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sociologyといつか使うに関するcontractioのブックマーク (2)

  • できんねん*1 - Words and Phrases

    ・・・き、近年、「近年、」で始まる卒業研究が増えている・・・!(ややこしい) ついでなので「現在」、「今日(こんにち)」など同じような使われ方をする語の数も数えてみましたが・・・(ちなみにその他の内訳は「最近」、「昨今」、「ここ数年」など)。 類似の語まで含めると、平成20年度には実に卒研全体の1/4が「近年」あるいは類似の語で始まっていると言うことに。 まさにテンプレート。 近年、「近年、」ではじまる卒業研究が増えている うちのゼミでは、近年、「近年」禁止です。まず第一に、どのぐらい前からのことかわからないので。って、「お前も『近年』って書いてるじゃないか!」とか言われそうなので、特定しておきましょう。明確に方針を打ち出したのは、4年前です。このへんを参照。 卒論の中間発表とかでも、レジュメに「近年、」て書いてあると、たいてい「……い・つ・か・ら?(冷」とかイヤミっぽく言われて、その段階

    できんねん*1 - Words and Phrases
    contractio
    contractio 2009/02/14
    社会学の常套話法ですな。「状況が現在変化しつつある。」/数年のあいだ全面禁止にしたら研究がぐっと進むような気がするのは私だけでしょうか。
  • 「当たり前を疑う」ことの社会学 - 社会学者の研究メモ

    「当たり前を疑う」ことが社会学の目的であるように語る人たちがいる。私自身は、これってなんだか(悪い意味で)ものすごく構築主義的な発想だなあ、という感想を持ってしまう。それに疎外論とか物象化論の匂いもして、かなり警戒してしまう。科学的営みが「トリビアの泉」以上のものであるのなら、「当たり前を疑う」ことは全く必要ないか、あるいは必要でも単なる出発点であるべきであって、決して到達点ではない。せいぜい(研究方針ではなくて)研究対象にはなるのかもしれないが、そんなこと題材にすることに大きな意味はあるのかな? こういう議論は構築主義的発想との争いの蓄積から言ってエスノメソドロジストに任せておくというのがいいのかもしれないが、ちょっと別の視角からコメントすることもできそうだ。 たとえば「当たり前を疑う」ことにはコストがかかるのだが、そういったコストに見合った見返りがあるのかどうか。そういったコストがある

    「当たり前を疑う」ことの社会学 - 社会学者の研究メモ
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