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historyとukraineに関するtaskapremiumのブックマーク (16)

  • なぜ「北方領土返還デモ」がウクライナで行われるのか……日本は思いにどう応えるべきか

    【編集部より】世界史に特筆されるであろう、ロシアによるウクライナ侵攻は、長らく平和を享受してきた日人の外交・安全保障観にも大きな波紋を広げてきた。前ウクライナ大使の倉井高志氏に聞く「ウクライナ問題」。最終回は、問題が長期化する中で日がどう向き合っていくべきなのかを論じます。(2022年9月14日取材:3回シリーズの3回目) 「同じ境遇に置かれている」 ――倉井さんの新著『世界と日を目覚めさせたウクライナの「覚悟」』(PHP出版)を読んでいて、実は最も驚いたのは、ウクライナの若者が北方領土の日に当たる2月7日に、ロシアに対する「北方領土返還要求デモ」を行っているという事実でした。 【倉井】私もウクライナに赴任して初めて知り、大変驚きました。

    なぜ「北方領土返還デモ」がウクライナで行われるのか……日本は思いにどう応えるべきか
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    taskapremium 2022/10/08
    しかし問題の核心は「ロシアが軍事侵攻という致命的な間違いを犯した」という一点に尽きます。ここを我々は絶対に見失わず、国際社会において堂々と「ロシアは間違っている」と正論を吐くことが最も重要です。>
  • クリミア半島〜共存と争いの歴史

    写真:クリミア・ケルソネスの遺跡と聖ウラジミール大聖堂  Ruins of Chersonesos, Crimea by Dmitry A. Mottl   (CC BY-SA 3.0) クリミアは誰のものか 「クリミアはロシアの固有の領土であり、セバストポリはロシアの町だ」プーチン大統領は、2014年3月18日、クリミアでの住民投票で圧倒的多数がロシアへの編入を支持したのを受けて、クリミア併合を宣言した。しかし果たしてクリミアはプーチン大統領が言うような固有の領土という概念が適応する土地であろうか。 黒海とアゾフ海に挟まれ、かろうじて陸地とつながる半島クリミアは、北部はウクライナにつながる草原地帯、そして南部は多くの良港を生み出す山岳地帯であり、紀元前のギリシャ時代から交通の要所として知られてきた。地理的にはクリミア半島はロシアに通じるドン川、そしてウクライナの大河ドニエプル川、さらにヨ

  • 焦点:永世中立スイスがNATO接近、ウクライナ危機で揺らぐ国是

    スイスの代名詞となっている永世中立という外交政策が、過去数十年間で最大の試練に直面している。写真はスイスの国旗。ベルンの連邦議事堂で2018年12月撮影(2022年 ロイター/Denis Balibouse) [ベルン 15日 ロイター] - スイスの代名詞となっている永世中立という外交政策が、過去数十年間で最大の試練に直面している。ロシアウクライナ侵攻を受け、スイス国防省が北大西洋条約機構(NATO)との距離を縮めようとしているからだ。 国防省の安全保障政策責任者、パエルビ・プッリ氏はロイターのインタビューで、NATO加盟国との合同軍事演習や武器弾薬の「補充」などを含め、スイスが今後採択すべき安保政策に関する選択肢を提示する報告書を策定しているところだと語った。こうした議論が行われていることは、今回のインタビューで初めて明らかになった。

    焦点:永世中立スイスがNATO接近、ウクライナ危機で揺らぐ国是
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    taskapremium 2022/05/17
    スイスは、フランス革命とナポレオン戦争で混乱した欧州の安定を取り戻す目的で1815年に開かれたウィーン会議で中立政策を採択して以来、対外戦争を行っていない。1907年の第2回ハーグ国際平和会議では、国際間の武力>
  • 第110回:私たちは軍事国家から侵略を受けたときに、それに対してどう向き合うべきか(想田和弘)

