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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (18)

  • 「インターネット文学」が生まれ、二極化していった20年間のこと - いつか電池がきれるまで

    はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 僕がはじめて自分のホームページを作ったのは、1999年だから、もう20年以上前になる。 パソコン通信の時代には、そういうものがあるのは知っていたけれど、知らない人とやりとりするなんて怖いな、電話代もかかるみたいだし、という感じで、そんなに興味を持てなかった。 でも、職場でインターネットというものにはじめて触れて、雑誌に紹介されている個人サイトを覗いてみて、僕はインターネットの「日記」に魅了されてしまったのだ。 そこには、家族との日常を淡々と記録している人、趣味について書き続けている人、進行中の不倫や専門職での出来事を匿名で告白している人、婚活で出会った異性のことを赤裸々に紹介している人、などが存在していた。 他人の日常を覗き見ることには、背徳的な新鮮さがあった。 それまでは、プロの作家の「お金になる文章」以外を読む機会って、ほとんどなか

    「インターネット文学」が生まれ、二極化していった20年間のこと - いつか電池がきれるまで
    yizhak
    yizhak 2021/08/09
    確かに最初は「つながる」、なんて考えていなくて、どっかの片隅に自分の場所を作ってひっそり文章を置いておく、誰かのそれを見つける、覗き見るって感じだった。
  • 「人生にも客商売にも向いていない」という呪いの連鎖について - いつか電池がきれるまで

    note.com note.com anond.hatelabo.jp こういう話を読んでいると、「生きづらさ」とか「人生無理」なんていうのも、人それぞれ基準が違うのだよなあ、と考えずにはいられない。 僕自身も生きづらさを抱えて生きてきたつもりなのだけれど、なんとか自分なりに飼いならしてきたのかな、と最近になって思えるようになってきたし、3日目、TSUTAYAのレジで店員さんと話していて、ふと、ああ、50歳を前にして、仕事以外でようやく人と身構えずに接することができるようになってきたような気がする。20歳のときに今くらいの対人スキルや問題解決能力があれば、もっとマシな人生を送れてきたのではないか、というのが頭に浮かんできた。 子どもの頃の僕は、書店で買うをレジに持っていくのが恥ずかしい、そんな人間だったから(ちなみに、エロとかではなくて、マイコン雑誌とか『タクティクス』とかです。まあ、

    「人生にも客商売にも向いていない」という呪いの連鎖について - いつか電池がきれるまで
  • 「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで

    kakuyomu.jp anond.hatelabo.jp 僕は「と学会」のを読んで、『ノストラダムスの大予言』というのは、どうも当たらないというか、けっこういいかげんなものらしい、ということに自信を持てるようになったのです。『水からの伝言』(水に『ありがとう』などの『良い言葉』を見せるときれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『悪い言葉』を見せると、きたない結晶ができる、というやつですね)へのツッコミも記憶に残っています。 「いい話」「教育上役立つ(と多くの大人が思い込んでいる)話」は、「噓でも良いじゃないか」というような欺瞞に対して、敢然と立ち向かっていった『と学会』の活動は、当時の僕にとっては、とても刺激的なものでした。 その後の『江戸しぐさ』論争などをみると、結局、人は同じようなことを繰り返すものなのだな、と考え込まずにはいられないのですけど。 fujipon.hatenadi

    「と学会」と「note」とクリエイターの「老害化」について - いつか電池がきれるまで
  • 山里亮太さんは、罪を犯したのだろうか? - いつか電池がきれるまで

    www.sponichi.co.jp www.sponichi.co.jp 山里さんは、「毒舌」や「当意即妙な返し」で評価されてきた芸人なのですが、自伝『天才はあきらめた』でも、けっこう赤裸々に、自らの妬み嫉みや相方へのパワハラ、そして、飽くなき努力を語っています。 fujipon.hatenadiary.com 山里さんは、吉総合芸能学院(NSC)で最初にコンビを組んだ相方のことを、こう振り返っています。 僕はクズです。当にどうしようもない男です。先に言います、ごめんなさいM君。 これから話すのは思い出話として話すというよりも、捕まった犯人が自供するような感じになると思います……。 コンビを組んでくれたM君に対してとった僕の行動はまさに暴君だった。コンビというのは対等でなきゃいけないはずなのに、ネタを作っているというだけで相当上から目線になってしまった。僕は、それはそれは無理難題、理

