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増田と人生に関するstyle_blueのブックマーク (38)

  • 成年後見人になってはいけない…と弁護士は言った。

    https://anond.hatelabo.jp/20200111024952 これを書いた。 色々疲れているので、めちゃくちゃに書いてスッキリしたかった。はっきり結末を書いていない部分も多く、文章の構成も考えないで書いたから支離滅裂だと言われると頷くしかない。 アドバイスくれた人もいたので、それに対して少し答えようと思う。 あと、成年後見人については、今回のことで少々知見を得たので、それを記すことにする。 一つ言い訳をするなら、自分の下の世代に「自分が若い頃は…」って話はした事がないし、同じ道を歩んで欲しいとも思わない。 最近の若者は優秀で素直な者が多い。そのせいか、一部のクズが目立ち過ぎているという面はある。 クズはどの世代にも一定数いるので、突出して多いわけではないが、メンタル面の弱さはやや感じる。 彼らには面倒だなと思うことはあっても、怒りを感じることは少ない。 たまに、自分は正

    成年後見人になってはいけない…と弁護士は言った。
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    style_blue 2020/01/20
    こーゆーときに供託って制度は使えないのかしら?
  • ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟..

    ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟きを見かけて思い出した話。だらだらと書いたので文章汚いし長いけど、3連休の暇つぶしにでもどうぞ... 小学生(多分3年生か4年生の頃)の冬休み前に任天堂DSが発売された。折りたたみ式で画面が上下ふたつあって、下の画面をペンでタッチして遊ぶ。最初に某学年誌だかで写真を見たとき驚いたし、素直に欲しい!!と思った。私はそれまでゲーム機という物を持っていなかった。ゲームキューブもゲームボーイも触った事がなかった。持っていなくても友達と遊べたし、別段興味がなかった。 けれどDSが発売されたのはクリスマス前で、友達は次々とDSを手に入れていった。クリスマスプレゼントで、お正月に祖父母から、お年玉で、学年末テストで頑張ったから、進級祝いで......学年が上がった頃には大半の同級生がDSで遊んでいた。 私は持っていなかった。クリスマスも

    ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟..
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    style_blue 2019/10/04
    まぁ何ていうかご家庭はいろいろだよ。そーゆー自分になるしかないし、何ならそれが個性だしそうしたければ今から取り戻せばいい。楽しんで。
  • 学校では人生ゲームのルールを教えろよ

    学校じゃ学問、道徳とかを教えてるけど、もっと質的な事をちゃんと教えろよ。 例えば、中卒高卒じゃまともな仕事に付けないから、Fランレベルでもいいから大学を出ろとか、 仕事とは言え、一度体を壊したり精神を病んでしまうと元に戻れなくなるから、まずは守りを固めろとか、 教養レベルの学問、最低限の道徳は必要とは思うけど、もっと人生ゲームのルールについて教えるべき。 普段着で富士山登らしたり、武器なしで戦場に行かしたりするのと同じ事だぞ?

    学校では人生ゲームのルールを教えろよ
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    style_blue 2017/03/07
    しかも普段着で富士山登れちゃう奴がたまに居たりするから困った事になるんだよね。ひと昔前だったら「社会に出る前にとりあえずナニワ金融道は全巻読んでおけ」だったんだけどね。
  • 小学生のとき、親が離婚した。 母親は私を連れて田舎の実家に引っ越した。 ..

    小学生のとき、親が離婚した。 母親は私を連れて田舎の実家に引っ越した。 夏休みとかの長期休暇では、父親(自営)のところに1週間くらい遊びに行ったりして、年に数回は顔を合わせていたと思う。 中学生になってもそれは続いて、私がブリーフからトランクスにパンツを変えた頃、また休みがあったので父親の元へ遊びに行った。 父親の店に行くと知らない女の人がいて、父から「実はこの人と再婚することになった」と言われた。 いきなり引き合わせるなよ……と思いつつ、「へーそうなんだおめでとう、こんな父ですがよろしくお願いします」とか無難なことを言っておいた。 奥さんは結構グイグイくる人で、しきりに距離を詰めてくる感じだった。 今思うと、この子がここにいる間は母親代わりよ!みたいな感情があったのだろうか?今風に言うとマウンティングがすごかった。 この人苦手だなー、とか、再婚かあ、とかで頭が回らないうちに事を終え「明