    ロシアによるウクライナへの侵略行為は、人道的にも、国際法上も、許されぬものである。 したがって国際法的には、主権国家であるウクライナのゼレンスキー大統領には、ロシアに対する「自衛のための戦争」を遂行する権利があるのだろう。だから彼が自衛戦争を行うと決断したことについて、第三者は基的に、それを尊重するという立場以外を取ることは難しいのかもしれない。 しかし一方で、個別的自衛権を行使し、ロシアに対して徹底抗戦するという彼の選択が、当にウクライナの人々を守ることになるのかどうかについては、それとはまったく別の問題として、現実を直視しながら検討せねばならない。 なぜならその問題は、軍事力が支配するこの野蛮な世界に暮らしている私たちにとって、まったく他人事ではないからである。 私たちは軍事国家から侵略を受けたときに、それに対して、どう向き合うべきなのか。 やられたから、やり返す。 それは当然の権

    第110回:私たちは軍事国家から侵略を受けたときに、それに対してどう向き合うべきか(想田和弘)
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    taskapremium 2022/04/04
    ニッポン放送のラジオで在日ウクライナ人の女性に説教してたテリー伊藤と同じ論。無条件降伏。ロシアがそこで止まるのか、次はグルジア、モルドバ、バルト三国。
  • クリミア・タタール人追放 - Wikipedia

    英語版記事を日語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Deportation of the Crimean Tatars|…}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より

    クリミア・タタール人追放 - Wikipedia
  • 語られないロシアの歴史とアメリカとの深い関係

    ロシアの基は農業国 ロシアを含むスラブ民族は現在のルーマニアのカルパチア山脈周辺を原住地とし、中央ヨーロッパや東ヨーロッパに居住する農業民族でした。「スラブ」という言葉はロシア語では「弱い」という意味ですし、「奴隷」を意味するスレイブの語源はここからだと考えられています。 もともとのロシア民族の中心地はキエフでした。ここにノルマン人が侵入してきて9世紀の終わりにキエフ大公国が成立し、ドニエプル川の水利を利用して経済を発展させ、南の東ローマ帝国との交易関係を打ち立てました。10世紀終わりのウラジーミル聖公の時代に最盛期を迎え、東ローマ帝国の皇帝の妹を妃に迎えるとともにキリスト教を国教として導入しました。 ロシアを変えたモンゴル帝国による征服 ウラジーミル聖公の死後、親族間の争いで公国は弱体化し、これに十字軍遠征とそれに伴う地中海貿易の活発化によるドニエプル川経由交易の衰退が追い打ちをかけ、

    語られないロシアの歴史とアメリカとの深い関係
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    taskapremium 2022/03/22
    南東部のガリツィア地方ではポーランド貴族によるウクライナ人農民の支配を番頭のような形で助けてきました。ポーランド分割の結果、ユダヤ人の多くが住んでいた地域はオーストリアとロシアの領土になりました。>
  • ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 - Wikipedia

    ハールィチ・ヴォルィーニ大公国[1](ハールィチ・ヴォルィーニたいこうこく、ウクライナ語: Галицько-Волинське князівство)は、1199年から1349年の間に現在の西ウクライナを中心として存在したリューリク朝のルーシ系国家である。ガーリチ・ボルイニ公国[2]とも表記される。正式名はルーシ王国 (ラテン語: Regnum Russiae)。 概要[編集] ハールィチ・ヴォルィーニ大公国は、ルーシのハールィチ公国とヴォルィーニ公国という2つの公国の合併によって誕生した新しい大公国であった。13世紀の半ば、その大公国はモンゴルの侵略を受けたキエフの公朝の後継者となり、キエフ・ルーシの政治、伝統、文化などを受け継いだ主な国家となった。その国家は、ローマ教皇をはじめ、中世ヨーロッパの諸国の援助の元に反モンゴルの先陣の役割を果たしていた。 ハールィチ・ヴォルィーニ大公国はル

    ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 - Wikipedia
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    taskapremium 2022/03/17
    ハールィチ・ヴォルィーニ大公国は、ポーランド王国とリトアニアの諸公の軍勢によって侵略され、分割された(ハールィチ・ヴォルィーニ戦争)。領土の帰属問題は半世紀にわたって東ヨーロッパ情勢の不安定要因だっ>
  • プーチンはなぜウクライナの「非ナチ化」を強硬に主張するのか? その「歴史的な理由」(浜 由樹子) @gendai_biz

