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歴史に関するsyofusoのブックマーク (8)

  • 中国時代劇ドラマと年表。中国時代劇を見て中国の歴史を学ぶ。 - 異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ

    中国時代ドラマ時代と時系列をまとめてみました。 主に私が見たドラマだけを書いています。 紀元前、夏の前は黄河文明の時代とかになります。 製作年があんまり古いのは見たくないので、 なるべく新しいものを見るようにしています。 歴史と言いながら、小説を元に作られたもの、 完全にファンタジーのもの、ある程度、歴史を守って演じられているもの、 同じ時代でもぜんぜん内容が違っていたり。。。 まあいろいろですね。 衣装もそれぞれ時代ごとに代わっています。 新たに見たらまた追加していこうと思います。 ちなみに私はおそらくほとんど日で放送される前に見ているので、 タイトルが日で放送されるものと違っているかもしれません。 時代劇を見るときに役に立つ中国語 時代劇には普段使わない中国語がたくさん出てきます。それを少しまとめてみました 中国の時代劇を見るときに知っておくといい言葉 私は日中国ドラマを見たこ

    中国時代劇ドラマと年表。中国時代劇を見て中国の歴史を学ぶ。 - 異邦人になってみた~~上海生活写真ブログ
    syofuso
    syofuso 2016/07/17
    すごい!古代からドラマあるんですね。流石、中国。
  • 但馬の民俗芸能|但馬の伝統行事を検索できます – 但馬の民俗芸能を検索できます

    但馬民俗芸能応援隊 《復活・継承を応援》 但馬には、先人の築いた貴重な財産である民俗芸能・伝統行事が数多く残されています。 けれども伝承者の高齢化、少子化、若者の都市部への流失などによる後継者不足などから、既に消えたものや存続の危ぶまれるものも数多くあります。そこで私たち応援隊は、民俗芸能に心を寄せる住民の輪を広げることを通して、復活・継承を応援していくことを目的に平成16年から活動しはじめました。 令和4年12月をもって応援隊は解散してしまいましたが、民俗芸能がみなさまに愛され続けることを願っております。 〈 おまつり探検隊 〉 応援隊の活動の1つとして『おまつり探検隊』を開催しています。「大きな赤い幟(のぼり)」を先頭に但馬各地の“おまつり”に出かけ、民俗芸能を演じる地元の人々と交流し、感動し、心を揺さぶられています。 あなたもぜひ体験して下さい。 〈掲載内容について〉 但馬の伝統芸能

  • 『論語』どうして孔子は管仲に手厳しいのか - 恐妻家の献立表blog

    管仲を非難できるとしたら、若いころからさんざん迷惑をかけられてきた鮑叔と、殺されかけた桓公だろうが、その鮑叔に推薦され、命を狙った桓公に許されて大臣に出世したくらいだから、この人については悪口を言うべき人がいない。 せめて大臣になってから悪政・失政があればよかったのだが、『管子』は身内ボメだからともかく『史記』でも絶賛であるから文句の出ようがない。あえて言えば、初めに仕えた小白の後を追わなかったことくらいだが、管仲に点の辛い孔子がそんなことはたいしたことではないと言いきってしまったものだから、もう怖いものなしである。 八つ当たり その管仲のことを、孔子は「管氏にして礼を知らば、たれか礼を知らざらんや。」とこきおろした。『史記』で見る限り、管仲はつねに主君、桓公を立てて行動しており、無礼と言うには当たらないように思うのだが、孔子は、管仲の蓄財や豪勢な暮らしぶりを指して臣下の分際で僭越だという

    『論語』どうして孔子は管仲に手厳しいのか - 恐妻家の献立表blog
  • 中国の歴史に学ぶ2 周王朝の時代 - はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~

    中国歴史に学ぶその2です。以前に書き溜めたものを編集しつつupしています。 天下を釣る(てんかをつる) 覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず) 笑わぬ后褒姒 まとめ/傾国の美女 天下を釣る(てんかをつる) 明初に描かれた渭水での呂尚と文王の邂逅 Dai Jin [Public domain], via Wikimedia Commons 日では釣り好きな人を「太公望」と呼ぶが、周王朝の建設に大きな貢献をしたのが、この太公望呂尚であった。 ある日、昌に(周の文王、まだ天下を取っていない時)祖父である古公亶父の代から求めていた優秀な人材に今日は会える、との夢のお告げがあった。 はたして、昌(文王)がある川の畔を通りかかると、一人の男が釣りをしていた。 昌が近づき「釣れますか」と尋ねると、その男は「魚を釣っているのじゃない、天下を釣っているのです。」と、答えた。 昌がよく見ると、釣り糸の先