    小学生のとき、親が離婚した。 母親は私を連れて田舎の実家に引っ越した。 ..
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    style_blue 2016/06/15
    歳を取ってくるとこのエピソードの父ちゃんの方に感情移入してしまう。やりくりたいへんな中奮発したんだろーなーと思うと泣けてくる。今年の夏はひさしぶりにカルピスの原液薄て飲んでみようかな。
  • 父を捨てた話

    幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。 父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。 父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。 兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。 近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。 私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。 兄は大学で上京して私と父は2人暮らしになった。 その後、私は中学受験をして中高一貫の女子校に入った。 兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。 高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものだから、同じ大学に行きたいと思うようになった。 私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。 成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。 ある日、進路を父に相談したところ、

    父を捨てた話
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    style_blue 2015/10/06
    最後まだまだだと締めくくってるけど、普通はそこまで行動できないのですげー立派、超立派。支えてくれた人がいて良かったねと。
  • とりあえず確実に言えるのは、意志の力だけでなんとかするのはやめろ。効..

    とりあえず確実に言えるのは、意志の力だけでなんとかするのはやめろ。効果ない。続かない。 俺の場合は気をつけてる事は次の2つ 1.ハードルを下げる 絶対にこれぐらいならできる。というところまでハードルを下げること。 例えば受験勉強なら、毎日6時間やるとか無理。やる気など続いてせいぜい一週間。 2時間でも無理。1時間でも辛い。一日20分とかまで努力のハードルを下げて徐々に習慣をつける。 ランニングなら一日1kmとかな。 2.環境を変える 環境はバカにできない。 部屋にいてマンガとかゲームとかネットとかで時間を潰してしまうなら、部屋にいてはいけない。 とにかく自分を誘惑する要因を減らせ。 喫茶店とか図書館とか、できるかぎり自分の気が散らなそうな環境に移動しろ。 大事なのは意志力を使うのは最後の手段だ。という認識だ。 できる限り意志の力を使わなくてもやるべき事をやる環境を作れ、そして問題を簡単にし

    とりあえず確実に言えるのは、意志の力だけでなんとかするのはやめろ。効..
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    style_blue 2015/05/14
    いやもうまったくもってしてその通り。
  • 子育てについての自分の中の大きな不安

    http://anond.hatelabo.jp/20140804000142 この奥さんが他人に思えなかった。 自分と重なるであろう部分が多く、自分をちょっと振り返ってみたくなったので、増田で長文を書くことにします。 当に長文なので、そしてほとんどの人にとってはたいした中身もない文章なので、よほど暇じゃないなら読まないでください。まじで。 高校のころまではとにかく何もかも完璧でないと陰に陽に容赦なく責め立ててくる両親に抑圧されていて、友達もいなかったし、自分というものをまともに出したことがなかった。 大学に入って自由がきくようになり、部活動に熱中するようになった。 活動の内容そのものより、自分が組織に貢献できているという感覚がうれしかったのをよく覚えている。 部のために骨身を惜しまず動いた。 一方で、無責任で頭のネジのゆるみきった同期や先輩連中が許せなかった。 でも直接文句を言う度胸は

    子育てについての自分の中の大きな不安
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    style_blue 2014/08/05
    生い立ちから仕事から結婚教育観までがごっちゃになっていて実に増田らしい味わい深いエントリだけど、前記事あわせて現代には「間違えたらいけない」って強迫観念が強くてみんな生き辛そう。
  • なんとなく医学部に入った人は多いんだろうな

