「100分de名著ブックス アラン『幸福論』」の「はじめに」と「第1章」より、合田正人先生による読みときをご紹介します。(第3回/全5回)
HOME SPECIAL 【STVV立石敬之CEOインタビュー】MCOの総本山、ベルギーリーグから見た欧州サッカーの実情と日本サッカーの現実 シティ・フットボール・グループに買収されたロンメル(ベルギー2部)を筆頭に、ベルギーリーグのクラブがプレミアリーグを中心とした海外資本の傘下クラブとなる動きが急速に進んでいる。その最前線で戦うシント=トロイデンVV(STVV)の立石敬之CEOにマルチクラブ・オーナーシップ(MCO)の最新事情を聞いた(取材日:2021年9月9日)。 『フットボリスタ第87号』より掲載 ベルギーリーグが狙われる理由 ── まず、近年のマルチクラブ・オーナーシップ(MCO)の流行や海外資本の流入の背景について、立石さんのお考えを聞きたいです。ベルギーリーグはその中心地ですよね。 「そういった傾向が近年加速している背景は、大きく分けて2つの目的が見られます。1つは投資家、イ
デイリー新潮にて、ピュータン(笑)ひろゆきを完膚なきまでに叩きのめした、小島剛一氏のインタビュー記事が掲載されてから、性懲りもなくピュータン(笑)の意味について(相変わらず文脈というものについては理解できないらしい)自説(笑)を展開するものの、やはり本物には敵わず、瞬殺(笑)。さらには、自分で出した辞書で論破されるという、『お前、実は知能指数が境界指数だろ?』と、深刻な疑念を持たれても仕方ないレベルで自滅するピュータン(笑)ひろゆき。いまだに、ダイヤモンドオンラインだとか東洋経済の配信記事で、“ひろゆきが指摘する何々”という記事が配信されるが、こんな名誉フランス人(気取り)のアホの主張から何を学べというのか(笑)。ひろゆき(笑)には、下等下劣な醜態を晒してもらい、嘲笑されるくらいしか期待できるものがないのに(笑)。 一般人「putainはピュータンとは読まない」 ひろゆき「rougeもルー
小島さんへ 色々とご教示頂きありがとうございます.日本は島国です.それ故に,言語があまり変化しなかったのでしょうか?何れにせよ,日本語が萬葉集以来,あまり変わってないとは初耳です.とても興味深い話です.萬葉集は万葉仮名で書かれています.その辺りはどうなのでしょう?万葉仮名から平仮名,片仮名へ変化,進化?にも興味があります. 火狐さん いつもながら貴重なご指摘とご質問、ありがとうございます。 >日本は島国です.それ故に,言語があまり変化しなかったのでしょうか? 大変魅力的な仮説ですが、大陸から見晴(みはる)かすことが出来ず少し舟を漕ぎ出した程度では到達できない距離にある島国で発展した言語で日本語と同じくらい長い歴史を辿(たど)ることの出来るものが他に無いので、証明は出来ません。 >日本語が萬葉集以来,あまり変わってないとは初耳です. 「全然変わっていない」わけでは勿論ありませんよ。長い歴史を
僕のコメントが「無礼の極み」と言われたのでまさか長文で返信してもらえるとは思わなかったのでビックリしてます。 「年齢差を超えた付き合い」というものが僕自身の出来ていない、周りの大人で出来ている人がいなかったので 「そんなこと出来る人はいない」と勝手に思ってしまったのが間違いでした。 また、コメント・質問しますので その際にも今回のように優しくお相手していただけたら嬉しいです。 「sato mituharu」さん >「年齢差を超えた付き合い」というものが僕自身[にも]出来ていない[し]、周りの大人で出来ている人がいなかったので 「そんなこと出来る人はいない」と勝手に思ってしまったのが間違いでした。 おやおや、そうでしたか。F爺は、日本に住んでいた頃からずっと、年齢差を超えた付き合いを多数の人としているのです。 因みにF爺合唱団の団員は、F爺よりも若い人ばかりで、最年少は16歳です。日本語講座
小島先生 本記事を読んで、"putain"が、その言葉を発した人の信用やステータスを失わせるリスクがよくわかりました。一方気になった点があり、コメントさせていただきました。 堀氏がなぜ「"putain"に関するこの方の解説は誤りです。独言や友人間の会話では、putainはしばしば驚きを示す間投詞。俗語として使用して問題なし。」という軽率なツイートをしたのかが疑問に思えてしょうがないのです。 このツイートを信用して俗語として"putain"を使用した人がいた場合、友人間での使用であったとしても信用や社会的地位を失うリスクが少なからずあるのだと思いますが、ツイートするときにそのことに思い至らなかったのでしょうか。 また、多くの人が差別発言だったと認識しているデンベレ氏の発言においてこの"putain"が使われていること、および注目されていることを踏まえた場合、何気なく友人間で俗語として使用した
