田原総一郎さんと望月衣塑子さんとがどのような対談をするのだろうかと興味津々で本書を手にした。 親子ほど年齢差のあるジャーナリストの対談だが、是は是、非は非、というスタンスは共有しているようだ。 かって佐藤優さんが田原さんのことを、「権力党員」であると評したことがある。 「権力党員」とは、常に時の権力の内側にいて建設的批判を行った方が影響力を行使できるという意味のようだ。 が、望月さんは「権力党員」への道を歩むようなジャーナリストではないだろうと、この対談を読みながら思えてしまったのである。 表者がジャーナリストの信条として持つべき警句としてよく引用するのは、『ジャッカルの日』や『オデッサフィル』で有名な著者フレリック・フォーサイスの『アウトサイダー』という本の「はじめに」で語っていた以下の言葉である。 「七十六歳になったわたしは、いまでも自分は部分的にはジャーナリストだと思っている。ジャー
ゴーストライターではなく、自著だという。たいへん力作だった。 数回病に伏した知っていたが、ここまで命の火がギリギリのところまでとは思わなかった。文章が非常に上手で漫才師ゆえのテンポもありグイグイ読まされる。 まず印象に残ったのは腎臓移植についてギリギリの選択が迫られる中で家族の愛でジーンとさせらたかと思いきや、数ページ後にはガーンと地に落とされる衝撃。これはすごかった。 そして、個人的に一番肝だったのは浅草キッドとの赤裸々な確執部分だ(伏字だがすぐにわかる)。玉袋との確執についてはある程度信頼関係があった者が魂と魂、プライドとプライドをぶつけたケンカだと思わせるが、問題は水道橋博士。 水道橋博士の醜悪な人間性が如実だった。ハラスメント上等、平気で嘘をついてまでも人を追いつめる姑息さ…読んでいてこちらの胃が痛くなる。まるで自分がハチミツ二郎になった気分になる気分の悪さ。ここまでのことをやって
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