    医者なんだけど、俺はそのタイプだった。 しかし、入ってみると泣くほど勉強がキツイ。 高校生までは正直勉強しなくても勉強ができたタイプで、社会はセンターだけ政治経済みたいなごまかしみたいな分野で乗り切って。英語は読解はできるけど知識問題はまったくできない。数学や物理や化学でトップくらいの点数で受かる。という感じだった。そういえば高校受験も社会は0点近くだった、『徳川家康』の漢字がかけないレベルでほぼひらがなで書いたから。 暗記が超絶苦手で当に覚えられない。ずーっと学年最下位近かった。医学部は進級するのがかなり大変で勉強できなきゃ即落とされる。 周りの先生たちは、患者さんの気持ちを考えられるのが大事とか、卒業したら学生の頃の順位は関係ないという。が、1回留年した時は当に地獄だった、2留即退学、これまでの人生パーという不安がヤバカッタが、とにかく暗期ができない。こんな苦しいのに横できれいごと

    なんとなく医学部に入った人は多いんだろうな
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    style_blue 2014/07/15
    文章から文系のセンスが無いのはよく解るんだけど、理解が得意なら趣味でプログラミングとかやってみると面白いかもよと思った。世の中にはいろんな適正とミスマッチがあって面白い。
  • 親が離婚したけど幸せ

    私が10歳のときに両親が離婚したけど、ふつうに幸せに育った。離婚の主な原因は父の浮気。あとは嫁姑関係のいざこざとか、育児に関する意見のい違いとかもあったと思う。6歳くらいのときから離婚するかしないかで揉めてて、4年かけてやったと離婚した。ネットには「こどものために離婚しない」って人も多くいるみたいだけど両親が離婚しても別に不幸じゃなかったよ、っていう人間がいることも知って欲しいな〜と思ったから、両親が離婚したことで幸せに感じたこととかを書いてく。●両親の喧嘩を見なくてすむようになった。最初に離婚しようか、と言い出してから実際に離婚するまで数年かかっていたので、その期間は当に苦痛だった。母のヒステリックな泣き声や、父の怒鳴り声をきくのは当にストレスだった。離婚してからは母子家庭で、母は泣かなくなったし月1で会う父はいつも機嫌よくやさしい父だったので、離婚してからのほうが両親を好きになれ

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    style_blue 2014/07/11
    まぁ人生なんてご家庭それぞれだよね。ちゃんとその後も関係を作れて良かったと思うよ。
  • 娘が結婚したいと言い出した(追記)

    5/28→ anond:20140528080243 しかも東京の、10も上の男と。 同居している娘は今年で25になる。 地元に戻って来る約束で大学に進学させた。 地元で働きはじめて3年目になる。 娘を大学に行かせるため、金も借りたし汗水垂らして働いた。 その一方で、娘は男作りしていたわけだ。付き合いはじめて6年目らしい。 そういえば、娘は就職活動のときも東京に行きたいと言った。 男のために娘は俺ととの約束を破ろうとした。同じ立場におかれたら誰だって怒るだろ? 娘は最終的にわかってくれたと思っていたんだ。それなのに今、また東京に行きたいと。 しかも結婚したいと。 娘が言うには、地元に戻ったのは仕方なくだった、こちらで働くのは苦痛だった、 客は高齢者が多いが罵声を浴びせられることも多く恐怖感が強くなった、職場で過呼吸を起こすようになった、 信頼できる人のそばに行きたい、ということだった。泣

    娘が結婚したいと言い出した(追記)
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    style_blue 2014/05/27
    この手のは似た状況を批判したいためにネガコメを集める釣りだと思いたいんだけど、親が娘の人生まで抱え込まなくてもいいんだよ、失敗させてやれよと思った。しかしつくづく日本は儒教国だねぇ。
  • セクシャルおじさんの憂鬱