    中国の歴史に学ぶ2 周王朝の時代 - はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~
    syofuso
    syofuso 2016/06/26
    歴史に学ぶというより、面白いエピソード、説話の紹介になってしまいました。それにしても女性に振り回される話が多いなあw
  • 「中国の史書は『会話部分は創作可。そこが腕の見せ所』という了解があった」という話(高島俊男) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    最近、連続して中国の史書についてのことを書いている。 これはちょっとしたシリーズであって、最後にひとつ書いて〆たいと思っているのだけど、以前書いたつもりで、調べたら書いてないことがあった。 ここのコメント欄でも紹介したんですけどね。 今後も何度も引用・紹介するんだろうけど、ブログ記事にしておこう。 「司馬遼太郎はどういう風に、シロウトをだましてきたのか?」(※褒め言葉) - Togetterまとめ http://togetter.com/li/986379 こちらのほうが鮮明に読めます↓ http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/g/gryphon/20160615/20160615082127_original.jpg?1465946515 …この史書(三国志)は、事実、ないしは事実の経緯についての記載がいたって不備である。 そのくせ、と

    「中国の史書は『会話部分は創作可。そこが腕の見せ所』という了解があった」という話(高島俊男) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
    syofuso
    syofuso 2016/06/23
    歴史はストーリー
  • nix in desertis:書評:『三国志』宮城谷昌光著,文春文庫

    実はとうの昔に読み終わっていたのだけれど,書評を書くタイミングを逃したままここまで来てしまった。なにせ7・8巻の書評が3年前である。このまま9〜12巻は書評無しでもいいかとも思ったが,しかし12巻通した総評くらいは書かないと踏ん切りがつかなかったので,短くまとめておく。 しかし,3年経ったからこそ書けることもある。書の世評が落ち着いているということである。書の世評は毀誉褒貶なのだけれども,宮城谷昌光らしさという点では及第点であるが,三国志ファンの視点からすると物足りない作品とも言えるかもしれない。以下の3つの記事・Togetterは,当時の三国志ファン界隈の雰囲気が非常によくわかるものになっている。あえて言えばTogetterだけでも十分かもしれない。 ・三国文化のバトンを持たずに疾走した有能なランナー宮城谷氏について(Togetter) ・『三国志読』の感想ツイート(いつか書きたい

  • 宮城谷昌光『三国志読本』への批判 「新しい三国志」について - 三国与太噺 season3

    先週、宮城谷昌光の『三国志読』をめぐって、ツイッターでもろもろの意見が飛び交いました。ひろおさんから始まり、僕がいついたことで広まった話の様子は、ひろおさんの方でまとめられております。 http://3guozhi.jp/l/tn.html その中で、議論が飛び火したきっかけが以下のツイートでした。 「これはなかなか怖いことなのです。読者はみな『三国演義』こそが『三国志』だと思っていますから。逆に私の書くほうが嘘だと思われるかもしれない。連載が始まったころは、三国志ファンをすべて敵にまわすのではないか、という恐怖感さえ抱いたほどです」(宮城谷昌光『三国志読』)— にゃも (@AkaNisin) June 13, 2014 これに対して、三国志ファンが正史と演義の区別を知らないかのような認識は古いとの批判が起こり、また一方では演義の再評価をする声も挙がりました。いずれもその通りだと思い

    宮城谷昌光『三国志読本』への批判 「新しい三国志」について - 三国与太噺 season3
  • 中国の歴史に学ぶ1 殷の紂王と妲己 - はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~

    中国歴史が好きで、宮城谷昌光氏の小説歴史を読んでいます。 自分の知識の整理のためにも、殷(商)の時代から三国時代までまとめてみました。 殷王朝首都(BC1350 - 1046)の遺構 photo by Naus (Wikipedia English version) [GFDL 1.2, GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons 歴史を学ぶ意義 神話、伝説から夏を経て殷王朝へ 殷の紂王と妲己 紂王と妲己の悪行 人間の心のなかの悪ー「酒池肉林」 【追記】id:nagaichi   さんより間違いのご指摘がありました。訂正しました。 ご指摘ありがとうございました。 中国歴史に学ぶ1 殷の紂王と妲己 - はまさか日記~浜坂温泉・澄風荘~ [先秦] 傑じゃなくて桀、蕩じゃなくて湯な。商の地というのは、安陽殷墟のことでな。当時は大邑商とか天邑商

    中国の歴史に学ぶ1 殷の紂王と妲己 - はまさか日記~澄風荘しょうふうそう~
    syofuso
    syofuso 2016/06/23
    書き溜めているので、少しずつアップしていく予定。自分は正しいと思ってる辞任した政治家も彼を叩いて落とした我々大衆も心に小さな「酒池肉林」があるような気がします。
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