問題です。 あなたは学生です。 講義開始時刻から15分経っても、教師が来ません。 そろそろみんなざわつきはじめた頃。 教師がやってきました。 開口一番「こらっ!」と一喝!ギロリとにらみつけました。 すぐに講義が始まりましたが、あなたは納得がいきません。 自分は何も睨みつけられるようなことはしていません。おとなしく待っていたし、遅れてきたのは向こうのはず。 それなのに怒鳴るとはどういうこと? 講義の間中、もやもやとした気持ちでいました。 さて、 なぜ教師はあなたを怒鳴りつけたのでしょう? (考える時間 30秒) 答え 先手を取るため もう少し言うと、「あなたを含め学生をあっけにとられた状態にし、自分が遅刻した事実を無かったものにした上で、講義をスムーズにはじめる」ためです。 つまり、怒鳴りつける内容ではなく、怒鳴りつけることそのこと自体が<理由>でした。 別にこちらが悪いことをしたわけでも何
最近、ものを書くことって大切だよなと思って練習し始めた。 読まれているかもしれないと言う可能性がモチベーションにつながるので、キーワードからのアクセスとかがあるはてなにした。 内容は、社会に対して思ってることとか趣味についてとか、まあ良くあるやつ。 これが中々、というかものすごく難しい。物書きってすごいんだな・・・。 書いては消し、書いては消しの繰り返し。推敲って言うレベルじゃない。書きはじめた時と結論違うしwww まあ、それはいい。 問題と言うかへこんだのは、「自分の意見」と言うものがほとんどないことに気がついたこと。 書き終わると大抵「なんかありきたりな結論だな」とか「だから何?」と言う文章が多い。 かといってはじけると、「それはねーよwww」とブレーキがかかる。自分でもおかしいと思う文章を公開するほどMじゃない。よって没。 こんな経験から、自分は大部分をマスコミやネットの情報から構成
インタビューしよう! 最近、かなり力を入れてやっている非モテSNS ですが、そろそろ会員数が1万人に達しそうです。 いやーコミュニティ運営は奥が深くて面白れぇ!と思う今日この頃です。 そこで、今回はサイト内部を色々改造してみるべく、 この土日は家にずーーっと引きこもって ずっとスカイプで非モテSNSユーザーの中の学生達とボイスチャットしてました(笑) 頭がおかしくなりそうでしたが(笑)かなりの収穫があったのでまとめてみます。 最近の学生のインターネット事情 色々聞いた統計を質問形式でまとめてみます。 ※あくまで、僕が聞いた10人の学生の意見です。 Q:よく使うサイトと用途は? ・mixi →15歳以上利用可になって皆使い始めた感じ、まずは登録してる団体 ・GREE →ゲームがかなり楽しいらしい!ランキングとか →デコメとかはデフォルトで使ってる ・モバゲー
著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳 :堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "Technology Wants To Be Free" の日本語訳である。 技術は無料になりたがる Technology Wants To Be Free この前の2月、最近のTEDカンファレンスの休憩時間に、私はワイアードの現編集長クリス・アンダーソンと、彼が出版する予定のFREE(フリー)という本の話をしていた。(私たちが話をしているとき、フリッカーFlickrの創設者その人が私たちの写真を撮って、Flickrに投稿していた!すごいだろう?)十年近く前に、私は、"New Rules for the New Economy"(邦題:ニューエコノミー勝者の条件)という本を書いた。その中で、無料の役割と潤沢さの経済について述べた章が "Follow the Free"
親友がこんなメールをくれた。 ネトゲは死ぬべきである > ネトゲのキャラクターは死ぬべきである > http://blog.pettan.jp/archives/50638552.html 面白かったよ。 以下読んだ感想。 キャラクターが死なないことで、システムの硬化が 進みゲーム自体の死が早まる。 キャラクターが死ぬことによって新しいユーザが 入りやすくなり、ゲームの新陳代謝を上げてゲーム 自体の寿命が長くなる。 というわけで、キャラクターが死ぬことによって、 寿命が長くなった人気のネトゲがいくつか誕生する。 そうすると寿命の長いネトゲが居座り続けることに なり、新規のネトゲが参入しづらくなる。 だって新しくネトゲ作ったのに、ユニークユーザ数 1000万のゲームがうじゃうじゃいれば、ユーザ確保が 困難なのはあたりまえだ。 そしてネトゲ業界(?)の死が早
著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳 :堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "Where the Linear Crosses the Exponential" の日本語訳である。 直線と指数関数の交点 Where the Linear Crosses the Exponential フリーマン・ダイソン(Freeman Dyson)は私が気に入っている大局観のある思想家だ。彼は自分の心と電卓の二つを持って世界に立ち向かっている。彼は疑わしい異説を検討することを楽しみ、そこから何か学ぶことができるかどうかを考えている。彼は普通とは違う立場をとってみて、もしそれが本当であるとしたらどうなるかを計算する。その結果の概略の数字が、私たちの知っている何かと一致するだろうか? 最近、ダイソンは地球温暖化という難問について、私の知る限り最も優れた分析を書い