    セクシャルおじさんは憂だった。セクシャルなランジェリーは華やかで、おじさんの心も晴れやかであるように見えたが、実際は憂でメランコリーだった。 セクシャルおじさんには娘がいた。名をテリー美といった。おじさんは男の子が生まれたらテリーと名づけようと思っていたが、生まれた子供は女の子だった。しかしおじさんは諦めきれなかった。そこで苦肉の策として、テリー美と名づけたのである。は大反対だったが、おじさんは満足していた。やがて成長したテリー美は案の定、名前のせいでいじめられることになった。テリー美は父を恨んだ。どうしてこんな名前をつけたの。馬鹿じゃないの。死ねばいいのに。それに息もすごく臭い。おじさんは悩んだ。もちろん娘に罵倒されたからではない。思春期を迎えた娘が買ってきた下着をこっそり身につけてしまう自分の性癖について悩んでいたのだ。娘の下着でこんな破廉恥な真似をしていいものだろうか。だが悲し

    セクシャルおじさんの憂鬱
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    style_blue 2014/05/14
    いい話しだった。
  • 高学歴の世界を一瞬だけ垣間見た話

    http://anond.hatelabo.jp/20130901220935 のポストを見て書く気になった。 ただちょっと視点が違う。 =================================== うちは両親が高卒で、親戚には中卒も多い。 貧しいくせに父方も母方も兄弟が多く、受け継ぐ畑がなかったとかで、 県内どころか隣接県にまで跨って親戚一同散り散りになっている。 みんな鳶職、土方、ライン工、その他低学歴っぽい職業の見市。 同じ仕事でも大都市に出ればもうちょっと収入良いと思うんだけど、そういう発想はないらしい。 通ってた小学校では援助交際で子供を作った女子もぽつぽついたし、 親にネグレクトされててパン泥棒で糊口をしのいでる同級生もいた。 酒やタバコが悪いことだという発想なんてそもそもなく、 不良グループっていうのは女子を輪姦して新聞沙汰になったとかそういうレベルの話。 授業な

    高学歴の世界を一瞬だけ垣間見た話
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    style_blue 2014/05/07
    壁の向こう側とこちら側の話。大学で勉強する目的を達成出来て良かったじゃないか。こゆ出自の人が階層アップ出来ないならやはり大学教育は機能不全なのかもしれない。それとも本人の問題なのか。
  • 人の不幸を見て幸せを噛み締めること

    わたしが小さい頃、母はわたしをこうやって諭したり慰めたりした。 「世の中にはこんなに不幸な人がいるんだよ。それに比べてあなたは恵まれてるのよ。」 テレビアフリカの貧しい人が映った時、湾岸戦争の時、駅の柱の下にうずくまっていたホームレス…。 わたしの家は貧しかった。父はわたしが生まれた直後に亡くなり、母はわたしを女手ひとつで育ててくれた。そのことは、当に感謝している。何の技能も持っていない女が、社会に出てお金を稼ぐことの難しさを、わたし自身も社会人になってから身に染みて実感することができた。何度も心がくじけそうになったのだろう、そしてその度に母は上の言葉を自分にも言い聞かせていたのだろう。今ではそれがわかる。そうやって自分を奮い立たせ、わたしを育ててくれたのだ。 でも、当時のわたしはその言葉を聞きたくなかった。辛く悲しい気分になったからだ。自分より下の人間を見て、自分の幸福を噛み締める。

    人の不幸を見て幸せを噛み締めること
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    style_blue 2014/05/03
    本日の増田文学。幸せについて。
  • 性同一性障害の新入社員でした(実話)

    ※みなさんありがとうございます。ブコメで質問などがついたので、末尾に追記しました。他に何かあればコメントください。Twitterも見ています。性同一性障害の新入社員の話(MtF編) http://anond.hatelabo.jp/20140430194840 が書かれていました(返ってくると思わなかった…有難うございます)性別逆パターンとして、こちらも是非お目通しください。 (4/30 20時くらい)性同一性障害の新入社員 http://deztec.jp/design/14/04/28_society.html 先に上記の話題エントリについての私の結論を述べておくと、トイレも更衣室も作業服も、男女用はこれまで通り、多目的用をひとつを用意することで諸々解決すると思いました。そのように、グラデーション領域用を用意しておけば、施設選択の問題は解決できているので、全体に対する事前説明はそもそも

