このプロジェクトは、2021-12-01に募集を開始し、139人の支援により3,629,000円の資金を集め、2022-01-15に募集を終了しました ジャパンタイムズは、1897年(明治30年)に創刊しました。2022年に迎える創刊125周年を記念して、英字新聞で振り返るヒストリーブック「TiMES CAPSULE」としてご覧いただきたいと考えています。 ぜひお力添えください。 みなさん、こんにちは。 ジャパンタイムズは、1897年(明治30年)に創刊された、最も歴史のある英字新聞です。2022年は創刊から125周年のアニバーサリーイヤーとなります。 ジャパンタイムズは、国内で発行・配達されている紙としての新聞で2万部。そして、ウェブ版の登録読者は30万人を越えています。 来日した政治家をはじめとする著名人が、必ず手にするだけでなく、各国のメディアで日本が紹介されるときには「ジャパンタイ
『「超」英語独学法』が、NHK出版から刊行されました。 3月10日から全国の書店で発売されています。 これは、第4章の1の全文公開です。 第4章 単語帳を捨て、丸暗記せよ 1 日本人の英語力はなぜ低い? 最大の原因は「分解法」 日本人の英語力はきわめて低い。アジア諸国の中でも、最低位に近い。 しかも、私の印象では、時代の経過とともに日本人の英語力は低下している。最近の学生を見ていると、それを痛感する。インターネットなど、英語学習に使える道具は長足の進歩を遂げているのに、日本人の英語力は、なぜ低いのだろう? さまざまな理由が考えられるが、大きな理由は、学校での英語の教育法にある。私たちの時代の英語の授業は、「まず英語を読み、つぎにそれを日本語に翻訳し、さらに文法などについて説明する」という方式で進んだ。いまでもそのような方式が続けられているのではないだろうか? これは、「英語の文章を単語に分
英語一強時代、日本語は生き残るか(『中央公論』8月号) ■ 作家 水村 美苗 「言語の植民地化に、日本ほど無自覚な国はない」 作家の水村美苗氏はインタビューで、世界的に「英語覇権」が強まる中、日本ほど「言語の植民地化」に対して無自覚な国はない、と警鐘を鳴らした。水村氏は2008年に『日本語が亡びるとき』を出版し、日本語が将来「国語」の地位から転落し〝英語の世紀″における一つの「現地語」と化すのではないかと問題を投げかけて、大きな反響を呼んだ。 水村氏は今回のインタビューでも、日本語について「非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しい」としながらも、「自国語が植民地化を免れたことに日本ほど自覚を持たない国も、自国語が滅びることに危機感を持たない国も珍しい」と改めて強調した。水村氏は、自国の言語は国家政策に大きく影響されると指摘し、千年以上も前に現地語(日本語)で
日本文学を海外の読者へ届ける、橋渡し役の著者による本が相次いだ。2人には、村上春樹作品と英訳で出会ったという共通点がある。(中村真理子) 混沌を取り込む日本文学 日本文学者・マイケル・エメリックさん 日本文学者、マイケル・エメリックさん=慎芝賢撮影 日本文学者で翻訳家のマイケル・エメリックさんは、日本語で書いたエッセーや書評を集めた作品集『てんてこまい 文学は日暮れて道遠し』(五柳書院)を出した。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で日本文学を教える准教授。高橋源一郎や古川日出男ら同時代の作品から「源氏物語」などの古典まで扱う。 1975年米国生まれ。17歳で日本語を学び始めた。「日本語で書くことはコントロールがきかない。読み返しながら書くうちに、文章との距離がとれなくなる」と謙遜するが、落ち着いた筆致で、言葉をめぐる思考は機知に富む。作品を読みながら「自分のなかに何が起こっているのかを観察す
2024年1月5日 1月1日、書いてから、しばらく寝ていたが、最近、仕事の疲れは二日くらい寝ないと復活しない、かたかたと揺れて、眼が覚めた。東京でも揺れた。 地震があると、情報を確認する。ああ、なんと能登半島での大地震、大昔、輪島の朝市にも行ったことがあり、七尾湾も巡ったことがある。いいところだなあと思っていたが、昨今の地震の多さが気になっていたが、今回の大きな地震、帰省等の方も被災され、悲惨な状況で、記事を見るにつけ、厳しさに、身が震える。 輪島塗などの伝統工芸も危機的な状況になりかねないと思われます。 今は、謹んでお悔やみを申し上げます。 被災されました皆様には、心からお見舞い申し上げます。被災地の復興支援のためにご尽力されている方々に深く敬意を表します。 2日の夕方には、JALの事故、それに各地の火災、正月早々、すさまじいことばかりで、頭がついていけません。 辰年には政変が多いとどこ
斎藤 秀三郎(さいとう ひでさぶろう、1866年2月16日(慶応2年1月2日) - 1929年(昭和4年)11月9日)は、日本の英語学者・教育者。宮城県仙台市出身。 略歴[編集] 1866年、仙台藩士斎藤永頼の長男として生まれる。 1871年(5歳)、辛未館(仙台藩の英学校)入学。横尾東作に英語を学ぶ[1]。 1874年(8歳)、宮城英語学校に入学。米国人教師C.L.グールドに英語を学ぶ。 1879年(13歳)、宮城英語学校を卒業、上京して東京大学予備門に入学 1880年(14歳)、工部大学校(現在の東京大学工学部)に入学。純粋化学、造船を専攻。 1883年(17歳)、工部大学校を退学。 1884年(18歳)、『スウヰントン氏英語学新式例題解引』(十字屋・日進堂)を全ページ英文で執筆して出版。その後、仙台に戻り、英語塾を開設[注 1]。 1885年(19歳)、来日したアメリカ人宣教師W・E
小島先生 みなさま この度の黛まどか氏関連のシリーズについては、最初のうちは軽い気持ちで読んでいましたが、事ここに至り看過できないゆゆしい問題になってきたと感じています。 今度スペインかポルトガルに旅行して急に足が痛くなったら、薬局に飛び込んで「膏薬か痛み止めをくれ!」と言うつもりで「ペカス、ペカス!」と叫ぶところでした。変なアジア人だと人々の失笑を買っていたでしょう。F爺のブログを読んでいてよかった・・・(笑) いえ冗談ではなく、日本語しかわからない大多数の日本人は「すべては許されるhttp://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-483.html」や「私はシャルリーhttp://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-482.html」のときと同様、頭から騙されるところでした。今回はたまたま遍路の記事でありFさんの滞日中だったということもあってF
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