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歴史に関するcosmosquare77のブックマーク (71)

  • 映画『オッペンハイマー』の登場人物・歴史背景ガイド|芦田央(DJ GANDHI)

    「原爆の父」であるロバート・オッペンハイマーを描いたクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』が公開。 時間のギミックや物理現象などを作品に取り入れ「難解」と言われることも多いノーラン映画だが、『オッペンハイマー』も主人公が物理学者であることに加え、物語が複数の時間軸で進むなど、例に漏れずかんたんとは言えない。 (C)Universal Pictures. All Rights Reserved.しかし今作の難易度を上げているのは、時間や物理の要素ではなく登場人物の多さや背景の複雑さであると思う。とにかく多くそして説明もないので、事前に何も知らないと会話の内容から推測していくしかない。 そこで『オッペンハイマー』をこれから観ようとしている方、また一度は鑑賞したものの知識を入れてからもう一度観ようと思っている方のために、登場人物やその歴史的背景についてかんたん解説したい。顔と名前が分

    映画『オッペンハイマー』の登場人物・歴史背景ガイド|芦田央(DJ GANDHI)
  • 『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて|Pençdiraht

    2024年3月18日、ロシアによるクリミア半島の「併合」から10年が過ぎました。この10年間にクリミア半島とその周辺で起こってきたことを考えると暗澹たる気持ちしか浮かびません。国際社会の平和と安定、地域住民の幸福に少しでもつながる未来があることを祈るのみです。 10年前、クリミア情勢をめぐってクリミア・ハン国とクリミア・タタールという存在が日語の言説空間で認知される中で、かつて無謀にもクリミア・ハン国史を専攻しようとした大学院生であった私は、日語でクリミア・ハン国について書かれた資料がほとんどなく、イメージのみで語られていることに失望を感じていました。幸いにもTwitterなどでクリミア・ハン国史の話題を振ると、その実像についてそこそこ関心を持ってくれる人がいるようでした。そこで突如思い立ち、1か月ほどの短期間で一気に書き上げた原稿が『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』と題した小史で

    『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて|Pençdiraht
  • 4000年の古代文明史を一望! 一人の歴史家による新視点の全8巻、「地中海世界の歴史」刊行開始。(学術文庫&選書メチエ編集部)

    この春、歴史ファン注目の新シリーズの刊行が始まる。メソポタミア・エジプトから、ペルシア、ギリシアを経てローマ帝国まで、4000年の文明の歴史を、一人の歴史家の視点で描きつくす「地中海世界の歴史〈全8巻〉」だ。著者は東京大学名誉教授の村凌二氏。講談社選書メチエの創刊30周年を記念する特別企画で、テーマ、規模ともかつてない試みとなる。いったいどんなシリーズなのか――。 〈四大文明〉はもう古い 古代文明といえば、まずメソポタミア文明とエジプト文明。そしてヨーロッパの源流とされるギリシア、ローマ…。しかしそれらさまざまな文明が、いったいどうつながっているのか、説明できるだろうか。 高校時代の世界史で、メソポタミアとエジプトにインダス文明、黄河文明を加えた「四大文明」のあと、おもむろにギリシア・ローマ文化のやけに詳しい授業になり、面らった人もいるだろう。 ――あんなに栄えたメソポタミア文明は、ど

    4000年の古代文明史を一望! 一人の歴史家による新視点の全8巻、「地中海世界の歴史」刊行開始。(学術文庫&選書メチエ編集部)
  • 消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った - Yahoo!ニュース

    21階建ての複合ビル「中野セントラルパークサウス」は、東京のJR中野駅を見下ろすように立っている。北隣の親水公園では家族連れが遊び、西側には私立大学のビル型キャンパスが並ぶ。タワーマンションや中野区役所庁舎の移転なども計画され、駅北口周辺は、変化が著しい。昔ながらの街並みの雰囲気が薄れゆくなか、戦時中、その一角に存在した「陸軍中野学校」の記憶もまた、消えかかっている。日軍制史上唯一とされる秘密戦要員の養成機関。そこに所属し、戦後を生き抜いた96歳の思いとは――。(神戸新聞社/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    消えゆく「陸軍中野学校」の跡と記憶 「結局は駒」と卒業生は語った - Yahoo!ニュース
    cosmosquare77
    cosmosquare77 2019/07/08
    "死ぬな、生き延びろという独特の教育方針が、合理的に思えたこともありました"“任地や命令によって生死が分かれたわけで、結局は正規軍の兵士と同じ。一つの駒でしかなかったんです。”とても貴重な記事。
  • イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見