    性同一性障害の新入社員でした(実話)
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    style_blue 2014/05/01
    たいへんな努力の上で自分の立場や居場所を勝ち取る訳だからGID持ちに優秀な人が多いのは解る気がする。そして社会がもっと開かれて行けばいいよね。
  • 小児病棟の村上春樹

    子供の入院に付き添って、しばらく病院に滞在していた。 手術の前後は必ずいなければならないのだが、親がすることできることは限られていて、概ね退屈な時間が続く。持参したを読み終えて、院内文庫でを借りることにした。頭は使いたくないが、すぐ読み終わるようなものは困る。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」があった。好きな小説だが、ここ数年は読んでいなかったので、これを読み始めた。 小児病棟というのは、悲劇が日常になっていることが、感じられないくらい空気に溶け込んでいる場所だ。 付き添いで泊まり込んでいる若い母親が、もう泣きたいよーと笑いながら話す声が聞こえる。子供なんて、普通に生まれたら普通に育つもんだと思ってたら、まさか癌になるとはね。私からは見えないところから、笑い声の合間に鼻をすする音はするが、声は乱れず明るい。 細い足をむき出しにした小さな子を抱っこ紐で抱えたパンクファッションの母親が、

    小児病棟の村上春樹
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    style_blue 2014/03/31
    本日の増田文学批評。
  • 大学5年生だったころに経験した日雇いアルバイト

    留年した年、親からの仕送りがストップしたため、1年間日雇いのアルバイトをした。 夕方6時から翌朝8時まで、自宅付近にあった運送会社の集配所で、荷物の仕分けをする仕事だった。 残す単位は2つだけだったので、学校に行く必要はほとんどなかった。 アルバイトに来るのは合計7人くらい。顔ぶれは毎日ほとんど同じ。 学生や見知らぬおじさんが来ることもあったが、2日以上勤務する人は当にまれだった。 たまに続けて出勤する人もいたが、数週間くらいで来なくなり、またもとのメンツに戻る。 勤務時間が長いし、ずっとダンボール箱を移動しつづけるのは当に辛いし、常連メンバーの雰囲気も独特だった。 学生はひとりもいなかった。 働く場所は、鉄骨で組まれた大きな倉庫だった。 夕方、倉庫に到着すると、片側半分くらいがうず高く積まれたダンボールで埋まっている。 もう片側には運送トラック用の搬入・搬出口が8カ所ほどある。 僕た

    大学5年生だったころに経験した日雇いアルバイト
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    style_blue 2014/03/30
    本日の増田文学。しみじみするね。椎名誠が若い頃の経験を題材に書いた短編小説読んだみたいな感じ。何て言うかブンガク的なものって時代が進むにつれエッセンスだけ残して短縮されて行くのかなとか思ったりした。
  • 三四十年前に当時としても(正直いうと今考えても)キラッキラッした名前..

    三四十年前に当時としても(正直いうと今考えても)キラッキラッした名前を付けられた私から、元増田に頼みたいことと言いたいことがある。 頼みたいことは簡単なことだ。 将来あなたがその姪御さんと普通に親戚付き合いするようになったとしても、決して名前について触れるな。 その名前が原因で避けてたなんて言うな。 姪からしたらそんな叔父の存在を知るだけで、馬鹿らしかったり、呆れたり、叔父を切り捨てたくなったり、よい感情はない。 あなた自身のためにも、言うな。 この下に言いたいことを書くが、言いたいことのついでに自分語りもするので後は読まずに無視してくれて構わない。 一行目にキラッキラッした名前だと書いたが、私の名前は私の年齢にしては非常に日人らしくない。 幼稚園の先生に笑われ、中学では男子にからかわれ、英語圏にホームスティに行けばホストファミリーにそれはあなたの当の名前なのかときかれるような名前だ。

    三四十年前に当時としても(正直いうと今考えても)キラッキラッした名前..
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    style_blue 2014/03/18
    山神ルーシーさん乙です。まぁどうしてもね、この手の問題には親の人となりが写っちゃうんだよね。とはいえ当事者ならではの意見で面白かった。
  • 5年以上ロクなものを食べていない

