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考察とmusicとトラブルに関するCujoのブックマーク (2)

  • JASRAC対ファンキー末吉氏の地裁判決文が公開されました(栗原潔) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    元爆風スランプのドラマーであるファンキー末吉氏が経営するライブハウスの音楽著作権利用料の支払いにつきJASRACが裁判で争っていたのは周知だと思います。先日、その第一審の判決文が裁判所のサイトで公開されました。 結論としては、特定楽曲(どの曲かは不明)の利用の差止めと利用料相当額(300万円弱)の支払いについて、JASRACの請求が一部認められています。 判決文はやや長いですが、現在の音楽著作権管理における問題点がいろいろと議論されていますので、ご興味ある方は是非読んでみて下さい。争点と裁判所の判断は大きく以下のとおりです。 1.演奏主体の問題被告側は末吉氏のライブハウスは場を提供しているだけなので、演奏の主体ではないと主張していますが、(たまに音楽イベントを行なうレストランではなく)ライブハウスとして定常的に営業している以上、いわゆるカラオケ法理の適用により演奏の主体とされる(=著作権利

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  • より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~

    被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のNHKスペ

    より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~
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