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  • 「ラジオってどうやって聴くんですか?」 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    嘘みたいな話ではあるけれど、人気アイドルがラジオ番組をはじめるというようなニュースが出たときなんかに、ラジオ局や家電量販店で若い人から「ラジオってどうやって聴くんですか?」という質問が寄せられるらしい。また、若い人に「ラジオって聴いてる?」と質問すると「聴いてる、聴いてる」と答えるので「ラジオで?それともradikoで?」と尋ねると「うんん、YouTubeで」。まあ、どちらの話も笑い話ではあるけれど、あながち嘘ではないんだろうなあ、とも思ったりします。 これは前に書きましたが、現在のラジオの聴取率は関東広域圏で6%前後。曜日や時間帯によって変わりますが、大雑把に言えば、100人いれば6人くらいラジオを聴いている計算になります。ちなみに、ラジオの聴取率調査が始まった2002年の聴取率は関東広域圏で8.3%でした。現状をどう評価するかは、数字の読み方を知る知らないによって違うでしょうし、立場に

    「ラジオってどうやって聴くんですか?」 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • こういうことだと思うんですけどね - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    いい感じのネット広告を「47NEWS」という共同通信や地方新聞各社が運営するニュースサイトで見つけました。小さなテキストバナーです。下の写真の赤枠に囲まれた部分がそれです。 何気なく見ていたときに、ちょっと気になって思わずクリックしてしまいました。で、このテキスト広告をクリックすると、下写真のサイトに行きます。 谷村美月さんという女優さんのサイト「谷村美月 ここです。」です。中身は、あっさりしているけれど中身はきちんとある、わりと誠実なつくりのサイトでした。私は、谷村さんは今まで知りませんでしたので、私個人をターゲットと考えたとき、この小さなテキスト広告は完璧な仕事をしたことになります。 ●    ● 私は、ネット広告のこれからは、こういう小さなテキスト広告の質が高まっていかなければ未来はないだろう、と思っています。このブログでも何度か書いていますが、こういう「ネット広告の路地裏」の質的な

    こういうことだと思うんですけどね - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    リテラシーについて考えるとき、ひとつの出来事を思い出します。職場にて。私の席の隣に座っている、年配のクリエイティブ・ディレクター。彼は仕事で調べものがあったらしく、私に、ちょっとこの言葉の意味、ネットで調べてくれないかな、と言いました。私はちょっとめんどうだなと思うものの、Googleを使ってその言葉の意味を調べ、彼に教えました。すると、彼は、私に次から次へと依頼をするようになってしまいました。 何回か、そうしたやりとりが続いたとき、少し先輩のアートディレクターが、かなり思い詰めた口調で、その年配のクリエイティブ・ディレクターに言いました。 「それくらい自分で調べたらどうですか。迷惑なんですよ。」 私はそのとき、確か、いえいえ、こんなの簡単だから別にかまわないです、とか言って、その場を繕ったりした覚えがありますが、今も脳裏に焼き付いているのは、その年配クリエイティブ・ディレクターの寂しそう

    続・リテラシー考 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 制作側で「コミュニケーションデザイン」を設計する一人として - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    前回のエントリ「「制作のやつは馬鹿だから」みたいなことがあるのかもね。」でコメントをいただきました。いろいろ考えさせられるコメントでしたので、エントリにしてコメントに答えてみたいと思います。 私は、広告を発注するサイドの人間なのですが、今回のエントリーを拝見して、ブリーフした後、制作サイドでは、やはり、こういうことが起きているのか?と複雑な心境になりました。新しいパラダイムが導入されて、結果が出る前の間は常にこういう葛藤がありますよね。「広告人さん」の意図は、コミュニケーションデザイン自体を否定することではなく、プランナーが上目線で独りよがりで、クリエイティブと一緒に課題解決しようとしないことに対する問題提起ですよね?私は、広告代理店に対しては発注側ですが、社内では、そうした新しい試みを定着させていく推進派の役割を負っています。その視点から、「広告人さん」のエントリーを読むと、当に示唆深