多くの広告代理店のプレゼンは課題抽出からはじまり、最終的にはプランや広告アイデアを説明する流れになっている。プレゼン上はこれらが流れるように進んでいくのだが、思考の流れはどうかというと、そんなにリニアなものではなく、実作業においては途中に大きな「溝」があり、それを超える必要がある。それを人によっては「クリエイティブ・ジャンプ」と呼んだりする。 有名な広告デザイナーの講習など受けていると、聞いていて「思考の道筋はわかるのだが、なぜそれを思いついたのか?」という事例などによくぶち当たる。なぜ思いついたのですか?と聞いても仕方がない。思いついたから思いついたのだ、ということになってしまう。別にそのデザイナーがコツの出し惜しみをしているわけではなくて、そこには立ち戻れない溝があるということだと思う。 課題を解決しようとするときには、どこを解決すればよいか?という視点で、問題点を洗い出したりする
年寄りが語る戦後日本 - raurublock on Hatena 以前何度か、仕事を引退したばかりの団塊世代の男性に「過去のあなたの経験を教えてください」と頼んでみたことがある。大抵の場合、こうした申し出に対し、彼らは苦労話を交えながら“武勇伝”や“成功体験”を語ってくれる。ドラマチックで情熱的な、臨場感溢れる昔話を語る時の彼らの表情は、殆どの場合、誇りに満ちている。個人の経験談を語る時だけではなく、“昭和”“高度成長”という時代を回想する時も、やはり自信が溢れている。 ところが、ついさっきまで自信に満ち溢れていた男性が、一転、自信のない姿をみせ驚くこともある。たとえば海外旅行の際、日本人と一緒にいる時には自信に溢れた態度をとり、奥さんや添乗員に対しては居丈高ですらある男性が、自由時間になったとたんに萎縮し、奥さんに頼ってしまうような例などである。本当に自信が内側に蓄積している男性なら、
こうやってブログを書いたり、Twitterやmixiを使ったり、またははてなアンテナやRSSリーダーで情報を集め、気に入った記事があればはてなブックマークに登録するなど、気ままにネットツールを利用していますが、こういうのを当たり前に使っていると、一般的な世界とは認識が離れていくもんです。使っている人にとっては当たり前のツールでも、知らない人・使わない人にとっては「なんじゃそりゃ」です。「自分の常識は、他人の非常識」であることは珍しくありません。 特にそれを痛感したのは学生との会話。5月はゼミのディベートの試合があったので、後輩を指導しておりました。そのため、学生と話す機会がもの凄く多かったわけですが、そこでの会話がまあ自分の認識のズレを気付かされるものでして。自分は普通、一般人と思っておりましたが、気付かないうちに奇妙な人種になっているものなんですね。 ブログは書くものではなくて読むもの
2008年06月02日05:30 カテゴリArt 成果 ≠ 運+実力 この設問は、「できる」人々を捉えて離さないようだ。 おごちゃんの雑文 ? Blog Archive ? 「10年泥」 また、さらに冷静にものごとを見るなら、世の中のほとんど全ての成功は まぐれ(fooled by randomness) の結果なのだ。 先日我が家で開いたパーティでも、勝間さんと干場さんがこの話題を取り上げた。 当然といえば当然のことだ。自らの成果を「単に運がよかっただけ」だと言われれば、成果を向上させるために日日切磋琢磨している彼らが快く思うはずもない。 しかし、成果(achievement)を上げている者ほど、運(fortune)の大切さを切実に知っているというのもまだ事実なのである。彼らは成果に運が不可欠であることを心身ともに知っている。だからこそ、そこにおける実力(virtue)にどのような意味が
「ババ抜きゲーム」は続くのか?――国内第三世界化と外国人労働者 文=五十嵐泰正 仕事、特に若い世代のそれをめぐって、仕事をする側に関しての議論は様々に蓄積されてきた。たとえば、キャリアの蓄積に向かわないデッドエンド(袋小路)のような仕事に従事する若者に、どう専門性を身につけさせ、ステップアップのハシゴ(キャリアラダー)を架けてゆくかという議論が焦点化してきている。本連載第3回の阿部真大のすぐれたエッセイは、現実をしっかりと見据えた上でこの論点を的確に整理した。 しかし一方で、仕事を生み出す側の論理に目を向けると、デッドエンド・ジョブは決してなくならない。先進国では生産性の低い製造業が国外に流出し、国内の産業の中心は“付加価値”の高いサービス業となる――。「脱産業化社会」に関するこうした教科書的な理解は、この社会の現実からあまりにもかけ離れている。 清掃業や廃棄物処理、外食産業に弁当屋、そし