    2019年6月27日発表のテュービンゲン大学プレスリリースによると、2018年秋、イラク北東部クルディスタン地域にある、ティグリス川東岸のモスル・ダム(1980年建設)の貯水池の水が引いたところ、青銅器時代の宮殿が発見された。考古学的に非常に重要な発見として海外でもCNN、BBC他各ニュースで報じられている。 動画:テュービンゲン大学/ Eサイエンスセンター制作 クルド人実業家の資金援助を受けてドイツ・テュービンゲン大学とクルディスタン考古学機構(Kurdistan Archaeology Organization (KAO))の合同チームが調査を行い、同宮殿(ケムネ宮殿”Kemune Palace”)が紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していたミタンニ(ミッタニ)帝国の時代にさかのぼることができることが判明した。 クルド人考古学者ハサン・アフメド・カ

    イラク北部でダムの水が引き約3400年前のミタンニ帝国の宮殿遺跡が発見
  • 福知山市オフィシャルホームページ

    cosmosquare77
    cosmosquare77 2019/02/15
    福知山市における明智光秀に関する意識調査。「好きな戦国武将」についてはなぜか8位までしか公開されてないが、東京・大阪ともに上杉謙信が入ってなかったのがちょっと驚きである。
  • #夏休みに勧める東洋学の名著

    さとうしん @satoshin257 先日目録学とか文献学の話題が出たので、余嘉錫『古書通例』『目録学発微』でどや?両方とも平凡社東洋文庫で訳が出てます。 #夏休みに勧める東洋学の名著 2018-08-08 12:59:07

    #夏休みに勧める東洋学の名著
  • デュノワ伯ジャン~ジャンヌ・ダルクの戦友から百年戦争の名将へ

    デュノワ伯ジャンあるいはオルレアン私生児ジャン(ジャン・ル・バタール・ドルレアン)は百年戦争後期のフランス王シャルル7世の股肱の臣であり、ジャンヌ・ダルクが活躍したオルレアンの戦いでのオルレアン防衛の総司令官として知られ、後にノルマンディ地方の奪還やアキテーヌ地方の首府ボルドー攻略など百年戦争におけるフランス勝利の立役者となった。オルレアン=ロングヴィル家開祖。1403年頃生~1468年11月24日没。 1403年、フランス王シャルル6世の弟オルレアン公ルイと愛妾マリエット・ダンギャンの間に庶子として生まれる。十歳になるまで同年生まれの王子シャルル(のちのシャルル7世)とともに養育された。(レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン著,1992年,324頁)庶子ゆえオルレアン庶子ジャン(ジャン・ル・バタール・ドルレアン)、愛称としてバタールと呼ばれる。 1407年11月23日、父オルレ

    デュノワ伯ジャン~ジャンヌ・ダルクの戦友から百年戦争の名将へ
  • エジプト:大王の石棺? 中から3体のミイラ 兵士か | 毎日新聞

    【カイロ篠田航一】エジプト北部アレクサンドリアで今月、アパート建設現場から巨大な石棺が見つかり、古代マケドニアのアレクサンドロス大王の遺体が納められている可能性が指摘された。地元メディアによると、同国考古省が調査した結果、中に入っていたのは約2000年前の3体のミイラで、家族らしいことが判明した。ロイター通信は「希望は打ち砕かれた」と報じた。矢が刺さったとみられる跡が骨に残っており、兵士との見方…