    制作側で「コミュニケーションデザイン」を設計する一人として - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 「制作のやつは馬鹿だから」みたいなことがあるのかもね。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    そういう自称コミュニケーション・デザイナーさんたちのインサイトは、統計学的には誤解じゃないかもしれないし、制作にもいろいろいるだろうと思うんですけどね。でもまあ、こういう、制作は表現の専門家ではあるけれど、基的には「馬鹿」だから、俺たちが導かないといけない、みたいなムーブメントが定期的に出て来て、はっきり言えばちょっとうんざりです。そういうムーブメントを起こす人は、たいがい見たところでは、その心の奥で表現に対してルサンチマンを抱えていたりはするんですが、建前で言えば、正義というか使命みたいな前向きな気持ちに裏付けられていて、それがじゃまくさいといえばじゃまくさい。 その人曰く、制作っていうのは表現の専門家でしょ、その表現に専念するためにも俺たちがフレームをつくらなきゃいけなくて、今までそれがなかったからうちの会社はいい広告が出せなかったわけでさ、みたいなの。で、その時点で、それを言ってい

    「制作のやつは馬鹿だから」みたいなことがあるのかもね。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ報道は、新聞がネットユーザーから見直される絶好のチャンスだった。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    確かに、速報は新聞が速かったけれど、そのスピーチの全貌を日に伝えるのは遅かった。その全貌を日語で伝えたのは、新聞ではなく個人のブログだった。多くのブログで、コメントが書き込まれ、時間が経つにつれ、その翻訳は生き生きとした言葉に変わっていった。それを、一ネットユーザーとして眺めながら、なんとなく久しぶりにネットというのはいいものだと思った。 新聞はチャンスだったと思う。今の日の新聞は、どこもネットでサイトを持っている。なのに、どの新聞も速報とスピーチの部分引用だった。少なくともネットでは注目されていたし、新聞から全文および全訳が出ることを期待しているようだった。いくつかのブログでその日語訳を読みながら、いいスピーチだったと思ったし、いろいろ考えさせられる内容だった。 新聞あるいは通信社は記者を送っているはずで、その内容をライブで知る特権的な立場にあったはず。これだけの内容をライブで聴

    村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ報道は、新聞がネットユーザーから見直される絶好のチャンスだった。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/02/19
    この素直な述懐、新聞はどう読むんだ?
  • 言葉の速度について - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告は見てもらえる、みたいな気持で作るなというのは、マス広告の危機だなんだといわれる前からよく言われることで、とあるクリエイターは、きれいなポスターをつくってきた後輩クリエーターに対して「キミ、この広告で人が振り向くと思う?例えばさ、白いポスターの真ん中にうんこがあるとするじゃない。それ、気持いいかどうかはともかく、見るよね。そのうんこのポスターに勝たないといけないのよ。」と言ったそうです。まあ、うんこのポスターは極論だとは思いますが、広告は、「そんなもの誰も見るかいな」みたいな気持でつくってちょうどいいんじゃないか、と思います。 新聞広告でも、テレビCMでも、ポスターでも、ウェブバナーでも、広告である限り、まずは見てもらうことが大事。でもそれは第一段階クリア、みたいなことに過ぎなくて、そのあとの段階がいくつもあります。これだけ情報が多くなってきた今の世の中、人々の広告に対するスルー力はか

    言葉の速度について - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/02/07
    漢字を開くとき、そうでないとき/うんこのポスターに勝たねばならない、きれいなポスター
  • 発泡酒のジレンマと呪縛 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ビールの味はよくわかりませんが、ビールの味を基準にすれば、発泡酒はあまり美味しいものではないと言えるでしょうね。明らかに味が薄いし。でも、価格が安い。うちの親父なんかは、昔はキリンビール(生じゃないやつ)一筋だったのですが、今では発泡酒ばっかり飲んでいて、それは価格が安いこともあるけれど、味が好き、とも言うんですよね。ワシの歳じゃ、ビールはくどい、みたいなことを言っています。サラッと飲みやすくていい、とも言います。 たまにヱビスなんかの高級ビールを買って帰るけれど、一口飲んで、もうええは、あとはオマエが飲めや、みたいなことを言います。親父が発泡酒好きなのは、もはや安いからではないようです。 漫画の「美味しんぼ」なんかでは、そんな状況を堕落っぽく描きますが、確かに、ビールというお酒の質を追究しつづける人にとっては、いかにも嘆かわしい状況ではあるんでしょうね。とは言え、親父のような人が、発泡