    かれこれ、少なくとも5年以上はまともな事を取っていない。 朝と昼はコンビニかスーパーの惣菜で、 晩は4種類のメニューのどれか(チンジャオロースー・きのこの炒め物・麻婆茄子・レトルトの餃子)と決められていて、 他のものはべられない。 我が家のルール理由は、専業主婦の母が更年期障害になって料理をしなくなり、その上で自由に台所を触るのを禁じたため。 私は大学生だ。高校は、全生徒が大学に進学するのが当たり前ということになっていて、 それ以外の進路を希望すると指導室行きになる学校だったため、就職という選択肢はなかった。 父と母と私の3人家族。父は単身赴任していて好きなものをべられるから、私のことなんて知ったこっちゃないのだ。 父の口癖は、「お前さえ黙っていれば家の中は丸く収まるんだ」。 朝ご飯と昼ご飯は、私はべること自体が禁止されていて、お湯を沸かしてカップラーメンべることさえ許されなく

    5年以上ロクなものを食べていない
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    style_blue 2013/09/08
    程度は違えどこんな感じでどっかぶっ壊れてる家庭って割とあるんだろーなーと思ってみたり。親族も地域社会も安全装置として機能しないなら、そりゃ良し悪し言ってる場合でなく役所や警察の出番になるよなー
  • 文章系専門学校で学んだこと

    http://anond.hatelabo.jp/20130830202223 小説を書くための学校に、2年間通った。 特定を恐れずに、その経験談を書いておこうと思う。 最初の教科書は多勝一と木下是雄だった。 400文字詰原稿用紙のレポートを何度も書かされた。学校までの道案内や入学式の報告といった、無味乾燥としたレポートだ。 その400文字は、先生の厳しい添削で真っ赤になるのが常だった。 まともな文章をたった400文字すら書けない。その現実の中で僕らはもがいた。 を読んだ。 プラトンから「神々の指紋」まである推薦図書のリストがあって、半分は読んだと思う。(神々の指紋は残念ながら読んでいない) 村上春樹や吉ばななや江國香織が好きな人が仲間内では多かった。一方で、ラノベばかり読むグループもいた。 僕自身は、SFの古典や人文学系の新書を読んでいたと思う。 その時期いちばん読んで良かったと思

    文章系専門学校で学んだこと
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    style_blue 2013/09/02
    こゆ所行く事と小説家になれる事は別の次元だけど、社会に出てからも文章を書く機会は山の様にあるんだし、無駄にならない良い訓練だったと思う。とにかくアホみたいに読む事と書く事が大事だよね。
  • 出来るバックパッカーは仕事も出来る

    昔はバックパッカーでフラフラしていて、今はここで名前を出せば誰でも知っている某企業で働いている。 同僚は有名大学出身者のプロパーばかりのなか、4流私大出で20代の何年かをフラフラしていた中途社員の自分だけど、ぶっちゃけ自分は仕事ができるほうだと思っている。 バックパッカーでの経験は、そんな自分の仕事をするうえでの土台になっている気がする。 バックパッカーで培われたと思われる事柄について書いてみる。 1.限られえた状況で決断する判断力 バックパッカー旅行にはトラブルがつきものだ。 荷物がなくなったり、お腹こわしたり、飛行機の出発時間が迫っているのに道に迷ったり、そんな時に判断力が求められる。 飛行機の出発時間が迫っているときに、もう少し探せば空港行きの列車乗り場が見つかる可能性もあるが、見つからないかもしれない。 今からタクシーに乗れば確実に空港に着くだろうが結構なお金がなくなる。もう少し粘

    出来るバックパッカーは仕事も出来る
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    style_blue 2013/08/17
    要は常に行動に保険をかけてるって事なんだよ。バックパッカー云々はレトリックだけど、自分も行き当たりばったり旅行をしてた時に想定外のトラブルを何とかして来た経験があるから言いたい事は解る。