あの震災から八年が過ぎた福島県浜通りに家族4人で行って参りました。浜通りには東日本大震災が起きて間もない頃に訪れており、いわき市に住む知人の案内を受け大震災の惨状の一部を目にしました。津波の襲来で大破した家々の残骸、断水により消火活動ができなかった為に50軒の家々が燃えた久之浜地区の焦げた臭い。その爪痕を見ただけでも襲ってきた津波の激しさ、その恐ろしさを実感させられました。 繰り返しの警告音と共に「緊急地震速報です。強い揺れに注意してください」という音に驚き、遊ぶのを急に止めて親に抱き着いてきた息子は当時一歳。娘はまだこの世に生まれていませんでした。福島原子力発電所が制御不能な状態となり、放射能を恐れて妻と息子を関西の親族の処へ避難させるかと真剣に悩んだ事もありました。枝野官房長官の「ただちに問題はない、ただちに影響はない」という苦し紛れの説明は聞く気にならず、息子の飲水は輸入品のミネラル