    発泡酒のジレンマと呪縛 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/01/25
    これって広告に限ったことではなく、とりわけ政治がまさにこうして、民主主義から国民における政治の価値を損ねていったのではないかと思う。
  • 久しぶりに思い出した戦略十訓。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    戦略十訓。これ、ひと昔前に使われていた広告会社の訓示集。当然、会社の内部で使われていたもので、外向けの言葉ではありません。今は使われていません。この訓示は、当時は広告業界ではすごく有名でしたし、マーケティングの講座なんかでも紹介されることも多かったようです。 1. もっと使わせろ 2. 捨てさせろ 3. 無駄使いさせろ 4. 季節を忘れさせろ 5. 贈り物をさせろ 6. 組み合わせで買わせろ 7. きっかけを投じろ 8. 流行遅れにさせろ 9. 気安く買わせろ 10. 混乱をつくり出せ 当時は、広告に携わるものが常に持っていなければいけない戦略性として、肯定的に捉えられていました。もちろん、この戦略十訓は消費者に見透かされるようじゃ駄目だろうけど、ある種の職能の音としては、身も蓋もないなあとは思いますが、なるほどなあという見事な出来で、まあ、巷にあふれるライフハックなんかもこんな感じだし

    久しぶりに思い出した戦略十訓。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/01/25
    「エコ替え」キャンペーンを企画した電通の方のお話を伺う機会があった。あれもネットでは評判が悪いようで、トヨタからも意見はあったようだが、ある意味でこの十訓に沿ったもので、そして効果はあったと思われる。
  • 広告は作品か - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    面白い論議には乗っておくが吉なので、私も考えてみます。というか、このテーマ、このブログでも何度も何度も書いてきているので、あらためて考える、かな。(興味のある方は、下ほうにある@niftyブログ内検索で「広告 作品」で検索するとある程度追えるかもです。) 広告批評の欺瞞: おまえはその広告を褒めているが、その広告を見て商品を自腹で買ったのか? - analog 広告=作品論の是非 – smashmedia まず、ブログ「analog」のhidetoxさんの論点。これに尽きるでしょうね。 広告評論の欺瞞、それを私は次のように告発する:おまえはその広告を褒めているが、その広告を見て商品を自腹で買ったのか? まあ、確かにね。「買わないし、買いたくないけど、評価する」とかね、そういうのは多いですよ、実際。なぜそうなるか、というと、まあ、あれです。身も蓋もない話をすると、広告制作者って多い訳ですよ。

    広告は作品か - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ETV特集「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」見たよ。親父と一緒に。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    昨日まで大阪でした。で、NHK教育で放送されたETV特集「吉隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」は、親父と一緒に見ることになってしまいました。 「そう言えば、吉隆明って知ってる?」 「知らん。」 「吉さんっていうのは、戦後最大の思想家と言われる……」 「知らんもんは知らん。」 「娘さんは、吉ばななっていう……」 「ああ、それは知ってる。で、偉い人なんか?」 「まあ、偉いっちゃあ、偉いけど……」 てな感じのことを喋くりながら見ていたわけなんですが、想像以上にお元気そうでしたね。やっぱり、書き言葉や音声だけでなく、実際に話しているところを映像で見ると違いますね。戦中、吉さんは、自分の遺言として詩を勉強してきて、敗戦によって、そのバックボーンをすべて失ったとき、詩などの言語芸術と世界認識をつなげることができたらとの思いで、世界認識の方法としての古典経済学を勉強しはじめた、というくだりなん

    ETV特集「吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~」見たよ。親父と一緒に。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/01/05
     「この人は、何を言うてるんや。さっきから、言うてることがまったくわからん。」  「客もわかったような顔して聞いてるけど、ほんまはわかってないんちゃうか。」 /思想家は誰のために言葉をつむぐのか。
  • もの足りないけど、こと足りる。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    テレビ番組のインタビューで、いきものがかりの男性のどちらかの人がふともらした言葉なんですけど、なんとなく気になる言葉だったのでメモ。とある郊外のショッピングセンターで「よくここに来ていたんですよ。ここ以外、行くとこないですしね。ものたりないけど、こと足りる、って場所なんですけどね(笑)」みたいな感じだったと思います。 いま帰省中なんですが、その場所は大阪市の東のはずれで、子供の頃は市場や商店がぽつぽつとある下町でした。それは「もの足りないし、こと足りない。」という感じでした。それでも日々の生活では、市場や商店で「こと足らして」いたし、日々の生活では「もの足りない」という感情は案外生まれにくいので、それなりにのんびり暮らしてました。 また、「もの足らない」ことや、市場や商店では「こと足りない」ものは、繁華街にあるデパートで手に入れたりしていました。それは休日のちょっとしたお出かけだったし、そ