    エジプト:大王の石棺? 中から3体のミイラ 兵士か | 毎日新聞
  • 新国立公文書館、憲法や日本書紀の原本展示へ:朝日新聞デジタル

    政府は29日、新たに建設する国立公文書館の基計画を公表した。日国憲法や日書紀といった歴史文書の原を展示するスペースを設けるなど、「公文書の重要性を象徴する空間づくり」を意識するという。 新しい国立公文書館は、国会近くの憲政記念館を建て替えて整備する。東京・北の丸公園にある現在の公文書館がほぼ満杯のため、新館の建設により書庫の総面積は約2倍となる。公文書管理に関する研修のほか、文書保存や修復作業を体験できる学習プログラムの提供も検討する。2026年度の開館を目指す。 基計画は内閣府がこの日、有識者会議に報告し、了承された。座長の老川祥一・読売新聞グループ社取締役最高顧問は、財務省による公文書改ざん問題について「施設の建設の前提となる公文書の適正管理が損なわれることのないよう政府に強く要請する」とのコメントを発表した。

    新国立公文書館、憲法や日本書紀の原本展示へ:朝日新聞デジタル
    cosmosquare77
    cosmosquare77 2018/03/30
    「日本書紀の原本」に漂う聖遺物感。
  • 松前藩最古のアイヌ宛文書発見 ロシアの図書館で - 共同通信 | This Kiji

    江戸時代に松前藩がアイヌ有力者ションコに送った文書(ロシア・サンクトペテルブルクの国立図書館所蔵、東京大学史料編纂所提供・共同) 【モスクワ共同】江戸時代の1778(安永7)年に、当時の松前藩が北海道東部のアイヌ民族の有力者に宛てた文書がロシア・サンクトペテルブルクの国立図書館に保存されているのを東京大史料編纂所などの研究チームが発見した。松前藩がアイヌに送った文書としては最古の原とみられ、松前藩のアイヌ政策を知る上で貴重な史料となる。 文書は松前藩の「蝦夷地奉行」が「ノッカマップ」(現在の根室市)のアイヌ有力者ションコに宛てたもの。内容は(1)けんか・口論の禁止(2)アイヌと和人が交易で使う小屋の火の元の用心―など4項目から成り、これらを守らなかった場合は処罰するとしている。

    松前藩最古のアイヌ宛文書発見 ロシアの図書館で - 共同通信 | This Kiji
  • 中国、遼王朝の墓に金メッキ冠 騎馬民族の側室 - 共同通信 | This Kiji

    騎馬民族王朝「遼」の第6代聖宗の側室の墓から見つかった銀地に金メッキを施した冠。遺体が身に着けていたものとみられる(内蒙古文物考古研究所提供) 中国・内モンゴル自治区で10~12世紀に繁栄した騎馬民族王朝「遼」の第6代聖宗の側室の墓が見つかり、銀地に金メッキを施した冠やガラスのコップなど豪華な副葬品が出土したと、中国側と共同で副葬品を調査した帝塚山大(奈良市)などのチームが19日、発表した。 墓は2015年に見つかり、現地の研究機関が発掘したところ、墓誌銘から993年に24歳で亡くなった側室のものと判明。盗掘されており、遺体は木棺内のブーツに残っていた足の指の骨だけだったが、ガラス器、金メッキの冠などが出土した。 調査成果は25日、奈良県立橿原考古学研究所(橿原市)の学術報告会で発表される。

    中国、遼王朝の墓に金メッキ冠 騎馬民族の側室 - 共同通信 | This Kiji
  • 古代トルコ文字の碑文出土=モンゴル東部の遺跡-阪大など調査:時事ドットコム

    古代トルコ文字の碑文出土=モンゴル東部の遺跡-阪大など調査 モンゴル東部の遺跡から出土した、古代トルコ文字(突厥=とっけつ=文字)が刻まれた大型石碑(モンゴル科学アカデミー歴史・考古学研究所提供) 大阪大の大沢孝教授は8日、モンゴル東部の「ドンゴイン・シレー碑文遺跡」で、古代トルコ文字(突厥=とっけつ=文字)が彫られた大型石碑14が出土したと発表した。モンゴルの科学アカデミー歴史・考古学研究所との共同調査で、これまでに見つかった突厥碑文で最大級という。 遺跡は6~8世紀に存在したトルコ系遊牧民の国「突厥」の王侯の墓か、祭祀(さいし)を行った場所とみられ、石碑のうち少なくとも12は中央部のひつぎを入れる「石槨(せっかく)」を取り巻くように立っていた。 石碑は全長4~6メートルほどで、花こう岩に彫られた碑文が読み取れるほか、「タムガ」と呼ばれる部族の印章も計100個以上刻まれている。大沢教

