぼっちがこわいから ハンパに成長してきた なんだかとても苦しいよ 一人ぼっちでかまわない キリストを殺したものは そんな僕の罪のせいだ 生きているっていうことは カッコ悪いかもしれない 死んでしまうということは とってもみじめなものだろう だから親愛なる人よ その間にほんの少し 人を愛するってことを しっかりとつかまえるんだ 一人ぼっちがこわいから ハンパに

    『チェインギャング』
    satoshique
    satoshique 2020/11/25
    このライブ、見に行った記憶がある。
  • 日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄

    私たちを乗せた飛行機はパキスタンのカラチ空港で給油し、二十時間ほどのフライトでバグダッド空港に着いた。 タラップを降りたとたん、私は激しい息苦しさを覚えた。 私がアルバイトでイラクの建設現場に行くことになったのは、1980年の七月半ばのことだった。サダム・フセインが大統領になった翌年である。当時、大学を中退した私は、金がなくなると高田馬場の職安前の公園内にできる寄せ場に行き、日雇い労働でいつなぐ生活をしていた。 そんなある時、顔馴染みの手配師が、「にいちゃん、外国の現場があるんだけど、行かねかぇかい?金はいいよ」と誘ってきた。聞くと、契約期間は七月末から三か月。旅費は勿論、衣住付きで三百万円を支払う。仕事は日の大手建設会社が建てているビルに資材を運び入れる外国人労働者の監督をするのが仕事だという。 「こんなにうまい話があるのかな……」と多少疑心暗鬼にはなったが、「前金として百万円払う

    日雇いアルバイトでイラクへ行った。そこで見た地獄
  • 音楽で飯を食わなくてもいい。toe山嵜と考えるアーティストとお金の関係|SustAim

    toeは僕が世界一リスペクトするバンドといっても過言じゃない。CDを全部所有しているアーティストは指で数えられるぐらいだけど、toeはその一つ。音楽が最高なのはもちろん、アーティストのあり方としても頭が上がらない。 結成以来、メンバー全員がそれぞれ業(インテリアデザイナー、アパレル経営、レコーディングエンジニア、プロドラマー)を持ち、バンド活動は生活の糧にしない。レーベルも事務所も自主運営で、バンド公式のSNSアカウントはない。バンドにボーカルがいないインストロックバンド。ほぼノープロモーションで活動して20年。こんなやり方で熱狂的なファンが世界中に存在する。 僕はtoeと浅からぬ縁がある。実は海外ツアーマネージャー兼前座アクトとして、toeにとって最初となるヨーロッパとアメリカツアーを、それぞれ2回ずつ回った。ロンドン、パリ、モスクワ、ニューヨーク、ロサンゼルス…。世界のいたるところに

    音楽で飯を食わなくてもいい。toe山嵜と考えるアーティストとお金の関係|SustAim
    satoshique
    satoshique 2020/06/05
    幸せとはなにか、という風にも読める。
  • 「変わったなあと思う」90年代のアキバは私の街だったという話に共感する人たち

    牛帝 @gyutei_4koma もともと5ページで2ツイートに分かれてしまったのを、4ページに編集しました(内容は変更なし) 書泉ブックタワーに関しては僕の記憶違いで、1994年開店のため、1993年時点では存在していません。失礼いたしました。 2020-05-17 06:24:55 牛帝 @gyutei_4koma 連続して申し訳ないですが、これも伸びたので宣伝させて下さい >『牛帝4コママンガ劇場2019』 ・FANZA同人:dmm.co.jp/dc/doujin/-/de… ・DLsite:dlsite.com/maniax/work/=/… ・BOOTH:gyutei.booth.pm/items/1744775 2020-05-17 10:01:58

    「変わったなあと思う」90年代のアキバは私の街だったという話に共感する人たち
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    satoshique 2020/05/21
    中古のゲームソフトをあさったあと、怖いもの見たさでマハーポーシャを冷やかしたりしてたな。
  • 三宿Webが近々閉店することが決定致しました : ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~

    一昨日の午前中に大量の第2次Web-Tが到着して黙々と発送梱包作業してた最中にうちのオーナーからLINEが来て。まあ今は忙しいから後で見て返そうと思ってたんですが、冒頭が「お疲れ様。来なら会って話さなければいけない事なのだが…」的な文言で、一抹の嫌な予感を感じつつも作業を継続してたんですが、余りにもちょっと気になり過ぎて集中力が散漫になりつつあったので、一旦作業を止めてLINEを見てみたら案の定的な長文の内容で。ざっくりかいつまむと、 『店を継続するか否かについて、世の中の様子をみながらしばらく悩んでいたが、早めに苦渋の決断をした。今回、緊急事態宣言延長を受け、残念ながら長年続いてきたWebを閉店する流れとなりました。』 とのこと。出来れば今月中、遅くても来月末までと。あくまでも相談では無く決定事項的な書き方。基的にボクがギブることはあってもオーナーがギブることは考えにくく、更には正直

    三宿Webが近々閉店することが決定致しました : ナガサワブログ PART3~この熱い魂を伝えたいんや~
    satoshique
    satoshique 2020/05/15
    大したことじゃないけど、思い出はいくつかあるなー。まだ続いてたのは知らなかった。
  • 中島らもと喋った話 - 製作日記

    中島らもと喋った話を書く。 18歳ぐらいの頃、生きている理由がなかったので、ライブのチケットを買って、そのライブに行くまでとりあえず生きる、ということをしていた。 それで、大阪心斎橋のサンホールだっけな、なにせ地下の店、そこで、当時片っ端から読んでいた中島らもと町田康が一緒にライブをするというので観に行った。 作家二人のジョイントライブだったからか、今思うと変な観客席だった。フロアの後ろ半分は椅子が出ていて、前半分は立ち見、でもそこで観客は全員体育座りをしていた。 中島らもは、60代にも10代後半にも見える、細い服を着たホームレスっぽい人で、優しそうだけどガラが悪そうだった。大所帯のバンドで、豚はキレイ好きだから嫌いだ、みたいな歌を歌っていた。 体育座りの客のテンションと、中島らもの存在感のギャップが変な感じだった。所在のなかった僕は、体育座り勢のすぐ後ろ、椅子席の真ん中に通っている通路の

    中島らもと喋った話 - 製作日記
  • 『逃げるは恥だが役に立つ』論(後編)『逃げ恥』が描く「男らしさ」の罠と、星野源について(成馬零一) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    『逃げるは恥だが役に立つ』論(後編) 『逃げ恥』が描く男らしさの罠と星野源について言及作品(ネタバレあり) 漫画・ドラマ 逃げるは恥だが役に立つ アニメ 新世紀エヴァンゲリオン アナと雪の女王 映画 図書館戦争シリーズ アイアムアヒーロー シン・ゴジラ ドラマ モテキ 踊る大捜査線 真田丸 稿はテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(以下『逃げ恥』)論の後編である。 前編では『逃げ恥』の脚家・野木亜紀子の仕事を振り返ることで、彼女がどのように原作漫画をドラマに置き換えたかについて考察した。 前編はこちら 後編では『逃げ恥』で引用されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、『エヴァ』)の影響がテレビドラマにどのように引き継がれてきたかについて考察すると同時に、津崎平匡へと至る童貞男性を主人公とした恋愛ドラマの系譜をたどり『逃げ恥』が何をなし得たのかについて考察する。 そして最後に、平匡

    satoshique
    satoshique 2016/12/20
    逃げ恥見てないけど「らしさ」から降りた者として面白く読めた。/良い悪いじゃなく実際は、星野源はタフでオザケンはよりナイーブだと思う。