「オルタ」という雑誌で東浩紀の「民主主義2.0」について書いたことがある(2009年11-12月号「メディアから時代を読む #9」)。 そのときまだ茫洋としていた問題について、ぼくは批判や疑問を書き連ねたが、定義づけや具体案をふくめ、これらのぼやけていたものは東の近著『一般意志2.0』で一定の輪郭を与えられることになった。 先にぼく流にざっくりと中身をまとめてみよう。 ルソーの「一般意志」は、あるアルゴリズムにしたがって生まれてくるグーグルのページランクみたいなもので、人々の無意識のデータベース*1から抽出されてくる数学的な結論のようなものである。*2 しかしそのような一般意志は大衆の欲望の集積であり(グーグル型民主主義)、それで政治を運営するのは危険。専門家や政治家たちの熟議(ミクシィ型民主主義)と相補的に用いるべき。民主主義2.0(=ツイッター型民主主義=グーグル型民主主義+ミクシィ型
2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/06/18(金) 00:19:38.48 ID:5qMzhRoC0 やっぱシングルコイルの音たまらんわ(笑) 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/06/18(金) 00:22:09.87 ID:5qMzhRoC0 ここのブレイクの緊張感ぱねえ(笑) 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/06/18(金) 00:24:25.56 ID:5qMzhRoC0 たまにはこういう音もいいね(笑) 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/06/18(金) 00:26:23.85 ID:sOPjXPkUO このグルーヴ感はなかなか出せないよ(笑) 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/06/18(金) 00:26:27
命名した。 inumash そういうの全部分かってて煽ってるんだけど、ベタに批判されちまったなぁ。(後略) http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080430/p1 #miyadai 無知だとさw全部分かって言ってるんだよ。あんたの立場からそう見える、こっちの立場からそう見えるってだけ。(後略) http://twitter.com/miyadai/status/11168608702 ザイールなんて国がないのは知っている。政治に興味のない情弱どもの目を少しでも引いて、潜在的な問題に気づいてもらえればそれでいい(後略) http://twitter.com/kituneponyo/statuses/11744127608 これはきっと、批判を無化して高みに居続けたいという心理が生み出す妖怪なのだろうなあ。 も
「当たり前を疑う」ことが社会学の目的であるように語る人たちがいる。私自身は、これってなんだか(悪い意味で)ものすごく構築主義的な発想だなあ、という感想を持ってしまう。それに疎外論とか物象化論の匂いもして、かなり警戒してしまう。科学的営みが「トリビアの泉」以上のものであるのなら、「当たり前を疑う」ことは全く必要ないか、あるいは必要でも単なる出発点であるべきであって、決して到達点ではない。せいぜい(研究方針ではなくて)研究対象にはなるのかもしれないが、そんなこと題材にすることに大きな意味はあるのかな? こういう議論は構築主義的発想との争いの蓄積から言ってエスノメソドロジストに任せておくというのがいいのかもしれないが、ちょっと別の視角からコメントすることもできそうだ。 たとえば「当たり前を疑う」ことにはコストがかかるのだが、そういったコストに見合った見返りがあるのかどうか。そういったコストがある
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