    山里亮太さんは、罪を犯したのだろうか? - いつか電池がきれるまで
  • 平田オリザさんのことは嫌いでも、舞台演劇や役者さんたちのことは、嫌いにならないでほしい。 - いつか電池がきれるまで

    oriza.seinendan.org b.hatena.ne.jp 平田オリザさんへの批判が止まらない。 というか、こうして自ら追加燃料を投下しているのをみると、「雉も鳴かずば撃たれまいに……」と思うのです。 僕は7年くらい前に、平田さんの「コミュニケーション論」を読んで、ものすごく感銘を受けたのです。 fujipon.hatenadiary.com このの第一章で、平田さんは、こう述べています。 現在、表向き、企業が新入社員に要求するコミュニケーション能力は、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」である。OECD(経済協力開発機構)もまた、PISA調査などを通じて、この能力を重視している。 (中略) 「異文化理解能力とは、おおよそ以下のようなイメージだろう。 異なる文化、異なる価値観を持った人に対しても、きちんと自分の主張を伝えることができる。文化的な背景の違

  • 戸田真琴さんと、しの(@raf00)さんと、画面越しのコミュニケーション - いつか電池がきれるまで

    tenshoku-web.jp この記事が、たいへん面白かったのです。 rioysd.hateblo.jp 戸田真琴さんのことをはじめて知ったのは、このAVデビュー時の記事で、僕は正直、「なんでそういうことになってしまったのだろうか、こういう人の「不安定さ」を利用してコンテンツにするって、なんか引っかかるよな、と思っていたんですよ。 自分の娘であってもおかしくない年齢でもありますし(僕には娘はいませんが)。 戸田さんのnoteが話題になっていて、僕もこれを読んで、「平凡な人生にギリギリのところで適応している自分」を応援してもらえたようで、けっこう感動したのです。 note.mu ただ、その一方で、「平凡な人生も立派です!」という発言がこんなに注目され、もてはやされるのは、発言者が「平凡じゃない人」だからなんだよなあ、とも思っていたんですよね。 戸田さんに対しても、「とはいえ、あなたはその『

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  • 『ど根性ガエルの娘』を読んで、「家族の問題」を作品にすることの難しさを思う。 - いつか電池がきれるまで

    aoshimabooks.com 『ど根性ガエルの娘』、僕も読んでいたのですが、正直なところ、読むのに疲れてきました。 学生時代は、ハリウッドの量産型アクション映画をみて、「なんでこんなどれもこれも一緒にみえるエンターテインメント映画ばっかりつくられ、観られているのだろう? もっと人生の深みや陰を描いた重厚な作品がヒットすべきではないのか?」なんて思っていたんですよね。 しかしながら、僕も40代になってみると、その理由がわかってきたような気がします。 難病で死に向かっていくことや家族の複雑な問題というのは、「そのへんに煩わしいほど転がっているもの」であり、そんなものをわざわざ映画館で観て、暗い気分をフラッシュバックさせたくない、どうせだったら、映画館の、フィクションの中でくらい、日常ではありえない、ハッピーエンドの「冒険」に浸っていたい。 まあ、ハリウッドのエンターテインメント映画にも「家

    『ど根性ガエルの娘』を読んで、「家族の問題」を作品にすることの難しさを思う。 - いつか電池がきれるまで
    yizhak
    yizhak 2017/05/20
    わたしよくわからないんだけど、これ、旧も新も編集の方は内容をハンドリングできてるんでしょうか? 作者の煩悶が赤裸々になりすぎてて心配。
  • 「人の気持ちがわかる」と自信を持って言い切る人は、こわい。 - いつか電池がきれるまで

