まえおき 震災に触れる作品は、不謹慎だろうか? あの日東北にいなかった人間がいま震災のことを知ろうとすることは不謹慎だろうか。 どこかで誰かが不謹慎と言うかもしれない。 それでも、私は震災に向き合うことは悪いことではないと思う。 誰かが言う不謹慎という言葉が持つ無言の圧力がよけいに勇気を必要とさせる。 概念としての不謹慎は海外にもある。 でも、世間という概念は今の所、どうやら日本という国家の中にしかないらしい。 自粛ムード、みたいなものは他では見られないようだ。 私は震災というものが不謹慎というものとセットになっているように思えてならない。 その事にずっと違和感を感じてきた。 震災を題材とすること、それ以降の東北地方を物語の舞台にすること。そういったもの全てに不謹慎というワードがつきまとう。 その違和感の正体がわからなくて、そこに何があるのかをずっと突き止めたかった。 喉元にわだかまりがあ