政府は2021年度から、テレワークで東京の仕事を続けつつ地方に移住した人に最大100万円を交付する。地方でIT(情報技術)関連の事業を立ち上げた場合は最大300万円とする。新型コロナウイルスの感染拡大で高まった働き方の変化を踏まえ、地方の活性化につなげる。21年度予算の概算要求に地方創生推進交付金として1000億円を計上する。これまでも首都圏から移住して地方で起業する場合の支援制度があったが、
ある日、編集部の食ツウな上司から「蒲田で、すげぇラーメン屋を見つけたから行ってみてよ」と声をかけられた。何が"すげぇ"のかというと、ラーメン屋なのに"現金不可"、しかもメニューは"かけラーメンのみ"だというのだ。ラーメン屋の会計で電子マネーを使ったことがないし、"かけラーメン"というものを食したこともない。たしかに"すげぇ"。面白そうだったので、さっそく蒲田に駆けつけた。 蒲田の飲み屋街に佇む「かけラーメン まさ屋」 絶対、電子マネーが使えなさそうな店構えなのに…… 蒲田の駅前商店街を進んで小路に入ると、スナックや居酒屋がひしめく古き良き昭和風情たっぷりの飲み屋通りに行きつく。実は、この辺りには行列のできるラーメン店も数軒あり、ラーメンファンにはわりと馴染み深い場所だったりする。そんな一角に「メニューはかけラーメンのみ、現金不可」と書かれた手書き看板を発見。ここが、目当ての一軒「かけラーメ
もとい、4年7ヶ月ソリューションズエンジニア(=セールスエンジニア)として勤めたGitHubを退職します。月曜が最終出社で、年末をもって退職です。 GitHubでの思い出たち 思い返せば2014年、GitHubに応募したときにはまだGitHubにはグローバルでも120人ほどしか社員がいなかったのですが、半年後、2015年に入社したときには300人、その翌年には600人を超える規模に急激に成長しました。。 2019年も終わりの現在、1400人近くいます。来年にはさらに倍近く増えるはず。随分大きな企業になったものだ。。この4年半でシリーズBで2.5億ドル調達、その3年後にはマイクロソフトに75億ドルで買収されたわけです。いやはや。。 日本法人も私が入社したときはDiceと僕の2人しかおらず、アメリカからセールスがもう1人の3人体制でしたが、今は16人ほどに増えています。いやー大きくなった。 自
Tomorrow’s the big day, and we’re expecting big things – well, one really big thing for sure. Apple will kick of WWDC 2023 at 10AM PT Monday June 5 with its customary keynote. As ever, the event Correction: A previous headline of this post said Rivian was selling stock for $3 billion. Lucid Motors is planning to raise $3 billion through stock sales. We regret the error. Welcome back to The St
世界貿易機関(WTO)が韓国による東北など8県の水産物の禁輸措置を容認してからまもなく3カ月、旬を迎えた東北を代表する海産物「ホヤ」が大量廃棄に今もあえいでいる。捨てられ続ける状況に歯止めをかけようと立ち上がったのは宮城県塩釜市の飲食店オーナー、佐藤文行さん(59)。「これをヒーローにしないでどうするの」とその味に魅せられ、食の力で現状を打破しようとする活動に密着した。まずは最新の動画をご覧ください。 https://creators.yahoo.co.jp/otashingo/0200028669 終わらぬ禁輸措置 大量廃棄にあえぐホヤホヤの刺身(筆者撮影)「ホヤほど健康に効果的で多様な料理に活用出来る食材はない!」と佐藤さんは言う。 塩味が強く、独特の風味を持つホヤは宮城・岩手を中心とした東北地方では日常的に食べられている海産物。むきたての生臭さのないプリプリな食感は地域で長年愛されて
妻が寝ちゃって暇なので、深夜に私の転職した話を書くよ。 ■経歴と話のまとめ WEBメディアとかやってるIT企業に就職。イメージは、楽天かリクルートかYahooかサイバーエージェントかDeNAかGMOかその辺りで考えていただければと。そこを7年ほど勤めた後に、大学時代の友人に誘われて共同で起業。ただ、とあるきっかけで起業した会社を離れることになって、転職活動を新たにして無事内定もらって働いているって話。 ■起業の経緯 自分で言うのもあれだが、最初の会社ではかなり評価されていて同期の中では昇進早い方だった。年上のメンバーもマネジメントしてたし、IT企業なりの実力主義みたいなのにうまく適応できて、トントンと昇進して年収も900万円前後だった。 ただ、そんな中で大学時代の友人に起業に誘われ、共同創業で起業することになった。もともと起業には興味があって、何かやるネタがないかなと考えていたところだった
