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退職と宮崎謙介に関するAKIMOTOのブックマーク (2)

  • 「ドリコム退職にあたり」を振り返る-宮崎謙介⇒加藤謙介の誰にも見せないつもりの日記

    「ドリコム退職にあたり」 を振り返る。 そして今回で、ドリコムを振り返る最後にしたいと思う。 改めて前提としてドリコムにはお世話になったし、大好きだった上に、成長させてくれた。 その点に関しては今も尚、この上なく感謝をしている。その前提のもとで、意見を述べる。 ドリコムを退職し、ブログを書いた。 「人をもっと大事にするべきだ」ということを現代の無機質な経営者たちに向けて 発した、社会へのメッセージだった。「リストラ」という文字を体で感じ、 ヒトの人生の重みを肌で感じた。何も言わずにはいられなかった。 自分が想像した以上に反響を呼んだ。多くの皆様からお叱りの声を受けたし、 冷たい視線も浴びた。予想以上に、保身、不義理、背徳、そんな言葉が胸に突き刺さった。 しかし、そんな現状においても自分は間違っていなかったと信じたかった。 社会に対するメッセージ。数ヵ月後、それが届い

  • ドリコム退職にあたり-宮崎謙介⇒加藤謙介(@ドリコム)の誰にも見せないつもりの日記

    12月13日付けでドリコムを正式に退職することになりました。 思えばドリコムには2005年の3月からということで3年近く所属を していたのですが、営業部の立ち上げの社員第一号として 入社をしました。ちょうどIPOの1年前です。 当時は、社員数というところでいうと13、4人で 東京オフィスには机が6個くらいしか並んでいないような状況で ドアを開けたときはオフィスの狭さに驚きを隠せませんでした。 それに当時、開発案件を一手に引き受けていた現在取締役の新井さんが 寝泊まりをしていたテントがありました。ベンチャーを垣間見た瞬間です。 一方で、市場の追い風と、技術力の高さが評価され まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長をしているのを肌で感じました。 ドリコムでは、営業部の立ち上げから始まりました。 今現在あるドリコムキャリアサーチの立ち上げがメイン業務でした。 当時掲げていた、ブ

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