新卒で入ったサン・マイクロシステムズの入社式で人事部長が開口一番言った言葉は、「とにかく日経新聞を必ず読め」という内容のものだった。 その理由としては、日経新聞に載るような話題というのは社会人が一般常識として持っていて当然の内容であり、社内での会話でも取引先との会話でもその前提がないとそもそもビジネスの会話が成立しない、ということで、私はこれを聞いて、なるほど、よくできたシステムだな、と思った。 そして、最近、同年代の気が合う人と話したり、ネットでコミュニケーションしたりするときに、自分の付き合いのある範囲では、はてなブックマークのホッテントリが、当時人事部長に言われた日経新聞と同じ機能を果たしているな、と感じることが何度かあった。昨年末に開催したWoWのギルドのオフ会でも、ネットゲームの話に華が咲くと思いきや、はてブで取り上げられたエントリやテーマの話題が非常に盛り上がって驚いた。ホッテ
反便利、反インターネット的 This blog has not been updated since 2017 去年、ジャストシステム社がネット上でATOK全国一斉日本語テストを実施してゐた。このテストでは、受験者は受験する際に住んでる都道府県を記入することになつてゐたので、都道府県別の受験者数がわかるやうになつてゐた。 それで、どこの県がもつとも受験者が多いか気になつたので調べてみた。もちろん、人口が多い県ほど受験者数が多いのは当たり前。なので、まづ、47都道府県を人口の多い順に並べ、それからその隣に日本語テストの受験者数が多い県順に並べて、両者の順位の変動を比較してみた。 人口順位との比較で見た場合、日本語テスト受験者数が多かつた都道府県ベスト10は以下の通り。 1.徳島県 2.山梨県 3.福井県 4.香川県 5.滋賀県 6.石川県 7.奈良県 7.富山県 7.鳥取県 10.三重県 1
ものを書く動機についての私感と、それが生み出す誤解について書き記しておきます。また、蛇足として、とりあえず公開する、伝えてみる、という事の意義についても若干触れてみます。蛇足の内容については誰かがもっと巧く書いていたような気がするのですが、どこで見たのか思い出せませんでした。 動機 私がWebで文書を公開する動機は、見てもらうことではありません。見てもらうことは単なる結果に過ぎないのです。では何故書くという面倒な行為を行うのか。それは伝えたいことがあるからです。 伝えたいことの重要さや内容には大きな差があります。ふと町を歩いている時に思いついたことを伝えたくなることもあります。ある文章を読み、その内容を伝えたくなることもあります。もしくは、僕は生きているよ、という事を伝えるためだけに内容のない文書を公開したくなることもあるでしょう。しかし、どのような場合でも前提として伝えたいことがあります
Facebookの急成長とマイクロソフトのYahoo買収宣言は、グーグルの歴史の中で一つの分水嶺になると思う。 そう考えると、(偶然だと思うけど)ちょうどこの時期に、Open Social APIが発表されたことの意義は大きい。 つまり、これは、WEBというpublic spaceを便利にする人(グーグル)と、private spaceを便利にする人(Facebookとマイクロソフト)が正面衝突したということだ。 WEB上にあるものは、誰にでもアクセスできる。WEBは誰にでも開かれた場所だ。publicな場所がどんどん便利になっていくことが、WEBの歴史であり、同時にグーグルの歴史でもある。 ドキュメントをpublic spaceに置くと、タダで検索できるようになる。private spaceに置いたら、自前で検索エンジンを用意しなくてはならない。RSSリーダもそうで、publicなフィー
僕も学生なのだけど(一応)、仕事をしているチームにプログラマをスカウトするために何人もの学生プログラマと会ってきた。能力はいろいろ。Linuxのソースをガンガン読んでいる人もいれば、授業のプログラミング課題がちょっと得意、くらいの人もいた。言い方は悪いけどピンキリ。 で、その差が何から来るのか疑問に思っていた。「プログラミングに対する情熱や興味の差」とか、「アルバイトでの開発の経験」などの差はもちろんあるのだが、どうもそれだけでは説明し得ない壁があるように感じたので、ここ数日それを考えていた。 で、理由を思い立った。 学生に限らず、プログラミング能力は個人差が激しい。これは最終的には「純粋な頭脳労働だから」という点に帰着すると思う。他の多くの世界と違って、プログラミングは「時間と頭脳があれば原理的に何でもできる」わけだ。他の分野においても「頭脳戦の割合が高ければ高いほど偏差も大きくなる」と
見せてやるッ、これが本当の思考停止チェッカーだッ! あなたの「思考停止レベル」はいくつ? 判定スタート ↓ 望みや欲しいものがある → 自分には無理だ → 思考停止レベル0 ↓ http://anond.hatelabo.jp/20071204193149 ↑コレがあまりにもひどいので、自分用に作った思考停止チェッカーを蔵出し。 使い方は簡単。直面した問題を真ん中に書いて、焦点がどのカテゴリに属するのかを、関係事項の書き込みで類推する。で、最良と思われる思考停止点を選ぶ。自分がどこで思考停止して、解決不可能ループに入っちゃってるのか、あるいは、どこで思考停止すると事態が好転するのか、という予測を立てることができる。少なくとも「全部バッドエンド」の回避ぐらいには使える。まあ角から犬かやくざが出てきた場合はこの限りではありませんが。 金……経済的停止点、金がなくて解決できないとか、解決すると金
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