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Okinawaとlifeに関するume-yのブックマーク (2)

  • こどもの日でそういえば「ねーねー」がいないなと思った: 極東ブログ

    ブログも長くやっているので毎年巡ってくる旗日とかの話はさすがに書かなくなったが、今朝の新聞社説を読むと世間の話題がないせいか「こどもの日」の話が多い。読みながら、沖縄から土に戻ってというもの「ねーねー」という声を聞かなくなったなと思った。さみしいものだ。あの声がないから土は少子化なんじゃないかとも思った。いや、なんとなく思っただけの話なんだけど。 「ねーねー」というのは、「姉(あね)」の「ね」を繰り返したもので、星飛雄馬の口癖ではないが「ねーちゃん、ねーちゃん」の意味だ。パンダの名前のようだが、兄なら「にーにー」である。 「ねーねー」は実の姉を指すとは限らない。年上の女性はみんな「ねーねー」である。就学前児童が、ティーンエージの少女に「ねーねー」と呼びかけているのを聞くことが多かった。沖縄の少女たちは概ね、小さい子どものへの面倒見がよく、呼びかける子どももそれを知っているから「ねーねー

  • finalventの日記 - 朝日社説 小田実氏死去—市民参加の道を示した

    おやおや朝日新聞が社説で。そういうものかと読む。ベ平連の話から「その後」でイラク戦争が接合されている文章というのは珍妙なものだなと思った。文革もポルポトもない戦後左翼の歴史か。 こうした市民運動のやり方は、さまざまな住民運動のほか、のちの非営利組織(NPO)や非政府組織(NGO)の活動にも影響を与えた。その原点をたどれば、組織よりも個人の自由な発想を大事にする小田さんの個性があった。 小田さんはその後も、阪神大震災の被災者救援や、憲法を守る「九条の会」などで、いつも社会にかかわっていくという姿勢を貫いてきた。 いま、イラク戦争に反対する声が世界に満ち、反戦デモもあちこちで見られるが、日では大勢の人々が加わる反戦デモは影をひそめた。ベ平連が活発に動いていた時代の熱気は失われた。 沖縄で暮らしながら私は私なりにベトナム戦争の傷跡を探った。沖縄はベトナム戦争の当事者に巻き込まれていた。内地人に

    finalventの日記 - 朝日社説 小田実氏死去—市民参加の道を示した
    ume-y
    ume-y 2007/07/31
    「だがそのなかで生きて行かなくてはならない人間は反戦活動をするのではなく、恋をしたりロックを歌う」
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