リオ五輪閉会式で披露され、国内外で大きな話題を呼んだ8分間の“引き継ぎ式”でのパフォーマンス。その立役者となった4人のクリエイターたちが初めて赤裸々に語る。大会エンブレムや新国立競技場のゴタゴタ…と逆風続きの中、彼らはいかに「TOKYO」の夢や希望を伝えようとしたのか。 本番直前まで調整が続いた舞台裏のドラマ、賛否両論巻き起こした安倍首相登場、同じメンバーで仕掛けるパラリンピックの引き継ぎ式についてもオドロキの秘話満載!
ストリップ劇場へと続く入口の逆側。 騒然と置かれた自転車の奥、光も当たらないそこに、真っ黒な扉があった。 『ポスター室』 小さく控え目に、ドアの左上にそう掲げてある。一体、このストリップ劇場を訪れる人達の中でどれくらいの人がこの部屋の存在に気付くのだろうか。 「さ、どうぞどうぞ。ちょっと汚いですけど…」 老いた男性がおもむろにそのドアノブを回す。たてつけが悪いのか、ドアはガガッと引っかかりながら空いた。 導かれるまま、私はその暗い部屋に足を踏み入れた。 ~~~~~~~~~~~~ 京都駅から一駅離れると、風情ある木造建築が並ぶ一角にたどり着く。 古都京都の文化財として、世界遺産にも登録された東寺。その境内を取り囲むように古い
小林幸子さんが、インターネットとともに紅白に戻ってきた。 昨年の第66回NHK紅白歌合戦、ニコニコで“ラスボス”と慕われる小林幸子さんの紅白特別企画出演。黒うさPのボカロ曲「千本桜」を歌いはじめてしばらくすると、巨大なステージ衣装にニコニコのコメントが流れはじめた。 ツイッターのタイムラインにも、「弾幕」「コメント」といった字面が躍った。歌が終わりに近づいたとき、テレビ画面全体がコメントで覆われると「おおおおおおおお」「すげえ」「まじかよ」とツイッターは一層の盛りあがりを見せた。 じつに4年ぶりの紅白出場だ。ネットにも活躍の場を広げ、若者たちとともに歩んできた小林幸子さんにとって、その結実ともいえる舞台となった。 失敗の許されない生放送、ラスボスを支えたのはドワンゴの技術部隊だ。 ニコニコ生放送のコメントをリアルタイムで紅白歌合戦に流す。一世一代のプロジェクトに挑んだマルチデバイス開発部
サービス終了のお知らせ SankeiBizは、2022年12月26日をもちましてサービスを終了させていただきました。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。 産経デジタルがお送りする経済ニュースは「iza! 経済ニュース」でお楽しみください。 このページは5秒後に「iza!経済ニュース」(https://www.iza.ne.jp/economy/)に転送されます。 ページが切り替わらない場合は以下のボタンから「iza! 経済ニュース」へ移動をお願いします。 iza! 経済ニュースへ
TwitterなどのSNS上で議論や論争をしたりする性分ではないので、あくまで「ニュース」としてこうした形でまとめさせてもらうことにした。 昨日今日とネット上でちょっとした話題になっているワードに『エアガイツ』がある。 『エアガイツ』については過去に記事にさせていただいているのでこちらを参照していただきたい。1998年にリリースされた3D対戦格闘ゲームだが、プレイヤーたちの熱意によって今年の1月には「エアガイツ世界大戦」と称して大久保の「NAKEDLOFT」で大規模な大会が開催されたりもした(僕も協力させていただいた)。 それがいま再び騒動になっている。きっかけは12月6日、今週日曜日のことだ。 発端は「高田馬場ゲーセン ミカド」で行われていた恒例大会「スーパーストリートファイターカーニバル」。この大会は二ヶ月間に渡ってほぼ毎日あらゆるゲームで対戦し、そのポイントを競い合うものだ。その最終
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“伝説の大女優”原節子さん(享年95)が、9月5日に肺炎で亡くなっていたことが明らかになった。42歳の若さで突然、映画界を引退した原さん。その生涯には、最後まで“謎”という言葉がついてまわった。 引退後の原さんと親しく付き合った数少ない1人が女優の司葉子(81)だ。60年に小津安二郎監督の『秋日和』で共演。以来、ときには2時間以上の長電話も楽しむ“親友”だった。最後に電話で話したのは、原さんが入院する直前。今年の夏前だったという。 「1日の大半は読書三昧だったそうです。よく『気付いたら一日、本を読んで終わっていたわ』とおっしゃってました。新聞も大好きで、高倉健さんが亡くなったことや、ここ数年騒がれている中東や欧州のテロ事件も、よくご存じでした。『1日も早く平和な世の中になるといいわね』って話されてて……。昔いっしょに仕事をされた方の訃報をお伝えすると、途端に声が曇ってね。『ああ、あの方