    ブログなんてものを書かずにはいられない僕という人間は、北条かやさんと、五十歩百歩だよなあ、なんてことを考えてしまう。 しかも、彼女の場合は収入につながっているのだが、僕の場合は、ほとんどお金にもならない。 ある意味、よりいっそう病んでいる、ともいえる。 そういえば、一昔前(十数年前くらい)のインターネットには「閉鎖芸」みたいなものが蔓延していた。 ちょっとイヤなことがあると「閉鎖します」と宣言して、閉鎖・移転を繰り返すサイトが少なからずあったし、それに対して、取り巻きたちが「閉鎖なんて悲しいです!」とコメント欄に書き込む。 そのコール&レスポンスには、様式美のようなものがあった。 4月1日のネタとして、「閉鎖します」をやる人がいなくなってから、もう何年経つのだろうか。 サイトやブログにとっての「閉鎖」というのはプチ自殺みたいなもので、自分の葬式に参列できないことの代用なのかもしれない。 し

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  • 「医学部に進んでしまったけれど、医者にはなりたくない」という増田さんへ - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp 僕には僕自身の経験からしか語れないのだけれど、それでもこの増田さん(「はてな匿名ダイアリー」の著者は、「増田」と呼ぶのが慣例なのです)の選択に、少しでも役に立てればと願いつつ書きます。 僕自身、あまり医者になりたくなかったのに、結果的になってしまった人間なので、増田さんの気持ちはわかる。 僕の父親は医者で、普段は「お前は医者にならなくても、好きなことをやってもいいよ」と言ってくれていたのですが、高校時代の模試で一度法学部希望にしたら、あからさまに機嫌が悪くなったのを覚えています。 僕の人生の「職業選択における希望」は、弁護士か文系の学者(できれば歴史学者、「ヤン・ウェンリー症候群」ですね)、もしくは「ものを書いてべられる人」だったんですよね。 あと、ゲームをつくる人や、ゲーム雑誌の編集者にも憧れたなあ。 ただ、そういう親の「暗黙の期待」みたいなものを裏

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  • 永谷園の「お茶づけ」について、僕が40年近く誤解していたこと - いつか電池がきれるまで

    永谷園の「お茶づけ」には、幼少時からずっとお世話になってきました。 野菜も肉も魚も苦手だった僕にとっては、数少ない「安心してべられるもの」でもあったんですよね。 当時は「焼鳥には悪い鳥がなるのだ」と信じていましたし、口をゆがめて断末魔の叫びをあげている焼魚をみると、ごめんなさい!とか感じてしまう子どもだったのだよなあ。 なんなんだ、「悪い鳥」って。 今となっては、「べてしまうのはいささか申し訳ないが、こちらもべないと生きられないのでスマヌ」というくらいというか、むしろ、昔べられなかった分を取り返しているのではないか、というくらいの勢い、なのですが。 脱線してしまいましたが、「永谷園のお茶づけ」の話に戻ります。 僕は幼稚園くらいから、この「お茶づけ」をべていた記憶があります。 最初は「のり茶づけ」がいちばん好きで、次に「さけ」、「梅」は酸っぱいから苦手、だったのです。 「のり茶づけ

    永谷園の「お茶づけ」について、僕が40年近く誤解していたこと - いつか電池がきれるまで
    yizhak
    yizhak 2015/10/20
    ブコメがお料理一口メモ(●´ω`●) お茶漬けの素なんだからお湯で大丈夫だろ派だった。
  • はてな村で、ようやく自由になれたと思ったら、周りには誰もいなくなっていた。 - いつか電池がきれるまで

    azanaerunawano5to4.hatenablog.com 「はてな村」の中枢からは「お前は敵だ」と言われ、外部からは「お前は『はてな村民』じゃないか!」と決めつけられ…… 僕は、そんななか、『はてなダイアリー』のβ版から、『はてな』でブログを書いてきました。 (詳細を知りたい方は、こちらをご参照ください。けっこう長いです)d.hatena.ne.jp まあ、『はてな』のなかでも、「古参」と言えるほうではないかと。 認知度はさておき、「長年続けている」のは、間違いない。 そんな僕の実感としては、「『はてな』でブログを書くのは、昔よりも楽しくなった」のですよね。 『はてなダイアリー』の黎明期のことを懐かしむ人は少なくないみたいだけれど、僕にとっての当時は、「触れるとヒリヒリするような、めんどくさい時代」でした。 村の偉い人たちからは何度もお𠮟りを受けました。 人格攻撃のブックマーク