OPTiM TECH BLOG 編集長の川瀬です。 昨年12月に本ブログを開始し約4ヶ月が経過しました。当初目標として週1回の更新を掲げたのですが、メンバーの奮闘もあり目標のペースを継続できています。 いろいろな方にSNSで言及いただくなど反響もあり、大変ありがたく思っております。今後も「OPTiM TECH BLOG」をよろしくお願いいたします。 昨日「どこの企業のテックブログがすごいとかありますか?」って聞かれたので、 OPTiM TECH BLOG https://t.co/IuObhtWlWO を紹介しておいた。— V (@voluntas) 2019年3月27日 私がオプティムにジョインして15年程度経過し、これまで多くのプロダクト・サービスに関わって来ました。そこで今回はオプティムのこれまでの代表的なプロダクト・サービスの紹介とそこで利用している技術を、触り程度ですが紹介してい
会社員は終わっている、自分の武器を作ってフリーランスになれとアジっている人が多い 上司も仕事も勝手に決められる会社員より、得意分野に集中できるフリーランスのほうがいいぞ、と彼らは言うが、そんな甘いもんじゃない。 ●真実その1 「得意分野に集中できる」という嘘最も大きな嘘はこれだろう。自分の武器を売るから、フリーランスは得意分野に集中できると彼らは言う。 しかし、フリーランスは得意分野にはまったく集中できない。 なぜなら、フリーランスは営業も打ち合わせもスケジューリングも経理も自分でやらなきゃいけないからだ。 たとえば、デザイナーのフリーランスだったとして、デザインをやっている時間は2割くらいだろう。 まるでロックスターのようにフリーランスが好きなことだけやっている職業かのように喧伝されるが、むしろ好きなことをやっている時間は大幅に減る。 売上が減ったらクライアントの新規開拓を考えなきゃいけ
私の実家は会社を経営をしており、数年前から外国人実習生を雇い入れている。 主にベトナム人で、一緒に会社を切り盛りしている母は寮*1の管理や、時にはLINEで日本語についての質問に答えたりなど、親身に世話をしているようだ。 日本語勉強中のベトナム人からの「たのしいとうれしいのちがいは?」「招待すると誘うと呼ぶのちがいは?」の質問にLINEで答えることをしたけど、(非ネイティブに伝わるようにするのも含め)意外と説明がむずかしい — ミネコ (@meymao) March 19, 2016 私はテレビを持っておらず、普段ニュースもさほど見ないので社会問題に明るくないのだけど、外国人実習生に関する問題が目に入るたびに、その現状のひどさや、それに対する世論の反応なども含め、この近くて遠い実習生問題について気になっていた。 「うちの実家も外国人実習生を雇い入れているが、報道されるようなひどい環境で働か
借金10億円、倒産まであと半年――創業100年の老舗旅館「陣屋」をたった3年でV字回復させた方法:【特集】Transborder ~デジタル変革の旗手たち~(1/5 ページ) 神奈川県秦野市にある鶴巻温泉。閑静な住宅街の中に、働き方改革の先端を走る老舗旅館「陣屋」がある。業界では珍しい週休3日を実現するなど注目を集めているが、10年前は10億円の借金を抱え、あと半年で倒産というところまで追い詰められていた。 神奈川県秦野市にある鶴巻温泉。熱海や箱根と同じく、都心から1時間程度でアクセスできる小さな温泉郷だ。戦後は首都圏の“奥座敷”として栄えたが、バブル崩壊などを経て、宿泊施設が激減した歴史がある。 この閑静な住宅街に囲まれた土地に、働き方改革の先端を走る老舗旅館がある。創業100年の「元湯 陣屋」だ。将棋のタイトル戦が行われることで有名なこの旅館は、最近では、業界では珍しい週休3日を実現し
connpass.com メルカリには海外に勉強のために行ける制度があるらしい。それを利用して海外に行ってきた人たちが、国外のトレンドを紹介するイベントをやっていたので行ってきた。 ちなみにメルカリの海外への支援制度は以下のような形であり、かなり好待遇な制度であることがわかると思う。 好きなときに行きたいところに行ける 業務扱い 通訳や旅費などをほとんど支援してくれる 社外の人も一緒に行ける 海外のエンジニア系のニュースは見ていたつもりだけれど、やはり現地に実際に行ってきた人の話を直接聞くと衝撃を受けるものが多かった。 今回のイベントでは、 上海 エストニア・フィンランド シンガポール ニューヨーク という四カ国にわけて紹介された。それぞれ聞いた内容を箇条書きにしていく。 上海 上海に行った理由 ・上海のすすみっぷりがヤバイと社内で話題になっている ・シェアバイクサービス:mobike,
昨年6月に会社を辞め、エージェント経由で知り合ったスマホゲーム制作のベンチャー企業で仕事をすることになった。ゲーム全体が見える中で仕事をすることに興味があったし、スマホにおけるビジュアルの正しい作り方についても実践したかった。ミニマムだと全てが手に届く位置にある。ベンチャーでありながら親会社のおかげで福利厚生もきちんとしてたので妻を説得できた。 入る前に実際のゲームを見せてもらった。unityで開発してるということだったが、はっきり言って出来は悪かった。リアルタイムストラテジー型のゲームでありながら、キャラクターの記号化がほぼされておらず、戦況がわかりにくく、かつ無駄に作りこみがされていた。単品で見ると綺麗だが、オーバーワークだった。背景も綺麗に作られていたが、レベルの修正・調整を加えることを考えると、DCCツール側で全て作ってしまっており、これは工程上のリスクになるだろうと思った。キャラ