    ではあまり注目されていないが、プーチン大統領は、ウクライナへの侵攻に際して「非ナチ化」という言葉を頻繁に使っている。じつはこの言葉が用いられる背景を知ると、プーチン大統領がどのような歴史的な論理でこの侵攻を正当化しているのかが見えてくる。静岡県立大学の准教授で、著書に『ユーラシア主義とは何か』(成文社)最新の訳書に『ファシズムとロシア』(マルレーヌ・ラリュエル、東京堂出版)がある浜由樹子氏が解説する。 * 2022年2月24日、ロシアウクライナに軍事侵攻を開始した。その際、ウラジーミル・プーチン大統領は、「特別軍事作戦」の目的をウクライナの「非軍事化」と「非ナチ化」だと説明し、停戦交渉にあたってもそれらを条件として提示している。 この「非軍事化」ないし「中立化」については、ウクライナNATO加盟問題と絡めて多くのメディアで解説されてきたが、「非ナチ化」についてはほとんど注目されてい

    プーチンはなぜウクライナの「非ナチ化」を強硬に主張するのか? その「歴史的な理由」(浜 由樹子) @gendai_biz
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    taskapremium 2022/03/14
    ソ連を(ロシアから見れば不当にも)ナチ・ドイツと同等の占領者とみなし、一方でナチ協力者たちの名誉回復を進めるウクライナ――これが、プーチン大統領が「反ロシアのウクライナ」と呼ぶものの一側面であり>
  • The War in Ukraine & the Future of the World - Yuval Noah Harari & Timothy Snyder

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    taskapremium 2022/03/10
    【動画】ユヴァル・ノア・ハラリとティモシー・スナイダーが出てる。現在の歴史学者でトップの2人です。#utamaru #ss954 『ウクライナでの戦争と未来世界』
  • 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター

    お知らせ (緊急アピール) 私たちはロシアによるウクライナ侵攻に断固として反対します 私たちスラブ・ユーラシア研究センターの研究者は、2022年2月24日に開始されたロシア軍によるウクライナ侵攻を断固として非難し、脅威にさらされているウクライナの市民、および戦争に反対するロシアの市民との連帯を表明します。 (2022年2月25日15時 3月1日一部修正) 【ロシアウクライナ侵攻 緊急特集コーナー】 (2024年2月16日更新) (総長メッセージ) ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻について 2024年度中村・鈴川基金奨励研究員の公募 (締切:2024年4月24日) Call for Papers "Buryatia: Bridging Siberia, Russia, and Eurasia" (締切:2024年5月15日(水)) 助教としてガブランカペタノヴィッチ=レジッチ・ヤスミ

  • 【ウクライナ】旧ポーランド領 ガリツィアの帰属問題 : 多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

    ガリツィヤ地方とは? 現ウクライナ領のガリツィヤ地方は、元々ポーランド領としての歴史の方が 長く、今後、ポーランドからの領土返還運動が起きる可能性が高いが、 ウクライナ国内で、ウクライナ語を日常的に使用しているのは、このガツィヤ 地方ぐらいであるため、今後、格的な帰属問題が起きる可能性が高い。 第二次大戦後、ポーランドは、その領土を国ごとドイツ側、つまり、西側に ずらされたが、そのウクライナ側で西側にずらされた地域がこのガリツィヤ地方。 広義でのウクライナは、当然このガリツィヤが含まれるが、元々ウクライナ人が 居住していた地域は、キエフ寄りの地域であるため、狭義でのウクライナは、 ガリツィヤが含まれない。 ウクライナ語で、『ウクライナ』とは、『国』や 『内国』という意味であるが、元々のスラブ語では、『クライ』が『地方』や 『僻地』を指すため、ロシア語話者に、ウクライナは、『田舎』と誤解さ

    【ウクライナ】旧ポーランド領 ガリツィアの帰属問題 : 多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~
  • A brief history of Ukraine before the Soviet Union