    はてな村で、ようやく自由になれたと思ったら、周りには誰もいなくなっていた。 - いつか電池がきれるまで
  • 『レッド』から、『約束された場所で』 - いつか電池がきれるまで

    「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? 作者: 村上春樹,安西水丸出版社/メーカー: 朝日新聞社発売日: 2006/03メディア: ムック購入: 3人 クリック: 33回この商品を含むブログ (155件) を見る 『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか』というより。 村上さんの元オウム信者たちへのインタビュー集『約束された場所で』を読んだ読者からの、「オウム信者の人たちは、この世の中に『忘れられた人々」であり、オウムというのは、彼らにとっての『自分たちだけの入り口』だったのではないか?」という質問に対して、村上さんはこう答えておられます。 <村上春樹さんの回答> 我々はみんなこうして日々を生

    『レッド』から、『約束された場所で』 - いつか電池がきれるまで
  • 自分の身に起こったことを必然にできない人 - いつか電池がきれるまで

    『洋子さんの棚』(小川洋子・平松洋子著/集英社)というのなかで、こんなやりとりがありました。 小川洋子:河合隼雄先生とお話しした時にうかがったのですが、病や心の苦しみを抱えてカウンセリングに来る人たちは、自分の身に起こったことを必然にできない。いろいろな過去を、これは起こるべくして起こったとは思えない。後悔を昇華できないんだそうです。 平松洋子:そうしてあの時にこういうことをしちゃったんだろう、どうしてあの時にこうしかできなかったんだろうということに、とりこまれていくということですね。あの身を苛まれるような苦しさは、逃げ場がなくてつらい。 小川:すでに起こってしまったことを、あれは必然だった、必要なことだったと思うためには、自分にある意味嘘をついて、物語にして昇華しないといけない。それが出来ないと病んでしまうんですね。 平松:ただ、あれは必然だったと自分の中でおさめていくにも、やはりエ

    自分の身に起こったことを必然にできない人 - いつか電池がきれるまで
  • 「今日、いちばん輝いていた店員の名前を教えてください!」 - いつか電池がきれるまで

    以前、あるベーカリーレストランで事をした際に、ものすごく混雑していたこともあって、長時間待たされ、その店のセールスポイントである「焼きたてのパン」が、ほとんど運ばれてこない、ということがありました。 そこで、「お客様の声」に、感じた不満を書いて帰ってきたのですが、後日、その店から、「手書きのお詫びの手紙」が送られてきました。 僕の分と、の分と、2人分。 一字一句違わない、まったく同じ文面です。 その手紙を見て、僕は「ああ、あのあと、アルバイトの人か店員さんが居残りさせられて、お手通りに、この『反省文』みたいなのを書かされたんだなあ……悪いことしちゃったなあ……」と思ったんですよね。 マニュアル通りの対応なんだろうけど、クレームの内容にかかわらず、夫婦に二通、まったく同じ文面で送ってこられても、「罰ゲームやらせちゃったな……」という後味の悪さしか残りません。 「感謝のことば」とか「謝罪

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  • それを「シンポジウム」と呼んではいけない。 - いつか電池がきれるまで

    ※このエントリには、自殺についての話題と、自殺について書かれたエントリへのリンクがありますので、精神的に不安定な状態を自覚されている方は、読まないでください。 長くなりそうなので、なるべく短く、まとめて書きます。 きっかけは、このエントリでした。 参考リンク(1):自殺という選択肢はアリ?ナシ?〜週末シンポジウム第3回〜(心がよろけそうなときに読むポンコツ日記) それに対して、さまざまな反応が寄せられたのですが、そのなかでも多くの人に読まれた(であろう)ものがこちら。 参考リンク(2):「自殺」に関して〈個人〉と〈社会〉の両側面から考えたい(ぐるりみち) そして、この「参考リンク(2)」に対して、こんなエントリが書かれていました。 参考リンク(3):自殺する人は弱い(grshbの日記) 「弱い」という断定調のタイトルの影響もあってか、このエントリはだいぶ話題になったのですが、コメント欄や、

