岩波文庫をはじめ、今日弘く行われて居る数々の「文庫もの」に対して、我々古い人間の包みきれない不満は、あまりにも外国の著作が多過ぎるという一点である。西洋は国の境がもとはそうはっきりとして居らず、学者も書物もよく旅行をして居て、最初から国際共有のものが多かったが、それでさえ文庫の目録には国々各自の片よりがある。タウフニッツのような特殊の目的をもって、原文のまま出して居るものは別として、私たちの見て居るものはレクラムでもゲッシェンでもペイヨオでもキャッセルでも、又は此頃の幾つかの英米の叢書類でも、日本のように外国ものばかりを六割七割までも出して居るものは一つも無いようだ。出て来る翻訳を抑えるように、もっと少しく出すようにと、言うのなら無理かも知れぬが、是ほど外国物を出すことが出来る位ならば、せめては其同量くらいは日本の本を、並べて出すことにしてはどうかと、思わずには居られないのである。この現象