    古代トルコ文字の碑文出土=モンゴル東部の遺跡-阪大など調査:時事ドットコム
  • ピラミッドに謎の巨大空間 見つかる | NHKニュース

    エジプトで最大とされるピラミッドの内部に、これまで知られていない巨大な空間があることが、日などの研究チームによる最新の調査で確認されました。まだ、見つかっていない王のミイラや副葬品が納められている可能性もあり、ピラミッドをめぐる謎の解明につながると注目されています。 このうち名古屋大学と高エネルギー加速器研究機構は、宇宙から降り注ぐ「ミューオン」と呼ばれる素粒子を使い、内部をレントゲン写真のように透視する調査を行ってきました。 この結果、ピラミッドのほぼ中央にこれまで知られていない長さが30メートル以上もある巨大な空間があることを確認し、2日づけのイギリスの科学雑誌ネイチャーの電子版で発表しました。 クフ王のピラミッドは、これまでに3つの部屋が確認されていて、このうち「王の間」と呼ばれる部屋からひつぎが見つかっていますが、ミイラや副葬品はどこからも見つかっていません。今回見つかった空間が

    ピラミッドに謎の巨大空間 見つかる | NHKニュース
  • 足利尊氏の顔、これで決まり? 中世肖像画の写し発見:朝日新聞デジタル

    顔だちを巡って今も意見が分かれる室町幕府の初代将軍・足利尊氏(1305~58)。彼が亡くなってほどない時期に描かれたと見られる肖像画の写しが発見された。中世まで確実にさかのぼれる尊氏の肖像画は他に一例しかなく、専門家は「尊氏の顔がこれではっきりした」と話す。 確認された「足利尊氏像」は縦88・5センチ、横38・5センチ。軸装された画の下側に正装して着座する人物が描かれ、上方には十数行にわたって画中の人物の来歴をつづった文章がある。 個人が所有するもので、栃木県立博物館の田諭特別研究員や鎌倉歴史文化交流館の高橋真作学芸員らが、資料調査の際に発見。①尊氏を示す「長寿寺殿」という言葉がある②尊氏の業績として知られる国内の66州に寺や塔を建立した旨が記されている――などから尊氏像と判断した。 近年の研究で、歴史教科書などで尊氏像として紹介されてきた「騎馬武者像」(京都国立博物館蔵)は尊氏でない可

    足利尊氏の顔、これで決まり? 中世肖像画の写し発見:朝日新聞デジタル
    cosmosquare77
    cosmosquare77 2017/10/27
    従来、尊氏とされてきた「騎馬武者像」は高師直とする説もあったけどそちらはどうなってるんだっけか。
  • 島津家で「あわもり出る」 鳥取藩士の手紙180枚発見:朝日新聞デジタル

    古いびょうぶの下張りから、鳥取藩主池田家に仕えた武士が江戸からにあてた手紙が大量に見つかった。から江戸にいる夫にあてた手紙も含まれ、確認されただけで約180枚になる。参勤交代や江戸暮らしの様子を書き記した手紙で、専門家は記述の詳しさに注目している。 発見したのは鳥取市紙子谷の大沢邦彦さん(71)。大沢さんは神社の宮司で、子どものころから古文書に親しんできた。「古文書を読む会」で講師を務めている。江戸時代から明治初期に作られたびょうぶやふすまには、不要になった手紙などの書類が下張りに再利用されている例があり、今回手紙が見つかったびょうぶは鳥取市内の知人から大沢さんのもとに持ち込まれたものだった。 びょうぶは6曲で、下張りに明治時代の新聞が使われており、さらにその下から手紙が見つかった。大沢さんは3年かけて手紙を整理し、解読した結果、約200年前に鳥取藩主が参勤交代した際に随行した城戸左久

    島津家で「あわもり出る」 鳥取藩士の手紙180枚発見:朝日新聞デジタル
  • 聖徳太子、鎖国… 「教えづらい」のひと言で歴史が歪められる驚き(河合 敦) @gendai_biz