    それを「シンポジウム」と呼んではいけない。 - いつか電池がきれるまで
  • 「伊集院光」という生きかた - いつか電池がきれるまで

    昨夜、『Qさま!!』の3時間スペシャルを視ていました。 有名進学校の「超高校級の勉強家」たちが、難しい問題からどんどん解答していき、最後には簡単な問題しか残らなくなっているのをみて、「ああ、僕はこの高校生たちの倍以上生きているんだがなあ……」なんて、やや暗い気持ちになったりしながら。 うちの息子は、こんなふうにはなれないだろうな…… (なったらなったで、いろいろ考えてしまうところもありそうだけど) 選抜された東西メンバーのハイレベルな戦いに圧倒されつつ視ていたのだけれど、途中から、僕はひとりの出演者が気になってきたのです。 それは、伊集院光さん。 『Qさま!!』では、他の出演者がわからないような難しい問題を答えられる「エース」のポジションにいるのが、ロザン宇治原さん、やくみつるさん、宮崎美子さん、村井美樹さんなどの「インテリ芸人」(やくさんは「芸人」なのか?というのは考えると長くなりそうで

    「伊集院光」という生きかた - いつか電池がきれるまで
    yizhak
    yizhak 2014/01/09
    心に留めておきたい
  • 僕がいちばん苦手な「サービス」の話 - いつか電池がきれるまで

    昨夜、床屋に行った。 安いのと早く終わるのと夜までやっているのが売りの(その一方で「丁寧さ」は期待すべきではない)床屋をよく利用しているのだけれども、隣の席から、床屋のおばちゃんの大きな声が聞こえてきた。 「そう!○○に住んどるですか! うちからも近いですね! お仕事は何ばしおっとですか?」 ああ、あっちの人に当たらなくてよかった…… そもそも、ここは「そんな床屋」じゃないはずなのに。 ほんと、僕は床屋というやつが苦手なんですよ。 (こちらのエントリ参照) こういう「クイック系の床屋」を利用しているのも、とにかく、「あれこれ詮索されたり、世間話をするのが苦手」という理由が大きいのです。 こういうおばちゃんって、「おしゃべりするのがサービス」だと思いこんでいるから、困ってしまう。 とはいえ、「黙っていてください」とか言ってきまずい空気になるのもイヤだし。 結局、話を合わせて愛想笑いとかして、

    僕がいちばん苦手な「サービス」の話 - いつか電池がきれるまで
  • バカにされているのは、「グリーン車」のtweetではなくて、僕やあなたの「良心」なのです。 - いつか電池がきれるまで

    参考リンク:超混雑だった東海道新幹線の乗客が「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」とツイート→炎上 - NAVER まとめ ちょいと新幹線の車掌さんよ!大幅に遅れて運行している中、席がたくさん空いているのにグリーン車の切符がないとグリーン車に乗れないなんて全っっっ然やさしくなーい。立ってる子連れやお年寄りよりがいるからお願いお願いって言ってもダメだった。あたいの説得力の無さったら……チーン— 有田由希/Yuki Arita (@aritayuki) 2014, 1月 3 車掌さんたちもきょうはきっとお客さんに怒鳴られたり文句言われたり業務に追われたりといろいろ大変だとは思うけど立ってる人への配慮プリーズ。こんなときの規則なんてグシャグシャしてポインじゃ— 有田由希/Yuki Arita (@aritayuki) 2014, 1月 3 これで「炎上」しちゃうのか……と愕然としてしま

    バカにされているのは、「グリーン車」のtweetではなくて、僕やあなたの「良心」なのです。 - いつか電池がきれるまで
    yizhak
    yizhak 2014/01/04
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