ホームEXレポート6ヶ月後に会社が潰れるのが確実になった時、ベンチャー企業のCFOがやるべきこと 【とあるCFOの独白】 ベンチャー企業でCFOをしようとする人間はよほど物好きな人間だと思っている。 それ以上に変わり者が多いのはCEOだが、変わり者の上に強気一辺倒で攻めるCEOの場合とは異なり、CFOのポジションはいつも資金繰りに追われ、夢の中まで追いかけてくるCF計算書の悪夢に苦しめられている人も多いのではないだろうか。 今から10年ほど前、そんなポジションでCFOをしていた。 社長はベンチャー企業の経営者と言うには異色の50代後半。 30年の歴史があり、売上50億円、従業員数700名あまり(うち、パートアルバイト500名程度)を抱える地域では知られた中堅企業で、業界の規制緩和で先進的な事業に取り組み始め、第二の創業を迎えている時だった。 鼻の利くVC(ベンチャーキャピタル)が集まり多く
洗濯代行サービス「Washio」の倒産にみる、オンデマンドサービスの限界2017.01.17 22:0013,388 福田ミホ いつでも何でもすぐやってくれて、しかも安く…なんて無理ゲー。 この数年シリコンバレーでは、「○○業界のUber」みたいな,いわゆる「オンデマンドサービス」が雨後の竹の子のように登場しました。たとえばいろんな雑用を代行してくれるTaskRabbit、スーパーへの買い物を代行してくれるInstacart、駐車代行サービスのLuxe、美容師さんが家に来てくれるbeGlammed、などなどです。この手のサービスをまとめて管理してくれる執事サービスなんてのもあり、使いこなせば我々は日々発生する家事や雑用から解放されたセレブな生活ができて、しかも専属のお手伝いさんや運転手を雇うより圧倒的に安い、みたいなことになるのかも?と期待されました。 でもここ1年ほどのオンデマンドサービ
貯金1,000万円つかって、6年で20アプリつくったが、年収は15万円。どん底アプリ開発者、コンテストで賞金250万円を獲得し、人生初勝利をおさめる。 名古屋で戦いつづけている、個人アプリ開発者さんを取材しました。 ※個人アプリ開発者の、伊与田貴司(Takashi Iyoda)さん。 年収15万円、6年間の貧乏アプリ開発 簡単に自己紹介をお願いします。 伊与田です。名古屋で6年ほど、アプリをつくっている個人開発者です。アプリで独立する前は、いろんな会社で働いていました。 月400時間はたらいて、年収300万円という、システム開発会社で働いたこともありますし、コンビニの店長やったこともあります。 そんな伊与田さんは、どうして「アプリ開発」で独立しようと思ったんですか? もともと、独立するつもりなかったんですよ。ひとつ前の会社で「これからずっと営業」と言われて。それで、技術がやりたかったので、
サラリーマンだったおいらが某社を辞めたのは 2006年の 4月末。 4月いっぱいは有給を消化させてもらったので実質は 3月末で辞めたようなもんなんだけど、それから 1年はぶらぶらしていた。ニートってやつだ。何か明確な目的があって会社を辞めたわけでもなく、溜め込んでいた貯金を、精神と一緒に食いつぶしながら、自分が何をやるために時間を費やしたいのかを考えるために時間を浪費していた。 フリーランスとか起業とかってのは、当時はほとんど考えてなかった。 6年間もサラリーマンやっていながら、他所から仕事を取ってこれるようなコネというか、ツテというのはほとんど持っていなかった。本当はその当時にすぐにでも、かつての出向先の人とかに連絡でも取っていれば、そのツテで何かしらの仕事を回してもらえたのかもしれない。でも少なくともあの当時は、そういうふうに行動を起こす気にはなれなかった。 その後 1年間ほど派遣社員
Windowsでテキストエディタといえば、ほとんどの人が同じものを思い浮かべるのではないだろうか。もちろん「秀丸」である。いまも多くの人がPCをセットアップするときにまずインストールするソフトウェアの1つだ。 1990年代半ばに生まれ、20年以上にわたって使われてきている。開発者の斉藤秀夫さんは秀丸があまりに売れたため、当時勤めていた大企業を退職して独立した。元祖ソフトウェアスタートアップともいうべき存在である。 そんな斉藤さんにいろいろ聞いてみた。Mac版は出ないのか? 秀丸御殿がたったのは本当? いまはスタートアップが成功しやすい? 自然体で答えてくれた斉藤さんのお話をどうぞ。 秀丸が好調で、「フェラーリに乗ってる」という噂も –「秀丸」シリーズの売上はピーク時で1億円を超え、「秀丸御殿」が建ったとか。 斉藤:Windows 95が出てきて世の中みんながWindowsを使うようになった
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