鰹節の私物化さんの見解は、ちょっと違うのではないかと思います。 堀茂樹氏は、おそらく自分が誤読をしたとは考えていないと思います。堀茂樹氏のツイートを遡ってみましょう。 デイリー新潮の記事に対して、堀茂樹氏は以下のようにツイートしました。 【堀茂樹氏による、該当する一連のツイート】 一つだけ指摘。"putain"に関するこの方の解説は誤りです。独言や友人間の会話では、putainはしばしば驚きを示す間投詞。俗語として使用して問題なし。⇒「強度の侮蔑語…悪罵用語であり、こんな単語を普通に強調の意味で使う人がいたとしたら…『無教養』とか『無頼漢』と烙印を押されます」(小島氏) 【例】フランス語で”Qu’est-ce qu’elle est jolie!”は「彼女はなんて綺麗なんだ!」という意味ですが、これに「putain」を被せた”Putain, qu’est-ce qu’elle est jo
F爺様 多言語・多文化状況を間近に観察したことの無い者として2つ疑問を感じました。 ① 回教圏(或いは少なくともアルジェリア東部)では、もし混雑した場所で子供が泥まみれの靴を履いた足をバタバタさせていても、誰も何も言わないのでしょうか。この地元の中年男のように蹴飛ばされても、黙ってその場を離れるのでしょうか。 だとすれば、育児中の女性の地位が高いというよりも、ちょっと冷たい印象を受けます。子供は地域社会全体で見守り育てるもの、という考え方ではなく、子供は女だけで(或いは実母だけで)育てるもの、という考え方なのでしょうか。 最近の日本も、文化的な背景は全く異なりますが、表面的な状況は似ていると思いました。昔は見ず知らずの大人が子供に注意する場面をよく見かけましたが、今ではあまり見なくなりました。周囲が育児に関わりたがらなくなってきたのです。育児の進め方についても、決定権は母親が一人で握ってい
差別に無自覚な人 2ちゃんねるの創始者・西村博之氏(44)は近年、「ひろゆき」の名前で活動している。ニュース番組やTwitterなどの発言が話題となり、ネット上で“論客”として注目された。論争で負け知らずの“論破王”としても話題だ。 *** 【写真2枚】この記事の写真を見る 2018年には著書『論破力』(朝日新書)を出版したほどだが、その、ひろゆき氏が論破されたとネット上で大騒ぎになった。 ひろゆき氏を論破したのは、言語学者の小島剛一氏。1946年、秋田県に生まれ、68年からフランスに在住。78年にはストラスブール大学で博士号を取得した。 トルコにおける少数民族語の実地調査に従事したことから、91年に『トルコのもう一つの顔』(中公新書)を上梓した。 東京新聞は2011年8月、「こちら特報部」で「反骨の言語学者・小島剛一氏 圧力屈せず真実告発 トルコの少数民族弾圧」の記事を掲載した。 ひろゆ
小島さま まったくおっしゃる通りです。 彼のツイッターを目にして「見知らぬ方になんて失礼なんだろう!」と憤ったものの、何やらもやっとしていた原因を見事に言語化していただき、本当にスッキリしました。 また、ひろゆき氏は当初から「辞書には"sale guele"には疲れた顔とか困った顔という使い方もあります。」や、「sales gueulesとputainはフランス人に向かっても使う言葉なので、酷い悪口ではありますが人種に言及した言葉ではない」と発言、さらに小島さんへの無礼なツイートの中に「有名な映画にも18回とか23回使われてますよね(意訳)」などと発言していますが、 生きている言葉は、辞書の定義以上にその言葉がどのような状況で、どのように使われたかで意味が大きく意味が違ってくることがあると思うのです。 動画を見た限り、明らかに「フランス語が分からない」「日本人」のスタッフを「あざ笑って」い
F爺様 脇で聞いていて、このイタリアの方のほうから進んでフランス語を話しているように感じましたので、イタリア語の標準語よりもフランス語のほうが得意なのかなと勘違いしていました。 イタリアは国内各地の言語の違いが大きいと聞いていましたので、もしかしたらイタリア国内で育ったイタリア人でも、イタリア語の標準語よりもフランス語のほうが得意な方もいるのかな、などと思ってしまいました。そういう訳ではなかったのですね。 それにしてもあれほど多言語に堪能な方でも、英語やドイツ語ではなくラテン系の言語を話す人とでないと本当に分かりあえる友達にはなれない、という趣旨のことを言っていたので、「へー、ラテン系の言語とゲルマン系の言語とでそんなに違うんだな」と、無知の私は感心しました。 いわゆる民族性の違いも関係あるのでしょうか。 IHさん >あれほど多言語に堪能な方でも、英語やドイツ語ではなくラテン系の言語を話す
小島さん アルザス地方は「言語の境界」と「国境」が異なっている分かりやすい例ですね。日本の「方言」も、国内での「言語的境界」に数えられるでしょうが、ゲルマン語派とロマンス諸語の違いはそれ以上に大きく感じられます。アルザス地方は政治的にはフランスでも、別言語を話すというのはとても興味深かったです。 ただそうはいっても、現在では共通語(フランス語)を使う機会が多いと思います。日本各地の「方言」話者が減少しているように、アルザス地方のアルザス語が「方言」の地位に貶められ、遂には忘れ去られてしまうのではないかと心配です。それを救う手立ては、ないと思いますが。 T君 フランスには、フランス国家が成立する以前から定住し、別言語を話す民族がたくさんいます。それに近年の移民の言語が重なって、最近は中小都市でも多言語併存社会が現出しています。近日中に「フランスの少数民族言語」という記事も書く予定です。 モナ