「人殺しの息子」。そう呼ばれ、もがきながら生きてきた27歳の男性がいま、全国で講演を続けている。幼かったころの自分を振り返り、加害者家族への差別や、生きづらさを抱えて暮らす子どもたちへの理解を訴える。23、24日には福岡市内で演壇に立つ。 「信頼できる大人、必ずいる」 男性は名古屋市の会社員大山寛人さん。父親は1998~2000年、事故に見せかけて自身の養父を殺害したほか、妻を浴槽で水死させた後に事故を装って岸壁から車を海に沈めた。11年6月、最高裁で死刑が確定した。 自分の母親が父親に殺された事実は、中学2年の時に父の逮捕を伝える報道で初めて知った。発生当時は小学6年。当初は事故だと教えられ、信じていた。 母を失った被害者家族の立場でもあったが、世間はそう見てはくれなかった。勉強もできるまじめな子だったが、「父のことでいじめられる」と不安になり、自分を強く見せようと、盗みやひったくりなど
根拠のない情報が原因で10年以上、インターネット上で「殺人犯」と誹謗(ひぼう)中傷されたお笑い芸人のスマイリーキクチさん(43)が、ネット上の中傷対策をまとめた動画を作製し、動画サイト「ユーチューブ」で無料公開する。警察への被害届の書き方や証拠の集め方など、自身の経験に即した実践的な知識を盛り込んだ。【石戸諭】 キクチさんは1999年ごろからネット上で根拠のないデマを流され、自身のブログなどに「人殺し」「早く自首しろ」などの中傷を書き込まれた。警視庁に被害届を出し、2009年には中傷を続けた複数のネットユーザーが名誉毀損(きそん)容疑などで書類送検された。立件されたユーザーは書き込みの事実を認めたものの、キクチさんに直接謝罪することはなかったという。理由は「他の情報にだまされた。自分だって被害者」だった…
1980年代前半、自らの名前を冠した3本のバラエティー番組がすべて視聴率30%を超えたことから「視聴率100%男」と呼ばれた萩本欽一(74)。「視聴率」から「テレビのカタチ」まで幅広く「思い」を聞いた。 ――「視聴率」とはビデオリサーチ社が調べた放送中に番組をみた世帯の割合を示します。萩本さんにとって、視聴率とはどういうものですか。 数字は「責任」ですね。「コント55号」をやっている時は、関係ないものだと気にしなかった。数字を知ってからは、数字を言わないでくれと頼んでいました。20(パーセント)いったり、30になったりしたら教えてくれと言っていました。「前よりいいです」「周りよりいい」「だんだんいい」と、直接は話題に触れさせないようにね。数字と戦っているのは哀れな気がしてね。人気取りにはなりたくなかったし。 数字はタレントがどんなに頑張っても20しか行かないんですね。その先はスタッフの頑張
1973年度の名人戦の挑戦者になった。名人戦は1937年に創設されている。以後、棋士の生活が安定し将棋界は発展を遂げてきた。 共同通信社も早くから「日本一杯争奪戦」 「最強者戦」などを主催し、棋界の発展に貢献してきた。1975年にはタイトル戦の「棋王戦」を創設して、今期で40期を迎えている。 1973年度の名人戦七番勝負は、同年4月から開始された。中原誠名人に私が挑戦した。中原名人は前年、不敗を誇った大山名人に大接戦の末に勝って名人となった。中原さんが名人となった翌日、主催者の朝日新聞社の業務局に中原名人が挨拶に訪れたが、先導したのが私であった。私は名人戦の速報解説を社のそばの大盤解説場で担当した。その故であった。この日、私は翌年の名人戦に出るとは全く思ってもみなかった。1973年4月に始まった名人戦は私の4連敗で終わった。当時、対中原戦は1勝19敗であったので、ある意味4連敗は…[続きを
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