  • ウクライナの領土の変遷 - DEEPLY JAPAN

    古い話も今の話も、それでもやっぱり、ずっと日! Truly, honestly, DEEPLY JAPAN! ウクライナはどうやって現在の姿になったか。国家としてのウクライナはソ連崩壊に伴い1991年に成立した。ではその前は?というお話。 アメリカのサイトで拾った図。 この図が示したいのは、 ・ウクライナというのは現在の領土を持った国ではありません ・ロシアまたはソ連が強権的でなかったら、ウクライナの領土は多分増えてません ではなかろうかと思う。多分、ロシア人による情報戦の資料投下なんでしょう。 で はなんでそのようなことをしないとならないかというと、西部のウクライナ人たちが、ウクライナはずっとウクライナロシア人が後から入って来た、侵略してる、ってなことを強く主張しているからだと思う。つまり、東のロシア系住民には正統性がない、とか言っちゃう人たちが結構いるんです。 私自身、北米のウクラ

    ウクライナの領土の変遷 - DEEPLY JAPAN
  • ロシア、クリミア先住民族を懐柔 自治拡大容認へ - 日本経済新聞

    【キエフ=石川陽平】ロシアウクライナ南部クリミア半島の先住民族クリミア・タタール人の懐柔に乗り出している。クリミア・タタール人は同半島のロシアへの編入に反発、29日には民族自治区の創設を求めたが、ロシア側は大幅な自治権拡大を認める方針。同半島の編入を既成事実化するロシアの動きに、ウクライナの新政権や欧米諸国が反発を強めそうだ。ロシア通信によると、29日にクリミア半島南部のバフチサライで開かれ

    ロシア、クリミア先住民族を懐柔 自治拡大容認へ - 日本経済新聞
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    taskapremium 2014/04/02
    クリミア・タタール人はイスラム教スンニ派のチュルク系民族で、クリミア半島で13世紀以降に形成された。人口は同半島の住民の約10%に当たる約26万。多くがロシアのクリミア編入を拒否し、編入の是非を問う16日>
  • キエフ大公国 - Wikipedia

    キエフ大公国(キエフたいこうこく、古東スラヴ語: Роусь(ルーシ)、英: Kievan Rus')[1][2]は、9世紀後半から13世紀半ばにかけて、東ヨーロッパおよび北ヨーロッパに存在した国家。東スラヴ人、バルト人およびフィンランド人を含み、ヴァリャーグの王子リューリクによって創設されたリューリク朝の治世下で複数の公国が緩やかに連合していた[3][4][5]。 ベラルーシ、ロシアウクライナの現代の国家はいずれもキエフ大公国を文化的な祖先とし[6]、ベラルーシとロシアはそれ(ルーシ)に由来する名称である。(そのため、キエフは「ロシアの都市の母」とされている[7]。)。リューリク朝は16世紀にロシア・ツァーリ国となるまで大公国の一部を支配し続けた[8]。11世紀半ばの最大時には、北は白海から南は黒海、西はヴィスワ川の源流から東はタマン半島まで広がり、東スラヴ民族の大半を束ねた。 原初年

    キエフ大公国 - Wikipedia
  • ベラルーシ - Wikipedia

    ベラルーシ共和国(ベラルーシきょうわこく、ベラルーシ語: Рэспубліка Беларусь  発音、ロシア語: Республика Беларусь)、通称ベラルーシは、東ヨーロッパの共和制国家。首都はミンスク、人口約945万人。ソ連邦崩壊により1990年に独立宣言を行い、1991年に「白ロシア・ソビエト社会主義共和国」から「ベラルーシ共和国」へ国名を変更した[3]。2000年以来、ベラルーシ・ロシア連合国家の加盟国である。 概要[編集] 世界最北の内陸国で、面積は日の約55%、国境は、東はロシア、西はポーランド、北西はリトアニアとラトビア、南はウクライナと接する。東ヨーロッパ平原に位置する国の一つで、国土の最高標高が345m[4]、首都ミンスクの標高は280m[5]、国境地帯も含め山が見られない平坦な国土として知られる。 公用語はベラルーシ語とロシア語だが、18世紀後半よりロシ

    ベラルーシ - Wikipedia
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