息子が10歳になった。どういう経緯かを忘れてしまったけど(多分アンケート)こぐま社さんからずっとバースデーカードをいただいていて、息子は毎年楽しみにしていた。そして今回。「おっ!誕生日だからか!」と言って開けた息子がスッと部屋に移… https://t.co/UgwJg68YGz
雨宮処凛がプレカリアート界のジャンヌ・ダルクとして中央論壇に登場した時、彼女の心身が、社会学者や知識雑誌の編集者らによる“食うための言説”の餌食にされないことを、老婆心ながら祈った。 1975年生まれ。中学時代のいじめられ体験に始まり、自殺願望、ビジュアル系バンドの追っかけ、そして右翼運動から労働者運動へと、ドロップアウトを繰り返しながら展開されてきた人生。そんな経歴を彩るキーワードと、ゴスロリ・ファッションとのミスマッチは、いかにも現代社会の「何か」を象徴していそうだ。ニートやフリーター問題を、書斎から論じる知識人にとって、彼女が体現する「何か」を勝手自由に解釈していくことは、かなり誘惑的な作業だったはずだ。 本書も最初、一抹の不安を抱きながら読み進めた。が、対談の相手である若き哲学者、萱野稔人の姿勢が誠実で的確だったゆえに、プレカリアート問題にさほど詳しくない私にも、内容が理解しやすく
名前や名字に「~っち」「~りん」を付けたりすることに抵抗感が薄れたのはいつ頃だろうか。 著者は、小学一年生の頃は「もりゴリラ」と呼ばれていたそうだ。なぜなら、身体が大きかったから。むかしは身体的特徴であだ名を決めていたものだ。ワタシは「ありんこ」だったなぁと、記憶をくすぐられる。 しかし、いまではこうした、あだ名は絶滅しかけているとか。理由は「相手を傷つける」からという気遣いによる。 「ありんこ」と言われて、いい気はしないし、見下ろされているようなコンプレックスもあった。それでも「傷つく」という感情は、大事なものだったと思う。傷つかないことには「傷つける」ということがどういうことか、理解することなく成長しただろう。 著者はいまどき見かけなくなったものとして、「おまえのカアチャン、でべそ」と口喧嘩する風景をあげている。そんな、なんでもない場面から、「やさし過ぎる社会」のゆがみを読み解いていこ
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