はじめにお久しぶりです、wing-xです。 自衛隊の予約サイトが意外と問題無く運用されてるのを見て 「ああ、自分の心配しすぎだったのかなあ」と思う今日この頃です。 今回は巷で話題のひろゆきとF爺氏こと小島剛一氏との論戦…… と言って良いのか大変微妙ですが、 一連の流れについて時系列でまとめつつ、 いくつかの点で個人的に思う所があったのでそれを書いていこうかなと。 先に書いておきますが、私は中立の立場ではないです。 どちらかと言えばF爺氏寄りの立場ですが、正確には違います。 いわゆる野次馬です。 (この辺については私の所感を読んで頂ければ察すると思います) ※記事内の表現として、F爺氏または小島剛一氏かで大変迷いましたが、 ここはブログ記事上の表記を優先し、 F爺氏にて統一させていただきます。予めご容赦ください。 ①事件の発端そもそもの始まりは、フランス代表のサッカー選手が撮影した(当人によ
野次馬らしく楽しくブログを拝読させて頂いております。 [5ch]というゴキブリの巣窟にて長年ひろゆきについて語られて来ましたが、ひろゆきの十狂しかり、御玉杓子しかり、痛烈にかつ端的にひろゆきという人物を知って数日の方が表現している事実に目から鱗です。 これからもひろゆきの批判を続けられるとの事で安心しました。。。 野次馬らしくブログが更新されることを楽しみに待たせて頂きます。 追伸 残念なお知らせです。 日本のマスメディアはひろゆきを聡明な人物と勘違いしてるのかコメンテーターとして出演させるだけでなく、テレビ東京ではひろゆきを司会者に番組が作成されるそうです。 また、このような人物を[デジタル庁] のアドバイザーにする日本政府も同様に大馬鹿者しか居ないのかと絶望しております。。。 F爺先生 ここ数日ブログを拝見させて頂いてます。 先生の深い見識と鋭い論評に只々感嘆しています。 世の中には先
リンク fjii.blog.fc2.com 日本人・極東人差別者デンベレとグリズマンを擁護する不可解な日本人 (〈第一の例「ひろゆき」〉の項の半ばよりも少し下に緑色の文字で追記があります」)前置き1968年以来フランスに住み着いている日本人として、F爺は、フランス人の一部の心無い連中が日本人差別・極東人差別をするのを看過することは出来ません。予定していた記事の掲載を順延して、このシリーズの三本目の記事を急遽、執筆・掲載することにしました。未読の方は、「極東人差別」の書庫に入っている最初の記事〈Ousmane Dembéléウス... 10 users <中略> ひろゆきさんによると、動画内で出てきた「ピュータン(意味は娼婦)」というフランス語は、英語で言う「F〇〇K」に近いもので、強調のためによく使われるという。雑談でよく使われる言葉が、日本語に翻訳されるときに、本来の意味と離れてしまった
東洋人が差別されることなんて、欧米ではザラにある。「差別はいけない」と発言したところで、そう簡単には差別意識はなくならない。そんなことは百も承知だ。しかしながら、微弱なる抵抗ではあっても「差別するな」との主張を毅然と繰り返すことが良識ある大人の態度であり、人間の尊厳につながる行為である。歴史はそのように前進してきたのであり、それが近代市民社会のグローバルスタンダードだ。 恐らく、ひろゆき自身もフランスで差別された辛い経験を持つのだろう。その際、「これは差別ではない。悪口にすぎない」と自己防衛の本能に従い尻尾を巻いてしまうのは、畢竟負け犬(負けオタマジャクシ)の思想であり、人間としての弱さである。 まぁ、弱くともよい。人間だもの。しかし、そんな欺瞞に満ちた見解を声高に表明すれば、怒る者が出て当然だ。責任を背負う覚悟がなければ黙っていろ、ということだ。
辻氏の文の一部を先生の記事から引用します。 *** 二つの一緒い[ママ]してはならない文節を、 *** 日本語でのフランス語文法用語の中に「文節」というものがあるのでしょうか? 「文節」とは「国文法」の用語で音調の単位ではなかったでしょうか。 二人を擁護する在仏日本人たちは醜悪だと思います。そんな連中は自らを「おフランスに住む良識派」だとでも思っているのでしょう。 在地人さん >「文節」とは「国文法」の用語で音調の単位ではなかったでしょうか。 その通りです。橋本進吉の提唱した術語です。 >日本語でのフランス語文法用語の中に「文節」というものがあるのでしょうか? フランス語の「syntagme」の訳語としての用法があります。 橋本文法の「文節」は、音調単位であると同時に、 【名詞+格標識】や 【動詞の語幹+接辞】 などでもありますよね。 このことに目を付けて、フランス語の「長さアクセント単位
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