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はてなと*ビジネスに関するWindblume2007のブックマーク (6)

  • 起業について教えてください。起業は次のようなプロセスで行われると言われています。…

    起業について教えてください。起業は次のようなプロセスで行われると言われています。 1) 起業したいと思う。(そもそも、会社を起こしてやってゆけるという自信を持つことが大切。大きな会社に勤めている人は、大きい会社を辞めると収入がダウンすることが予測されるため、なかなか踏ん切りがつかない。) 2) 起業できるビジネスを思いつく。 3) 時期を得て起業を決意し、自己資金で会社を作る。 4)信頼できるパートナー、資金的な援助などを集める。顧客を紹介してもらう。 起業を考え、なおかつ挫折するのはプロセスのどの部分でしょうか。また、政府や地方自治体の援助の他にどんなサービスがあるとあなたが起業したくなると思いますか? 今、派遣切りなどが問題になっていますが、このうちの一部が会社を起こしたりすると考えるのは現実的でしょうか。

  • 米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (1/2) - ITmedia News

    「最低2~3年はいる」。そう言って日を出、米国シリコンバレーに飛び込んだはてなの近藤淳也社長が、1年半で日に帰ってきた。この4月、はてな社を東京から、創業の地・京都に移す。 米国でやり残したことは、たくさんある。それでも日に戻ると決めた。日の京都から、世界に通用するネットサービスを作りたい。任天堂が京都から世界に、「Wii」を送り出したように。 米国では「これから」だったが…… 2006年7月、米国シリコンバレーに設立した子会社Hatena.Inc。オフィスを構え、近藤社長はの令子さん、開発スタッフと3人で、現地に移り住んだ。 第一線のWebエンジニアが賞賛しあい高めあう、シリコンバレーが好きだった。渡米した直後に参加した、Webアプリのイベント「Future of Web Application」。「digg」や「WordPress」開発者がヒーロー扱いされるのを目の当たり

    米国から京都へ はてな近藤社長の真意は (1/2) - ITmedia News
  • 近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系”

    「このサイト、知ってますか」――はてなの近藤淳也社長は、街を歩く人に声をかけ、同社のサイトを見せながらこんなふうに聞いて回った。そして愕然(がくぜん)としたという。 「誰もはてなを知らないんですよ。かろうじて人力検索を知っている人がいるくらい。街でたまたまはてなユーザーに会う、なんてことはあり得ない」 はてなの登録ユーザー数は約90万人、月間ページビューは7000万強。ユーザー数は、はてなより後にサービスインした「mixi」や「ニコニコ動画」の10分の1以下だ。 Web2.0ブームのころ。近藤社長は「ナナロク世代」の代表格とされ、はてなは「日Google」ともてはやされた。だが規模と知名度はGoogleに遠く及ばず、ユーザー数で後発に抜き去られた。 目標は変わらない。「世界に通じるサービスを作りたい」。だがそのためのルート選びで、少し回り道――技術者ルート――を採ってしまったと感じてい

    近藤社長「未熟だったと思う」 はてなが目指す“脱IT系”
  • 人のネットワークが会社の成長を加速させる 〜うごメモはてな 岩田さんと梅田さん〜 - キャズムを超えろ!

    はてなと任天堂の提携だがid:umedamochio、GJ! と言わざるを得ない。ひょんな人の縁から大きなビジネスに発展することは当に多いなと感じる。 岩田 わたしは、はてなさんの社外取締役でもある梅田望夫(※4)さんに 3度くらいお目にかかったことがあって。 しかも、開発拠点が京都に移ってきたことだし、 ご縁があったらおもしろいことができそうだって思ってたんです。 岩田社長を交えた座談会記事より抜粋 「人脈やツテなんてものに頼るのは邪道。すばらしいものを作れば誰かがいつか認めてくれる」は確かにそのとおりだが、5年かかるかもしれないし10年かかるかもしれない。今からはじめてよしんば3年(2011年)で認められたとしても、そのときには既に他のプレイヤーが認められ、提携や増資によって多額の資金を手にいれ、2010年頃にすでにあなたの会社やプロジェクトが最終的に目指していたすばらしいプロダクツ

    人のネットワークが会社の成長を加速させる 〜うごメモはてな 岩田さんと梅田さん〜 - キャズムを超えろ!
  • 「非常に似た雰囲気の会社だ」--任天堂がはてなを選んだ理由

    ネットとゲーム。異なる世界で活躍する京都の会社、はてなと任天堂が手を組み、ニンテンドーDSi向けWiiウェア「うごくメモ帳」関連のサービスを共同で作り上げた。 今回発表されたサービスは、ニンテンドーDSiから利用する「うごメモシアター」と、PCと携帯電話のブラウザから利用する「うごメモはてな」。どちらもうごくメモ帳でユーザーが作った作品を閲覧するために利用する。 どのような経緯で両社の協業が始まったのか、また任天堂がはてなを選んだ理由とはなんだったのだろうか。はてな代表取締役の近藤淳也氏と任天堂 情報開発部 東京制作部の小泉歓晃氏が語った。 ――今回のお話は任天堂からはてなに声をかけたのでしょうか。 近藤:実はお付き合い、接触は以前からありましたが、今回の件に関して両社での協力を持ちかけていただいたのは任天堂さんの方からとなります。 ――提携関係について詳しく教えてください。 近藤:今回

    「非常に似た雰囲気の会社だ」--任天堂がはてなを選んだ理由
  • はてな流の「モノ作り」とは? 近藤社長語る

    「国内で1000万人のユーザーが使ってくれるサービスを京都から発信したい」 Hatena.inc設立のために渡米していた(株)はてな社長、近藤淳也氏が帰国してから即、着手したのは、はてな社を東京から京都に移転する大胆な計画だった。 東京には営業、インフラ、サポート、事務部門のスタッフ約10名を残し、サービスの要となる開発陣はすべて京都へ配置。京都への移転は、これまで以上にユーザーの生活にそったサービスを提供する決意を固めた意味合いが大きい。 「1000万人規模のサービス提供」へ、格始動 2006年8月、近藤淳也氏はHatena.inc設立のために渡米した。現地のエンジニアを雇ってウェブサービスを開発し、米国市場にはてなのサービスを普及させるためだ。 米国での活動により、各方面の人脈を着々と築いてきた。例えば2007年3月には、グーグルのシニアビジネスプロダクトマネージャーで、日法人の

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