    「教えづらい」から変えてしまうの? 今年2月、文科省は、次の小中の学習指導要領で、歴史用語などを変更することを発表しました。たとえば「聖徳太子」の名は没後の呼称なので、歴史学界で用いられる「厩戸王」の名を併記するとしました。とくに中学校の教科書では「厩戸王(聖徳太子)」とするとのこと。 また、江戸時代の「鎖国」という言葉も、長崎などで外国と交易しており、完全に国を閉ざしていなかったので、実態に即して「幕府の対外政策」と表記にすると公表しました。 ところが翌3月、文科省はこれらを撤回し、元に戻すことを検討しているという報道がなされました。文科省はその理由について<最近の歴史研究などを反映させた変更だったが、一般からの意見公募で、「表記が変わると教えづらい」といった声が教員などから多く寄せられた>(3月21日付 日経新聞)ためだといいます。 正直、驚きました。 なにしろ、歴史の専門家ではなく「

    聖徳太子、鎖国… 「教えづらい」のひと言で歴史が歪められる驚き(河合 敦) @gendai_biz
  • 項羽と劉邦の国「楚」の驚くべきルーツ!ついに歴史文献が出土し、楚は長江の国では無かったことが明らかに!?

    巫俊(ふしゅん) @fushunia 【今日の発見のまとめ】 ヤマトから見て、足を伸ばした先の「つま先」の辺境の土地が「サツマ」。 しかし、その薩摩は、南西諸島に対しては「ヤマト」として接した。 西周から見て、イバラが生えてる未開の地が「楚」。 しかし、その楚は、長江流域に対しては「商」(殷)として接した。 2017-04-02 02:33:47 巫俊(ふしゅん) @fushunia ●「楚」と、「殷」(商)「周」の関係 中間にある「上洛・商県」は、殷末の周から「楚」と呼ばれた(周で出土した周原甲骨文より) しかし、西周時代の周は、漢水の南側を「楚」(イバラだらけの未開の地)と呼んでいる(西周の青銅器の銘文より) だが、その頃、楚王の祖先は商県にいた! pic.twitter.com/fXCYYEUfpb 2017-04-02 03:15:21

    項羽と劉邦の国「楚」の驚くべきルーツ!ついに歴史文献が出土し、楚は長江の国では無かったことが明らかに!?
    cosmosquare77
    cosmosquare77 2017/04/03
    殷~周代をおさらいしてからもう一度読んでみます。
  • 続・戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名勢力図

    まとめ 戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名戦力図 世戸口政親(@Fransisco1530)さんが、多くの戦国時代ファンの意見をまとめて詳細な戦国時代の勢力図を作り上げられました。 作り上げられた世戸口さんと、意見を送り協力なさった諸兄に敬意を表しその軌跡をまとめさせていただきました。 おもに図作成に影響したと思う会話をまとめました。 かなり長くなりましたがぜひご覧ください。 ※17.3.30追記 修正版作成の記録もまとめました 続・戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名勢力図 https://togetter.com/li/1095832 214088 pv 436 69 users 909

    続・戦国クラスタが作る!永禄3年(1560年)の全国戦国大名勢力図
  • 藤原定家:日記の「赤気」はオーロラ 極地研などが解析 | 毎日新聞

    南極の昭和基地で観測された赤いオーロラ。藤原定家の明月記に「赤気」として記録されている=国立極地研究所提供 平安・鎌倉時代の歌人、藤原定家(1162~1241年)が日記「明月記」に書き残した「赤気(せっき)」という現象は、太陽の異常な活発化によって京都の夜空に連続して現れたオーロラだった可能性が高いと、国立極地研究所や国文学研究資料館などのチームが米地球物理学連合の学術誌に発表した。連続したオーロラの観測記録としては国内最古という。 明月記には、1204年2~3月にかけて、京都の北から北東の夜空に赤気が連続して現れ、定家は「山の向こうに起きた火事のようで、重ね重ね恐ろしい」と書き残している。

    藤原定家:日記の「赤気」はオーロラ 極地研などが解析 | 毎日新聞