    もの足りないけど、こと足りる。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2009/01/02
    「事足りない」と思えば、事足りると思わせるところに需要を喚起できると言うことか。逆に言えば、自動車も海外旅行もテレビも、全部「事足りる」感を満たしてしまったということなのだろうか。
  • わかりやすいジャズ&フュージョンの名曲をご紹介します。苦手な人も、だまされたと思って、ぜひ一度聴いてみてくださいな。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    わかりやすいジャズ&フュージョンの名曲をご紹介します。苦手な人も、だまされたと思って、ぜひ一度聴いてみてくださいな。 わかりにくいものも好きなんだけど、わかりやすさは大切だし、わかりやすいものをつくるのは案外難しかったりします。広告でも音楽でもなんでもそうだと思いますが、ある種の難解さとは、素人臭さや青臭さに通じる部分もあるし、私は学生時代にジャズをやっていて、自分で言うのもあれですけど下手っぴで才能がなかったから、けっこう難解に逃げたところがありました。 モード的解釈とかいって、12小節ブルースに妙なテンションノートを入れまくって、リズムも変拍子的要素をふんだんに盛り込んで、なにやら賢そうな音作りをしたり。まあ、今から思うと若気の至りだったりもして、かわいらしいよな、なんて思うんですが、ほんとはわかりやすいことから逃げると、そのジャンルが細って来て、あとはレトロしか逃げ場がなくなるような

    わかりやすいジャズ&フュージョンの名曲をご紹介します。苦手な人も、だまされたと思って、ぜひ一度聴いてみてくださいな。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/12/21
    わかりやすくて凄いジャズ
  • 想像力資本主義 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    昔、SANYO(三陽商会)の広告で「想像力資主義」というコピーがありました。最近、なぜかそのコピーのことばかり考えてしまいます。たぶん、ウェブの分野で言えば、それはほんのわずかな世界だとは思うけど、なかばそういう想像力資主義的な世界が実現されつつあって、それはきっと来の資主義の概念(おおまかに言えば、資家が生産施設をつくり、つまり、生産能力を独占し、使用人=労働者が労働力を資家に提供する、みたいなシステム)を覆すものなのだろうと思います。 私がブログというメディアがすごいな、と思うのは、まさにそういう想像力資主義的な部分で、ほんの少し前までは、個人が何かしらの情報発信をする時には、まあ書き物に限定して話せば、原稿をつくって、それをもとに写植を打って、版下をつくって、製版して、それを印刷して製して、そのあと何かしらの流通に乗せないといけなかった。それが、いまやパソコン立ち上げ

    想像力資本主義 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 糸井重里さんの重さ

    コピーライターの時代がありました。言葉を武器に、ひたすら言葉が紡ぎ出す世界を付加価値にして、コピーライターという職業は時代の寵児になっていきました。いま思えば、それはバブルだったのかもしれません。その付加価値には、きっと広告が含まれていなかったのだと思います。小説家、詩人、作詞家、そして、コピーライター。言葉のプロフェッショナルを指向してはいても、それは広告のプロフェッショナルを指向してはいませんでした。 けれども、あの時代はそれでよかったのでしょう。それでもものが売れました。あの時代から少したって、つまり、バブルが崩壊する真っ最中に、私はコピーライターになりました。CIプランナーからの転身だったので、時代の寵児としてのコピーライターにはあまり興味はありませんでした。うまいコピーはうまいと思いますが、そこに憧れはなかったような気がします。 そんな中、これはまいったなと唸らせられたのは、糸井

    ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): 糸井重里さんの重さ
  • 定着のイメージを持たないコミュニケーション・デザインの気持ち悪さ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    私なんかは、完全に定着原理主義なんでしょうね。あっ、定着っていうのは、広告を例にすると、プランなりアイデアなりがあって、それが頭の中とか企画書とかにある状態だと、その時点では広告にはなっていないですよね。そのプランなりアイデアなりを、具体的な言葉や絵にして、テレビなり新聞なりに定着して、はじめて広告になりますよね。その具体的な表現のことを定着って言います。 私の定着のベースは、言葉だったりしますが、言葉じゃなくても、絵でも映像でも、まあそれなりに定着のイメージは持てていたりします。クリエイティブという職種は、そういう職業ですから。実際は、そのイメージを伝えながら、アートディレクター、映像ディレクター、プロデューサー、デザイナー、フォトグラファーとともに制作をしていきますが、その過程においては、やはり根拠は、自分の中の定着イメージです。 そういう意味では、私がやる限り、その広告の質は、私の定

    定着のイメージを持たないコミュニケーション・デザインの気持ち悪さ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/10/15
    人をあてにせずに、自分でやればいいじゃない。それでできなかったら、自分がそんだけのもんだったということですよ。要するに、自我が肥大化してただけ。酔ってる状態ってこと。
  • 「暮らしの手帖」的なものをどう考えればいいのだろう - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ぼんやりとそんなことを考えています。簡単に言えば、広告収益に依存しないコンテンツのあり方について。今で言えば「ほぼ日刊イトイ新聞」がそれにあたるかもしれません。公共放送だからこの範疇には入らないけれど、ある種、NHKのコンテンツが持つ質みたいなものは、広告収益に依存しないからこそできることなのかもしれない、と思ったりします。 知らない方もいるでしょうが、ゴールデンウィークに大阪で開かれる「春一番コンサート」も冠がありません。あのコンサートは、収益的にはきついかと思うんですが、ミュージシャンと聴き手が一緒になって純粋に音楽を楽しむ、あの独特の質は、冠コンサートでは出せないものだろうと思います。 これまで、この手の話は、わりとアンチ資主義的な文脈で語られることが多かったと思いますが、今や、マスメディアからインターネットまで、様々なコンテンツが広告モデル以外の新しいモデルを捜しているし、ある意

    「暮らしの手帖」的なものをどう考えればいいのだろう - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/10/06
    文藝春秋の広告見出し、高校生のころからいい工夫だなと気に入っていた。それをウェブ2.0に結び付けられるのはさすが業界人。
  • 「大人の事情」の取り扱い方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告なんて泥臭いものを仕事にしていると、ことあるごとにいわゆる「大人の事情」ってやつに翻弄されてしまいます。広告が泥臭いビジネスだと言っても、やっぱり表現には変わりがないので、制作サイドとしては「幸せとは何か」みたいなことを、けっこう真面目に追求したりしていて、そんなピュアピュアモード全開のときに、先方の部長さんがこう言っている、だとか、ああいうのは社長が嫌いだとか、そんな話が入ってきたりするんですよね。 そんなものはクリエイティブには関係がない、一切考慮しない、と言い切れれば美しいのですが、まあ、こちらも大人ですから、うまく切り抜けなければなりません。理想を貫くことで、その表現が世の中に出ないよりも、いろいろ苦戦しながら、たとえそれが妥協であったとしても世の中に出た方がいいと、私は信じています。限度問題ではありますが、100のものが80くらいになるのならば、それは世の中に出した方がいいの

    「大人の事情」の取り扱い方 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
  • 日本の広告コピーが元気だった頃 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    の広告コピーは、わりと独自の発展を遂げて来たような気がしています。日には「コピー十日会」というちいさなコピーライターの集まりを母体とする、「東京コピーライターズクラブ(TCC)」というものがあります。そのTCCの前には、すでに、「大阪コピーライターズクラブ(OCC)」が大阪で発足していて、コピーライターという職能が独立して何かを考えていく機運が日にはありました。 一方で、欧米ではそのようなコピーライターの組織はほとんどなく、広告をつくる職能のひとつとしてのコピーライターという位置づけであるようです。広告をつくる最小単位として、アートディレクター+コピーライターというものがあり、その言葉方面の担当がコピーライターということですね。やがて、広告制作のシステムが組織化され、その双方の職能は、広告会社の組織論として、クリエイティブ・ディレクターを目指す初期的な職能として位置づけられました。

    日本の広告コピーが元気だった頃 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    BigHopeClasic
    BigHopeClasic 2008/08/31
    80年代アイドルのデビュー時キャッチコピーが面白い、なぜか混ざっている小池栄子も含めて。今は見なくなったね。
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